こんな店なら毎日でも通いたい。川上弘美さんの新刊小説「スナックふたり」(中央公論新社)を読んでいると、そんな気分にさせられる。ふたりのママと、スナックの常連客が交わす会話は臨場感たっぷり。そんな居心地のよさは時に、人ならざるものを呼び込むようで。
どこにでもありそうな商店街に、司と逸子が営む「スナックふたり」はある。2時間3500円でカラオケは別料金。司の作る〈世界一の水割り〉と逸子が出す一手間かけた季節のお通しを楽しみに、常連客が次々とやってくる。クリーニング屋を営むヒデさんとショウコさん夫婦、酒屋の3代目のエガちゃん、元焼き鳥屋の老人タカハシちゃん……。
「一つの場所に、人が入れ代わり立ち代わり出入りする舞台ってありますよね。能のような。あれを小説で書いてみたいと思ったんです。より庶民的で親しみのある場所で」
川上さん自身はスナックにほとんど入ったことがない。常連が和気あいあいとする場になじめそうにもないと、むしろ避けていた。ところがコロナ禍をへて、気持ちが少し変わった。
「顔見知りの人と気安く話して、のんびりできるような場所がどんどん少なくなっていった。安心して夜を過ごせるスナックって実はすごい文化なんじゃないかと考えを改めたんです」
うまい酒と肴(さかな)といえば「センセイの鞄(かばん)」の居酒屋を思い出す人も多いはず。今回はそのスナック版かと思いきや、物語の冒頭から不思議な一見(いちげん)さんが現れる。真冬なのにTシャツに半ズボン、ビーチサンダル姿。どこかぼんやりした表情で、常連のしーやんの指定席に座った男は「本家しーやん」と呼んでほしいと言う。
別の日にはランドセルを背負った子どもが現れる。ハイボールを頼みながら、〈ぼく、しんでからも、もう三十ねん、いきてるんだよ〉と言い出す。なんでもこの店は〈ゆうれいのネットワーク、みたいなかんじ〉で有名なのだとも。
「私の小説って、なぜだかよく幽霊が出てくる。日本の小説には〈無常〉という大きなテーマがあります。それは、人は必ず死ななければならないということ。亡くなった人、残された人の気持ちを考えているうちに、比喩的に幽霊という形になるのかな」
理にかなわない出来事なのに、客たちは深く追究しないまま受け入れる。とりわけ司と逸子は、ちょっと変わった客をあしらうがごとく、自然にふるまう。
むしろわからないのはふたりの関係だ。店を始めて30年とあるが、前歴はほの見えるだけ。あうんの呼吸で酒とお通しを出し、場の雰囲気を整える。店を閉じてから、ふたりが客の特徴をキノコに見立てて語る軽妙なやりとりも心地いい。
年配女性のバディものは18歳のころから、ずっと書きたいと思っていた。
「若くても書ける人はいると思うけど、私には無理でした。どうしてもリアリティーに欠ける感じになって。年を重ねるなかでの日常の感覚の蓄積で、やっと書けたなと」
夢幻能のように霊的な存在が訪れては去っていくスナックふたり。「いる/いない」「ある/ない」のあわいを揺れ動く物語といえば、芸術選奨文部科学大臣賞を受けた「真鶴」もそう。失踪した夫をめぐり、残された女の心が揺れていた。
「幽霊のような存在を受け入れられるのは、死に直面した人じゃないかなと思います。自分が心を残している人ともう一度会いたいっていう気持ちがある人ならば、なんとなく受け入れる。書き方は違っても、芯にあるものは共通しているのかもしれませんね」(野波健祐)=朝日新聞2026年7月22日掲載