小説、書き直し続ける 鈴木結生
急遽(きょ)、韓国に行くことにしたのは、調べたいことがあったからだ。
10月に刊行予定の私の最新小説は、紫式部の『源氏物語』を核としている。世に「源氏本」が数多存在する中で、一体自分がこの巨大な存在とどう向き合うか。私の選択は、豊臣秀吉が『源氏』を読んでいた、という史実を掘り下げてみることだった。そしてこの選択が、結果的に私をかの地へ導くことになったのである。
その間にある様々な思考や議論についてはここで再現するゆとりはない。端的に言えば、秀吉の朝鮮出兵という汚点について考えてみないことには本作を世に送り出すことができない、というのが私の結論だった。ちょうど韓国で私の作品が出版され、好意的に受け入れられていることもあり、それであれば是非とも出版に携わってくださった方々に、私が秀吉を書くことについての率直な意見を訊(き)いてみよう、と思った。同時に、そのことに関連する博物館や資料館を見て回れたら……そうした中で、本日取り上げる「戦争と女性の人権博物館」の存在を教えられた。
同館は、日本軍「慰安婦」の被害者の記憶を保存する場として、2012年に開館した。一見よくある民家のような、小ぶりな施設だが、その展示内容は実に濃密である。戦時中、日本軍が配布していた「突撃一番」と名付けられた避妊具、「慰安所」の間取りを描いた絵など、そこに並べられた事実は、日本人かつヘテロセクシュアルの男性でもある私からすれば、思わず目を背けたくなるようなものばかり。が、当然ながらこれは断じて、「日本」とか「男」といった粗雑な単位によって敵意や憎悪を喚起しようとする施設ではない。名前の通り、ここではすべての戦争で虐げられるすべての女性がテーマになる。日本軍「慰安婦」は壁ではなく、重要な扉の役割を果たすのであり、その扉の先で私たちは、現在も世界中で起こる戦争に恐怖する女性たちと出会い、ベトナム戦争中、韓国側が加害者となった歴史とも出会うのだ。
博物館を出てしばらく、私は自分の小説について考えていた。秀吉の「唐入り」の夢は、その後の大日本帝国の侵略と無縁ではない。例えば、杉山蓋世『仮年偉業豊臣再興記』や吉川英治『新書太閤記』といった太閤小説は明らかに当時の征韓論と結びついたものだった。果たして自分の小説を出すべきか否か、思い悩みつつ韓国最後の夜に繰り出した。
それから夜通し、ソウル市内のチキン屋を順繰りに巡った。どの店もすこぶる美味で、小説のこともすっかり忘れ、満腹でホテルに帰り着く。その瞬間、同行人があることに気付いた。
「ねえ、そういえば最後の店、お代支払ったっけ?」
このとき、我々の間に走った緊張と動揺を想像いただきたい。自分たちが楽しんでいたことが実は大きな誤りを含んでいたこと。店に行って正確に謝る自信がなかったので、急ぎホテルのフロントに連絡してもらい、何とかその日のうちに金を払って謝罪することができた。これなどは極めて小さい失敗談に過ぎない。が、この程度のことでも私は胸騒ぎが止まらなかった。であるならば……
正直言うと、私は今でも自分の小説の行方が分からないままだ。ただ一度書いたものを無かったことにすることもできないだろう。むしろそれを読者との出会いを通して書き直し続けることが必要なのだと思う。そして、その作業の際には、必ずあの博物館のことを念頭に置くはず。
あの静かな祈りの場所に、日本人なら、とは言わない、人間なら、行くべきだ。=朝日新聞2026年9月13日掲載