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「格差の国の経済学」書評 数字の背後に「哲学」を取り戻せ

評者: 井手英策 / 朝⽇新聞掲載:2026年05月23日
格差の国の経済学――経済学者は世界をどう破壊し、もとに戻すために、毎日何をしているのか 著者:アンガス・ディートン 出版社:みすず書房 ジャンル:世界経済

ISBN: 9784622098409
発売⽇: 2026/03/18
サイズ: 19.1×1.9cm/288p

「格差の国の経済学」 [著]アンガス・ディートン

 本書は、2015年のノーベル経済学賞受賞者によって書かれた「経済学批判」の書である。
 アメリカの経済学者が知識を武器にどう政治と関わり、名誉ある地位を手にしたのか。専門性という名の象牙の塔に閉じこもることで、いかに社会の不平等化を見過ごしてきたのか。悲惨なくらしの解消こそ経済学の使命だと説く著者は、ときに辛らつな皮肉を交えながら、経済論争と政策決定の内幕を明快に描く。
 もちろん、経済学者と政治の結びつきといっても、誰もが権力に奉仕するわけではない。だが、経済学者は、数字と政治をつなぐ仲介者になりうると著者は指摘する。
 例えば「物価」。全商品を調べることは無理だから、特定の財をサンプルに物価は算定される。財の選択しだいで平均価格が変わり、物価が動けば社会保障費も動く。政府が給付削減をめざしていれば、物価が下がるようにサンプルを選ぶかもしれない。この選択に理論的根拠を与えるのが経済学者であり、都合よくつまみ食いして政策に仕立てるのが政治家である。
 著者が警鐘を鳴らすのは、数字で示された事実を絶対視する風潮だ。
 本書は不平等への厳しいまなざしで貫かれている。根底にあるのは、外国人である彼が渡米後に受けた差別への怒りだ。
 経済学が不平等を正当化する道具となってはならない。貧しい人たちの「絶望死」は、所得の減少だけでは説明がつかない。生きる意味を見失い、家族や仲間とのつながりが断たれたからだ。数字の背後にある人間観。経済学に哲学を取り戻せ、著者はそう迫る。
 丸山眞男と内田義彦はかつて、専門知へと引きこもる「学問のタコツボ化」をなげいた。学者は真理に忠実でありたいと願う。だが真理への接近は、生身の人間のための学問を構築する意志と矛盾しない。経済学の居場所は、数字と論理で閉じられた場所ではなく、人間の生という現実のただなかにある。
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Angus Deaton 1945年、英国生まれ。米プリンストン大名誉教授。「消費、貧困、福祉」に関する分析でノーベル経済学賞。
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江口泰子訳