先日、同業者たちと大阪の繁華街で待ち合わせをした。先に彼らが現地に行き、私は少し遅れて合流する――はずが行き違いがあり、こちらが彼らを待つ運びとなった。
普段は時間が余れば、まず本屋に飛び込む。だが近隣に書店はないばかりか、長居しやすそうな喫茶店すら乏しい。これは時間つぶしが難しいかも、と悩みつつうろついていると、行く手に動物園が見えてきた。
地元の動物園には時々出かけるが、大阪の動物園はもう二十年ほど訪れていない。確か、近年、リニューアルも行われているはず。よし、これだ! と飛び込めば、周囲は小さなお子さんを連れた家族連れやカップルが大半で、私のような単身客は珍しいらしいとすぐに気づいた。いや、実は私自身、一人で動物園に入るのはこれが初だ。
ただ皆さん、動物たちに興味津々で、他の客に意を払う様子はない。それぞれ同行者を気遣いながら、各スペースを順にめぐって行く。そんな方々に交じって、ホッキョクグマやペンギンたちを眺めるうち、私もまた、自分が一人客であることが気にならなくなった。
愛らしいレッサーパンダ、耳をぱたつかせる象。興味の赴くままに歩き回るうち、動物園とは結局、自分と動物たちという自他の対峙(たいじ)の場ではあるまいかと考えた。ただ私は動物たちを注視するが、彼らがこちらに注目することはまずない。爬虫(はちゅう)類館のワニを見ながら、ただ眺めるだけの一方的な関係性について考えていると、なにやら自分が透明人間であるかのような気がしてきた。
待ち合わせ相手から「今どこ?」との連絡がスマホに入ったのは、ちょうどその時。よし、今日はここまでと園を立ち去ろうとして、ゲートの警備員さんと目が合った。軽く会釈をすると、それに目礼で答えてくださる。ああ、私はちゃんとこの園にいたのだな。自分の輪郭が徐々に戻ってくるにも似た安堵(あんど)を覚えながらゲートで振り返れば、昼下がりの動物園は更に賑(にぎ)わいを増していた。=朝日新聞2026年9月9日掲載