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木皿泉「さざなみのよる」書評 心から心へ伝わる人生への達観

評者: 諸田玲子 / 朝⽇新聞掲載:2018年05月26日
さざなみのよる 著者:木皿泉 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784309025254
発売⽇: 2018/04/18
サイズ: 20cm/221p

さざなみのよる [著]木皿泉

 晴れた日に一本道を歩くのが私は苦手だ。母を看取(みと)って数年が経つのにうしろ姿が見えたような気がして目の奥がじんとなったり、死にかけていた父のごつごつした手を引いて歩いた遠い日の記憶がよみがえって立ちすくんでしまったり。そのくせ一瞬後には、洗濯しなきゃとか、何を食べようかとか、もう目先の雑事に気をとられている。死と日常は私の中で混沌(こんとん)とまじりあっているらしい。
 本書を読みながら何度も目頭が熱くなった。悲しいからではない。たまらなく切なくて、でもほっこりと温かい。さりげない言葉のひとつひとつに琴線がふるえる。
 14話からなる本書は43歳の女性ナスミの視点で始まる。自身が病死する冒頭に意表をつかれたが、ナスミの死をうけとめる人々の、さざなみのような動揺を描く掌編は秀逸。どこにでもある、誰の身にもふりかかる日常のヒトコマを鮮やかに切りとって、妻を妹を姉を見送った喪失感とそんな時でも淡々とつづく日々の暮らしを見事に点描する。同窓生や元同僚、さらにはナスミの死後に生まれた女の子の光が年老いてゆくまでを、バトンを渡すように綴(つづ)ってゆくさまは、いのちのリレーさながらである。
 「だからぁ死ぬのも生きるのも、いうほどたいしたことないんだって」
 生前ナスミがいっていたという台詞(せりふ)にこめられた達観は、おのおのの掌編でリフレインされてゆく。心から心へ伝わってゆく。
 「やどっていたものが去ってゆく。それは、誰のせいでもないように思えた。ただやってきて、去ってゆく」「いのちがやどる、とはそんな感じなのかなぁと、光は思った」
 私たちは腹を立てたり嫉妬したり、喜怒哀楽にふりまわされて生きているけれど、そんなことが些末(さまつ)に思えてきた。吹っ切れたような気になって、肩の力がぬけてゆく。そして、明日も歩いてゆこうと思えてくるのだ。ふしぎな小説である。
    ◇
 きざら・いずみ 52年生まれの和泉務と57年生まれの妻鹿年季子(めがときこ)夫婦の共作筆名。『昨夜のカレー、明日のパン』