西村賢太「苦役列車」書評 ダメダメ話、痛みがやがて笑いに
ISBN: 9784103032328
発売⽇:
サイズ: 20cm/147p
苦役列車 [著]西村賢太
「虫歯を噛(か)みしめるような快感」
という表現をどこかで読んだ覚えがあるが、西村賢太の私小説を読むことは、そんな感覚を想起させる。堪(こら)え性がなく暴力癖があって友達のいない男がその性分ゆえに自滅していくという、どこまでもダメダメな話……。にぶく疼(うず)く虫歯は苦痛であり鬱陶(うっとう)しくもあり、できれば忘れていたい。しかし一向去らない痛みであるなら、いっそぎりぎりと噛んで病んだ部分を痛めつけ、尚更(なおさら)痛い思いをしてやるのだ。と、まあ、そのような昏(くら)い快さである。「切なくて」「泣けて」「心がピュアに癒(いや)される」みたいなスリーステップを小説に求める人には安易にお薦めできない小説群だ。
『苦役列車』の表題作の舞台は昭和の終わり。日本はバブル景気に沸き、「ニューアカ」がもてはやされた時代である。しかし中卒で手に職のない「貫太」は、19歳になっても港湾労働で日当を稼ぎ、一杯のコップ酒と風俗店を心の慰めにしている。将来の展望なし。恋人友人なし。ある日、仕事で同い年の専門学校生と知りあい、友達らしい感情が芽生えるが、やがて自分との格差に気づきだし、関係は崩壊に向かう。
始終出てくるのが「根が〜」という言い方だ。「根が人一倍見栄坊(みえぼう)にできてる」「根が意志薄弱」「根が歪(ゆが)み根性にできてる」「根が案外の寂しがり」……確かに性根というのは自分ではどう仕様もない部分もあり、稟性(ひんせい)のもたらす痛みには天災めいたところもある。とはいえ、痛みの理不尽さにただ打ちひしがれるなら、それは単なる惨めたらしい悲劇だが、虫歯を噛むことに笑いが生まれ、痛みとの距離ができる。虫歯をいかにスタイリッシュに噛むかというところに、西村文学の本領はあるだろう。この一旦(いったん)完成された作風の世界が今後どう壊され拡(ひろ)げられていくか。記者会見で、「自分よりダメなやつの話を読んで慰めになれば」と語ったそうだが、そんな「上から目線」ではこの作品は到底読めない。自分のことが書いてあるから、小説は面白いのだ。怖いのだ。
評・鴻巣友季子(翻訳家)
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新潮社・1260円/にしむら・けんた 67年生まれ。『暗渠(あんきょ)の宿』で野間文芸新人賞。本作で芥川賞。