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「うなぎばか」倉田タカシさんインタビュー ウナギなき世界を生きる人は何を思うか 

文:加賀直樹、写真:斉藤順子

 どうしたって、一抹のうしろめたさを覚えてしまう瞬間、それは土用の丑の日、ウナギの蒲焼きを頬張る時だ。乱獲などで稚魚の数は減り続け、二ホンウナギは今や絶滅危惧種に。でも美味い。やめられない。想像してみよう。ウナギがこの世から完全に絶滅してしまったら、私たちは何を思うのか。そんな、ウナギなき世界に着眼点を置き、人間たちの悲喜こもごもを描いたのがSF連作短編「うなぎばか」。著者の倉田タカシさんに話を聞いた。

 2013、14年ごろでしょうか、ウナギの絶滅危機について取り上げられているのを見て、危機感を覚えたんですね。ツイッターで「ウナギ絶滅を前提にしたアンソロジーがあったら面白いかも」と呟いたのが着想のきっかけです。当初はいろんな作家さんの短編集があればいいな、と考えていたけれど、まあ、自分で書くしかない。そこで、「あんまりSFSFしていない」、多くの人に読んでもらえるエンターテインメントを書いてみようと思ったんです。

――この本に収められたのは、ウナギにまつわる5つの物語だ。たとえば、表題作「うなぎばか」。菜食レストランの料理人に身を転じた元・ウナギ屋の父親と、秘伝のタレを引き継いだ息子、そしてラディカルな思考の「うなぎ文化保存会」の面々。彼らの壮絶な葛藤を描いた。あるいは「うなぎロボ、海をゆく」。海を守る「うなぎロボ」と、彼を操るサササカ主任。そして不穏な動きをする「蟹型ロボット」。彼らが繰り広げる攻防の行方は……。いずれも読み進めるうち、日常からとんでもない異次元に迷い込むような感覚を覚える。物語は、どうやって組み立てていったのか。

 ウナギ絶滅というテーマを設定した時、ありうる題材、素材、サブテーマを次々とピックアップしていきました。最初は20個ぐらい。企画書提出の時点で8個に絞り、さらにこの5つに絞ったんです。そこにある現実から、いつの間にか空想の世界に引きこまれるような。

――こんな短編もある。恋愛成就を願う男の子の前に突然現れた神様が、次々とウナギにまつわる提案をする「神様がくれたうなぎ」。ここでは、どこかしら2人の会話が演劇的要素をまとい、言葉と言葉の「間」が心地良い。ト書きにさえ緩急がある。

 呼吸とか、話の間の取り方がまず浮かぶんです。間、呼吸、空気ですね。喋り言葉、人と人とのやり取りのリアリティーをなるべく何とかしたい、という気持ちは強くあります。

――いきなりバカな質問をしますけど、ウナギとは倉田さんにとってどんな存在ですか?

 実は「好きでたまらない」わけではないんです。もちろん、美味しい食べ物のうちの一つ。だけど、すごく入れ込んでいるわけではない。絶滅の危機にあることに対しては、社会が犯した愚行だと捉えていて、憤り、義憤に近いものは覚えます。絶滅しそうだと知ってからは、あまり食べないようにしているんです。これを書いていて、「ウナギを食べたい」という気持ちには結局ならなかった。ウナギを渇望する人のことはいっぱい書いたんですけどね。

――確かに。土用の丑の日の広告阻止のため、男の子たちが平賀源内に会いに行く「源内にお願い」では、彼らのウナギをこよなく愛する描写が、こってりと描かれますね。

 恋焦がれる気持ちを、これでもかと言うほど。こっちは楽しんで描いたんですけど、自分自身が強い渇望を抱いたことはないです、はい。

 今回、収録を見送った話ですか? 1つは、ウナギに代わる新商品を開発する会社の社員たちの物語。焦点は、冷凍で保存されたウナギのサンプルなんですね。みんな食べたくなっちゃう。だけど、管理室の人が非常に厳しくて、「ここを通りたければ、私を倒してから行け」みたいな。彼がウナギに関する質問を社員にして、スフィンクス的に立ちはだかるんです。それから、滅びたウナギの幽霊が蛇口から現れ、一人暮らしの若い女性と対話する話。滅びた者の実感を、幽霊としてのウナギが語る。これらの話は、今回見送られました。

――採用された「山うなぎ」は問題作。絶滅後のウナギの座を狙えるほど美味しい獣を追い求め、ジャングルの奥地に向かった主人公たちが、その獣の意外な正体に言葉を失う。私たちにとって食文化とは何か、そして、守るべき倫理・禁忌とは何かを深く問いかける作品です。

 この話題は避けがたかった。小説を書くにあたって、この題材は何を意味するだろうと掘り下げていった時、ぶち当たらざるを得なかったんです。そのセンシティブな部分にも触れないわけには、みたいな。ただ、エンターテインメントのままに留めておきたい気持ちがまずあったので、結果、サラッと書きました。説教臭さは避けられたかも知れません。

――それにしても、この独創的な作風の原点は。もともと「SF好き少年」だったのでしょうか。

 SFは小学生の頃から本当に好きでした。サイバーパンクといわれる、1980年代に成立・流行したサブジャンルに属する作家たちを読んでいました。ブルース・スターリング、ウィリアム・ギブスン……。そこらの路上にいる人間にフォーカスが当たるようになるんです。身近なテクノロジーが普及した時代。日常、我々が暮らしているところで、高度なテクノロジーがさりげなく使われる。それが人間を根本から変えてしまう。そんなテクノロジーとの生々しい触れ合い方。10代のSF好きは皆、痺れたわけです。僕も例外ではなかった。

 大学の思い出は……、ないも同然ですかね。3浪した後に1993年、2部に入りまして。たしか工学部情報科です、今となっては名前もあやふやですが。そこで何も学ばず2年で中退し、目指すものが具現化できないままモラトリアムを過ごしてしまった。ただ、アート寄りのことがやりたいという漠然とした願望があったんです。グラフィカルなもの、絵とデザインの中間。漫画は、雑誌にいろいろ投稿していたんですけど。その縁で、月刊雑誌「Vジャンプ」(集英社)の投稿ページのイラストの仕事をいただいた。

――その一方で、漫画のほかにも、創作活動を多種多彩に展開していったそうですね。

 仕事としては、交通関係のコンサルに転がり込みました。都市・道路計画の管理で、政策の立案補助をするんです。道路図を描いたり、歩道の完成予想図的なものを描いたり。ときどき、長いお休みをもらって投稿用の漫画を描いていました。当時は「漫画家を目指している」というセルフイメージだったんですね。ちょっと暗い時代だったんですけど。

 それから、友達とグループ展をやっていました。美大には進まなかったけれど、創作活動をやりたいという人同士で集まって。立体作品をつくり、銀座や下北沢のギャラリーで展示するんです。曲線、曲面のグニャグニャしたものが好きで、粘土でつくっていました。30代になってからはウェブ、イラストの仕事に従事し、フリーに転じたのは36歳です。

 文章は、漫画と並行してずっと書いていました。「月刊OUT」(みのり書房)って知っていますか。80年代の投稿雑誌として一世風靡した雑誌。あそこにイラストと、シュールでユーモラスな文章を100字ぐらい。いまのツイッターと同じですよね、はがきに書けるぐらいのボリューム。「三つ子の魂」というか、ツイッターは自分にとって格好のメディアです。気に入った人は「いいね」をつけてくれる、まさに「大喜利」のシステムですよね。

――この本を読んでしまった人は今後、ウナギを食べるたびにこの物語を思い出すことは確実。そんなふうに、日常で暮らすなかですぐ傍にあるものに焦点をあてた物語は、後味を引きます。

 前作『母になる、石の礫で』のようなハードなSFも描きたいですけど、今回の「うなぎ」で自分の中に新しい方向性が生まれたんじゃないかなと思っています。小説だけではなく、今、ツイッターやっているような短文もすごく好き。並行してやっていきたいですね。