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オバマ大統領と広島 原爆投下めぐる論争を超えて

被爆直後の広島=1945年9月

 オバマ米大統領が広島を訪れることが決まった。現職米大統領の被爆地訪問は初めてだ。
 任期切れを前に「政治的遺産をつくる狙いだ」など様々な臆測が流れている。しかし、原爆投下をめぐって、米社会が長く論争を重ねてきた歴史を理解することなしには、訪問の意義はとらえ切れないだろう。
 原爆の惨禍を世界に広く知らせたのは、米国人ジャーナリストだった。ジョン・ハーシー『ヒロシマ』である。被爆後の広島に入ったハーシーは、牧師、医師、戦争で夫を失った女性ら生存者に聞き書きを行った。取材の際に「私は人道主義の立場から被害調査をしたい」と語ったという。3万語の長文ルポは、6人の登場人物の体験を通して、キノコ雲の下で起こった悲劇を淡々と描いた。
 伝統ある週刊誌「ニューヨーカー」は1946年8月31日号のすべての誌面を使い、「原爆の信じがたいほどの破壊力をほとんどだれも理解していない」という告知を添えて掲載した。
 雑誌はたちまち完売。各地の新聞が抜粋を掲載し、ラジオで全文が朗読された。原爆は「真珠湾の報復」と信じていた米国民は衝撃を受け、原爆の使用を疑問視する声が広がり始めた。

冷戦と正当化論

 そこで反論として、「原爆が戦争の終結を早め、多くの人命を救った」という新たな正当化論が浮上。代表的なものが投下を決断したスティムソン元米陸軍長官の47年の論文で、米国の実質的な公式見解となった。
 国際環境の影響もある。冷戦下では核兵器で国を守るという考えが基本である。投下正当化は譲れない。こうした米国の原爆観の推移については、油井大三郎『なぜ戦争観は衝突するか 日本とアメリカ』(岩波現代文庫・1404円)が詳しい。
 しかし、なお異論は残った。第2次大戦の英雄で、後に大統領を務めたアイゼンハワーは、退任後の63年に出した回想で「日本はすでに敗れているのだから原爆投下は全く不必要だ」(『アイゼンハワー回顧録』みすず書房・品切れ)と投下前に進言していたことを明かした。

内省する思索も

 原爆観の対立が頂点に達したのが95年の「エノラ・ゲイ展論争」だった。ワシントンにあるスミソニアン航空宇宙博物館が、原爆を落とした爆撃機エノラ・ゲイの展示にあたり、被爆の実態や後の軍拡競争に与えた影響を含む展示を計画した。
 退役軍人団体など保守勢力が「米軍人の名誉を傷つける」と反発。議会も巻き込んだ問題に発展し、展示は骨抜きにされ、マーティン・ハーウィット館長は辞任に追い込まれた。同館長の『拒絶された原爆展』は、「未来に向かうわれわれの最良の道案内はわれわれ自身の過去を知ることである」と信じた試みが、狭隘(きょうあい)な愛国心の前に挫折した記録である。
 この論争は多くの米国の日本研究者を巻き込んだ。戦前の日本に批判的だった彼らは、同様に厳しい目を自国へ向けた。ジョン・ダワー『忘却のしかた、記憶のしかた』は「アメリカには誇るべきものも多く、批判的に考えるべきものも多大にある」とし、「正面切って向きあわねばならない」と提言する。
 決して多数派にはならなかったが、米社会には原爆の使用について、深く内省する思索や動きが続いてきたのである。
 オバマ大統領は、政治家として、訪問のプラスマイナスを計算していることだろう。謝罪を避ける政治的配慮もしている。しかし、唯一核兵器を使用した米国には、核兵器のない世界を求める「道徳的責任がある」と2009年のプラハ演説で述べた大統領は、リスクある訪問を決断した。そこには、ハーシー以来、米社会に流れるひとつの思想水脈が読み取れる。=朝日新聞2016年5月22日掲載