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村松友視「北の富士流」書評 数字で評価できない人間的魅力

評者: 原武史 / 朝⽇新聞掲載:2016年08月28日
北の富士流 著者:村松友視 出版社:文藝春秋 ジャンル:エッセイ・自伝・ノンフィクション

ISBN: 9784163904825
発売⽇: 2016/07/08
サイズ: 20cm/231p

北の富士流 [著]村松友視

 1972年1月場所8日目、横綱北の富士と関脇貴ノ花の一番を、小学3年だった私はテレビで観戦していた。北の富士が外掛けで倒そうとしたところを貴ノ花が捨て身の上手投げで返し、北の富士の右手が先についた。行司の軍配は貴ノ花に上がったが、物言いがついた。その結果、「体が死んでいるときは、かばい手といって負けにならない」というルールが適用され、軍配差し違えで北の富士の勝ちとなった。
 土俵に上がった審判委員と行司の協議は異様に長かった。「かばい手」という決まり手も聞いたことがなかった。貴ノ花を応援していた私は、判定に納得がいかなかった。
 北の富士のしこ名を聞いて思い出すのは、この場面である。前年に名横綱大鵬が引退し、北の富士のライバル玉の海が急死したことで、横綱は北の富士だけになっていた。当時の相撲界は、もう一人の名横綱北の湖が現れるまでの過渡期であった。「かばい手」で勝ちを拾ったにもかかわらず7勝7敗1休だったことに象徴されるように、横綱とは言い難い成績で終わった場所も少なくなかった。
 しかし村松友視にとってそんなことは百も承知のはずだ。優勝回数などのわかりやすい数字によってしか大相撲の力士が評価されない風潮に異を唱えるかのように、著者は関係者への取材を重ねつつ、長きにわたって人間的魅力を放ち続ける「北の富士流」の生き方に迫ろうとする。その魅力は、著者のようなすぐれた作家の筆力によってしか表現され得ないものだ。現役時代の成績など、「北の富士流」全体のなかではごく一部を占めるにすぎないことが、本書からはひしひしと伝わってくる。
 いまや大鵬や北の湖ばかりか、北の富士自身が親方として育てた名横綱千代の富士も亡くなってしまった。角界に身を捧げた男たちの人生の明暗について、深く考えずにはいられなくなる一冊である。
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 むらまつ・ともみ 40年生まれ。作家。著書に『私、プロレスの味方です』『時代屋の女房』(直木賞)など。