1. HOME
  2. コラム
  3. いまどきマンガ塾
  4. 「ジャンプ」愛され50年

「ジャンプ」愛され50年

 「『週刊少年ジャンプ』の黄金期はいつか」。世代の違う同僚たちと議論すると、それぞれが自分が熱心に読んでいた時期を主張して、収拾がつかなくなる。
 1990年代がリアルタイムだった筆者は「95年にマンガ誌史上最高の653万部を発行したのを見れば歴然!」が持論だ。これに80年代読者の同僚が「そこへつながる礎を築いたのは80年代でしょ」と反論。70年代にはまった同僚は「ジャンプの原点・70年代こそ至高」と返す。「今こそが一番面白い!」と一歩も譲らない同僚も。論争はいつも決着をみずに終わるのだ。
 同誌は68年に月2回刊行で創刊、翌年から週刊化した。ライバル誌の「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」は59年創刊。赤塚不二夫の「おそ松くん」(サンデー)、ちばてつやの「あしたのジョー」(マガジン)など、すでに多くのヒットを飛ばしていた両誌に、約10年遅れで登場したジャンプは、どう対抗したのか。

名も無き新人、続々と開花

 創刊号「第一回新人漫画大募集!」のページで、編集長の長野規(ただす)は「読者にいちばん近い年令の、若いきみが、全力でかきあげた漫画こそ、読者がまちのぞんでいるものです」と呼びかけた。既存の人気作家ではなく、名も無き新人を起用することで差別化を図ろうとしたのだ。
 まだ新人だった永井豪は、ちょっとエッチなコメディー「ハレンチ学園」を創刊直後から連載。同作の影響で「スカートめくり」が小学生の間で流行し、問題作として世間を騒がせたが、ジャンプの名前も一躍有名になった。同じくマンガ家としてまだ駆け出しだった本宮ひろ志も、「男一匹ガキ大将」を第11号からスタート。男気あふれる主人公は読者の心をつかみ、多くの後進作家も魅了した。本宮が提示した「強い男」像は、今なおジャンプのスピリットとして受け継がれている。
 新しい才能が次々と花開き、70年代前半には100万部に到達。80年代には「北斗の拳」や「キャッツ♥アイ」、「キャプテン翼」、「DRAGON BALL」などヒット作が続き、アニメなどとのメディアミックス展開も盛んになった。世代や性別を越えて読者層が広がり、90年代に今も破られていない最大発行部数を達成したのだ。
 東京・六本木の森アーツセンターギャラリーで開催中の「週刊少年ジャンプ展 VOL・1 創刊~1980年代、伝説のはじまり」は、ジャンプ50周年企画の目玉としてVOL・3まで予定されている回顧展の第1弾。来年春に90年代編、夏に2000年代以降編が予定されている。雑誌の歴史を追う展示は過去にも例があるが、3回に分けるのは異例だ。一つにまとめると手薄になりがちな黎明(れいめい)期の名作がしっかりとフォローされ、現在につながる進化も分かりやすい。この時期のリアルタイム読者以外も楽しめる展示になっている。

     *

 同誌の記念碑的な号を再現した「復刻版週刊少年ジャンプ」もうれしい企画だ。当時のワクワク感が思い起こされると同時に、資料的な価値も高い。653万部が発行された号も、ほとんどの人が捨ててしまったはずだからだ。
 同誌で長年、カルト的な人気を博した「ジョジョの奇妙な冒険」の作者、荒木飛呂彦の出身地である仙台市で開催された「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展 in S市杜王(もりおう)町」も好企画だった。仙台市は同作第4部の舞台となった「杜王町」のモデル。美術館「せんだいメディアテーク」を拠点とし、町全体で作品の世界観を演出していた。12年にも同じ場所で開催され、ファンには“聖地巡礼”のイベントとして定着しつつある。地域に無理なく根付いている雰囲気があり、マンガによる地域活性化の好例としても注目されるだろう。
 どの時代も黄金期と思わせてくれる週刊少年ジャンプ。創刊50周年の「祭り」を存分に楽しみたい。=朝日新聞2017年9月29日掲載