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「物語を忘れた外国語」書評 語学で鍛えた想像力が「教養」に

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2018年06月23日
物語を忘れた外国語 著者:黒田 龍之助 出版社:新潮社 ジャンル:言語・語学・辞典

ISBN: 9784103517214
発売⽇: 2018/04/26
サイズ: 20cm/191p

物語を忘れた外国語 [著]黒田龍之助

 外国語ができるようになりたい。誰しもそう思う。だがその道筋はおぼつかない。いわく、生きた会話が大事だよ。いや、語彙と文法を知らなきゃダメだ。
 こうした善意の助言を前に僕らは立ちすくんでしまう。それは、自分にとって何が楽しいのか、という視点が抜け落ちているからだ。楽しくなければ身にもつくまい。そこで黒田は言う。文学でも絵本でも映画でもいい。お話を楽しんでみたらどうだろう。
 だが近年、語学教育における文学の講読は人気がない。シェークスピアなんて読んで何の役に立つの。そこで黒田は反論する。すぐ役に立つことはすぐ古びるよ。むしろ一見役に立たないことのほうが大事さ。
 どういうことか。たとえば、同時代の日本語で書かれた文章がよくわかるのは、自分がすでに知っていることが書いてあるからだ。でもそれでは、考え方の違う他人とじっくり付き合い、互いの理解を深める心は育たない。
 ここで語学の出番だ。自分が生まれる前のこと、自分が住んでいない地域のことを想像できて、はじめて人は寛容になれる。黒田はこうした想像力を「教養」と呼ぶ。そして想像力を鍛えるのに語学はうってつけだ。わからなさに耐えながら、異なる相手を観察し続ける。そうしていると何かがジワジワ伝わってくる。
 だから黒田は早わかりを嫌う。うまい翻訳より、外国語特有の癖のある訳文を選ぶ。『細雪』に出てくる、ロシア語の影響を受けた日本語を楽しむ。わざと不自由なチェコ語を使って旅をする。ノイズを排除してはいけない。なぜなら、そこにこそ他なる世界への手がかりがあるからだ。
 では何を選べば良いのか。「自分にしっくりくる」ものを選ぼうよ。このシンプルな答えに僕は納得した。もちろん、自分を大事にできなきゃ、人も大事にはできはしない。黒田の語学論はそのまま、深い文明論でもある。
    ◇
 くろだ・りゅうのすけ 1964年生まれ。神田外語大特任教授。著書『ロシア語の余白』『チェコ語の隙間』など。