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「鴎外・ドイツみやげ三部作」書評 「余」の鎧脱いだ「おれ」豊太郎

評者: 斎藤美奈子 / 朝⽇新聞掲載:2018年05月26日
鷗外・ドイツみやげ三部作 著者:森 鷗外 出版社:未知谷 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784896425505
発売⽇:
サイズ: 20cm/166p

鴎外・ドイツみやげ三部作 [著]森鴎外 [現代語訳]荻原雄一

〈石炭はもはや積み終えた〉。この一文で、もう噴き出す。笑う箇所ではないのはわかっている。でも、おかしい。〈石炭をば早(は)や積み果てつ〉という原文が頭にちらつくからだ。
 森鴎外は陸軍省派遣留学生として1884(明治17)年から4年間ドイツに留学し、ドイツを舞台にした3編の小説を残した。『舞姫』『うたかたの記』『文づかい』で、〈石炭をば……〉は事実上のデビュー作『舞姫』の冒頭部分。『鴎外・ドイツみやげ三部作』は、格調高い文語で書かれた3作を現代語に訳しちゃった本なのだ。
 『舞姫』の主人公・太田豊太郎は19歳で学士の称号を得、〈すごいね。大学始まって以来の快挙だよ〉と周囲に褒められるほど優秀な学生だった。その豊太郎が、某省に入省して3年後、ドイツ留学を命じられる。
 〈おお、来た。ついに来た。よし、やったぞ! おれは名を挙げる。太田の家を再興する。チャンスだ。大きなチャンスが、今おれにやって来た!〉
 ちなみにここの原文はというと〈我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて〉。
 荻原雄一の訳は極限まで凝縮された原文の解凍に近く、登場人物の心情を生々しく浮かび上がらせる。
 この後、豊太郎はエリスという美少女と恋に落ち、妊娠した恋人と出世がかかったリクルートの板挟みになるのだが、思えば〈余が彼を愛(め)づる心の俄(にわか)に強くなりて〉式の「余」という一人称は鎧(よろい)の役目を果たしてたんだね。そこは明治のエリート青年。平成の若者とは毛色がちがうけど、「おれ」という一人称で語られた豊太郎のおろおろぶりは嫌でも際立つ。
 二葉亭四迷『浮雲』とともに近代文学の嚆矢(こうし)とされる作品。言文一致体で書かれた『浮雲』の内海文三はヘタレな青年だった。鎧を脱いだ太田豊太郎は一種のツンデレ? はじめて、あるいはもう一度鴎外を、という方にすすめたい。
    ◇
 もり・おうがい(1862〜1922)。小説家 ▽おぎはら・ゆういち 51年生まれ。小説家、翻訳家。名古屋芸術大学教授。