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村上龍「歌うクジラ」 壮絶な旅が紡ぐ、不老不死の近未来

評者: 鴻巣友季子 / 朝⽇新聞掲載:2010年12月12日
歌うクジラ 上 著者:村上 龍 出版社:講談社 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784062165952
発売⽇:
サイズ: 20cm/375p

歌うクジラ 上・下 [著]村上龍 

 本書を読みながら「イェーウトゥゴ」という言葉が時折頭をかすめた。西アフリカのある種族は「話をして夜の寂しさから人を解放する」ことをこの一語で表すという。夜の闇は死を、人間のモータリティ(死する運命)を想(おも)わせる。その闇を紛らすために人は物語を作ったのではないか。詩や踊りや絵、そして科学もそこに端を発するのではないか。
 『歌うクジラ』は人間が不老不死を手に入れた2117年の日本を舞台とし、流刑地「新出島」から来た少年「タナカアキラ」の壮絶な旅を追うことで、「理想的な」管理社会の暗黒部を徹底して描く。2022年、クジラから不老不死の遺伝子が発見される。移民内乱の鎮圧後、日本は「文化経済効率化運動」と、「最適生態」の理念による上・中・下層の棲(す)み分け政策を推進。遺伝子操作による医学的賞罰(功労者は不老不死に、犯罪者は「生命時計(テロメア)」を切断されて死ぬ)や、精神薬による人心統制、性と記憶のコントロールが行われる。アキラは父の託した人類の秘密をある老人に届けにいく。
 ディストピア(反ユートピア)小説とは、近未来に姿を借りて、既に起きた・起きつつあることの本質を露(あら)わにするものである。未来の英国に仮託して、オーウェルが『1984』で独裁政治を風刺したように、ハックスリーが『すばらしい新世界』で全体主義による人間性の抹消を描いたように、『歌うクジラ』も現世界が抱えるものを書く。効率化運動は文革を思わせるし、棲み分けによる社会安定の理論はアパルトヘイトなどに見られたもの。そもそも管理体制と肥大したテクノロジーの結合という骨組みも、ディストピアの元祖、ロシアのザミャーチンによる『われら』のそれを踏襲する形だ。
 『歌うクジラ』でも、中・下層民は洗脳と投薬により、効率化と相容(い)れない感情や欲望、ひいては文化芸術を失った。アキラが操る「敬語」も失われた文化の一つだ。しかし精神薬を強いられない最上・上層民が豊かな表現を生みだすこともない。不老不死となった人々はやがて「理想村」の病院に横たわり、「床ずれ」による壊疽(えそ)で四肢を失いながら半永久的に生きる。皮肉なことに、彼らは不老不死と引き換えに「生」をなくしたのだ。いつかは消える命だからこそ、人は生の証しを様々な形で残そうとする。反乱移民はマインドコントロールに抗するため、助詞の間違った日本語を話し続け、強烈な「文化」を作りだすのである。
 アキラが何者かの声を聞くようになると、父からの使命を帯びた旅は父探しの様相を呈する。「生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ。移動しなければ出会いはない」と彼は言う。箱庭の安寧から物語は生まれない。旅をしあらゆるものを失い死へと向かうアキラの、己の生への執着だけが、この長大な物語を紡ぎ得たとわかるだろう。暴力と絶望と虚無に貫かれた本書の饒舌(じょうぜつ)は、それだけ闇が深く果てしないことを物語っている。
 〈評〉鴻巣友季子(翻訳家)
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 講談社・各1680円/むらかみ・りゅう 52年生まれ。「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞。『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞。『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞。『共生虫』で谷崎賞。『半島を出よ』で野間文芸賞。