大多数の人には見受けられるが自分には存在しない感覚というものがある、と折に触れて思う。感覚を味覚に変えてみるとわかりやすいだろうか。私はビールとコーヒーが苦手なので、飲み会などで「とりあえずビールで」とまとめて注文されたり、訪問先で何も訊(き)かれずコーヒーをだされたりすると大変に困る。若い頃はいつか飲めるようになると思っていたが、不惑をゆうにこえても苦手なままだ。自分にはビールとコーヒーが美味(おい)しいと感じる味覚が存在しないのだと思う。
そんなように、私は同郷や同学であることに仲間意識を感じない。初対面の人に「同じ大学出身ですよ」とか「私も同じ街で育ちました」と言われても、「そうなんですか」とは反応するが特別、親近感は覚えない。同じエリアに居たとしても見ていたものが同じとは限らないと思ってしまうのだ。若い頃は可愛げがないとかひねくれていると言われ、自分はちょっとおかしいのかと不安になったりしたが、私にはそういう感覚が存在しないと思うと楽になった。他人と共有できない感覚は多かれ少なかれ皆あるはずだ。自分はそれが目立つ場所にあったのだと考えるようにしている。
先月、運転免許証の更新に行った。私はまさに夏の真ん中という日に生まれたので、更新期間は夏の始まりから終わりになる。更新手続きは蟬(せみ)の鳴き声とセットになっている。
ちなみに、夏生まれだが夏が嫌いだ。暑さに弱いのだ。子供の頃は夏休み中に誕生日があるのは損だと思っていた。ケーキの苺(いちご)はないし、友人にも祝ってもらいにくい。運転免許証の更新ができる場所も住宅地から離れたところが多く、汗だくで行かねばならないのが億劫(おっくう)だ。一連の手続きを終え、最後の講習でぐったりと席についた時、この部屋にいる人たちは夏生まれだと気付いた。老若男女、学生も会社員も、ばらばらに見えて全員が夏生まれ。ふいに親近感がわいた。こういう感覚が自分にあるのだと不思議に面白かった。=朝日新聞2026年9月30日掲載