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ジャズレコード100年 表現への衝動、言葉にも波及

ジャズ喫茶で生演奏に聴き入る人たち=1971年

 自分はジャズが好きで、聴くだけでなく、ときどきフルート抱えて演奏などもしているのだけれど、自分がジャズを聴きだしたのは高校生だった一九七〇年代初頭、レコードは高価だったからそうは買えず、だから聴くのはジャズ喫茶およびFMラジオ。当時はフリー・コンセプトの全盛期で、このいわゆるフリージャズは、聴き手に精神の緊張を強いるところがあるから、必ずしも耳に心地よいとはいえなかったけれど、ジャズ喫茶の暗がりで我慢強く耳を傾ける一方、モダンジャズ黄金時代ともいうべき五〇年代六〇年代に遡(さかのぼ)って「本場」の「名盤」を聴き楽しんだのは、自分くらいの世代では、平均的なジャズの聴き手(リスナー)だったといえるだろう。

革新から拡散へ

 ジャズという言葉は、昭和三〇年代ごろまでの日本では、広くポピュラー洋楽を指してそう呼んでいたが、狭義にはモダンジャズ、すなわち一九四〇年前後にチャーリー・パーカーらが創始した即興を中核にした音楽のことであり、黒人音楽を根にしながら、ダンス音楽から聴くための音楽へと脱皮するところからはじまったこのジャンルは、他の近代芸術同様、次々と様式(スタイル)を革新することで表現の領野を拓(ひら)いていく運動を、ほんの三十年ほどの間に疾走するように繰り広げたが、一九七〇年前後にエネルギーを解放しつくして拡散し、前衛になお踏みとどまって新たな表現を求めたごく一部の尖鋭(せんえい)な音楽家を除いて、多くのジャズマンが古い様式に回帰する(古典ジャズ)か、他の音楽ジャンルとの混淆(こんとん)(フュージョン)に向かうこととなった。つまり七〇年代にジャズを知った自分は「間に合わなかった」ので、それをべつに残念とも口惜しいとも思わないけれど、六〇年代後半の、ジャズが最後の焰(ほのお)を燃やして輝いた時代への憧憬(しょうけい)があるのを否定しない。

燃えさかる前衛

 相倉久人『ジャズからの挨拶(あいさつ)』は一九六八年出版の評論集で、モダンジャズが最も熱かった時代、燃焼の坩堝(るつぼ)のただなかで書かれた文章が集められている。最初に置かれた「構造と歴史」の章をはじめ、ジャズという音楽を巡る基本的な問題をほぼあますことなく理論する、その精緻(せいち)な分析と鋭い洞察にはいまなお感心させられる。ことに五〇年代六〇年代の模倣期を経て、七〇年代に開花する日本ジャズの胎動にも正しく眼(め)が配られているのが、当然とはいえ嬉(うれ)しい。
 自分のジャズ趣味も、最初は「本場」のレコードを聴くところからはじまったのだけれど、都内近県のライブハウスへ通うようになるにつれて、日本人ジャズ演奏家にがぜん重心を移すことになり、まあ当然のことながら、ジャズ(に限らぬが)はライブが面白いわけである。
 日本のジャズ史では、内田晃一『日本のジャズ史 戦前戦後』(スイング・ジャーナル社、絶版)なる著作があって、これは明治末から一九七〇年代までの、つまり広義の日本ジャズの展開を扱った、きわめて浩瀚(こうかん)な、決定版とも呼ぶべき著作である。狭義の意味での日本ジャズ史もいくつかあるけれど、一つだけあげれば、副島輝人『日本フリージャズ史』が、エネルギーがなおさかんで、前衛という言葉に現実味があった時代の熱気を生々しく伝えて面白い。
 ジャズは音楽に限らず、その発想や感覚はさまざまな領域に波及した。自分の専門である言葉のジャンルについていえば、ジャズの精神を根幹に据えた表現はたくさんあって、そのあたりはマイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化』(青土社、2592円)などの著作が主題的に論じているが、そんななか、一つだけあげろといわれたなら、やはり山下洋輔『風雲ジャズ帖(ちょう)』になる。これはまさに言葉でするフリージャズであって、これ以上に自分が影響を受けた書物はほかにない。=朝日新聞2017年3月19日掲載