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永六輔その世界 自由な言葉――読む、聴く、考える

旅をして人と会い、よく書き、よくしゃべった=1986年撮影

 短文作家という名称があるかどうか知らないが、永六輔を作家としてくくるとすれば、彼の全著作はすべて短い文章によって書かれている。
 初期の著書『死にはする 殺されはしない』(話の特集・絶版)は論文調のエッセー集だった。長編小説やドキュメンタリーにも挑戦するのだが、いずれも挫折している。筆が乗らないのだ。「話の特集」の連載で初めて成功したのが、芸人のエピソードを並べた『芸人 その世界』だった。後に本になった時に前書きで、「この本は肩身のせまい、後ろめたい本である」と告白しているように、いわば他人の褌(ふんどし)で相撲を取っている。
 しかし、永六輔以外の誰にも書けない本なのである。短文作家の真骨頂には、実は生い立ちの秘密があった。
 昭和ヒトケタ生まれ。少国民と呼ばれる軍国少年であった。ところが病弱だった永少年は、本を読み、ラジオを聞く毎日だった。そして学童疎開から戻ると東京は焼け野原。浅草の生家・最尊寺は跡形もなかった。

すべては短文で

 NHKラジオの「日曜娯楽版」に投稿したコントが採用され、三木鶏郎(とりろう)グループの一員になったのが高校生の時だった。放送作家から作詞家になり、テレビの創生期に関わる。つまりマルチタレントとして何でもやるしかなかった。すべては短文の世界だった。ある時は口立てという場合もあり、自分で出演することにもなる。
 永さんにとって、言葉は大切なツールだった。むしろそれがどう有効に使えるかがテーマであった。ラジオ、テレビ、作詞家、脚本家のどれでも、彼には言葉ありきだったのだ。
 『職人』という本が生まれるのは、国がメートル法を制定し、曲尺(かねじゃく)鯨尺(くじらじゃく)を禁止したことに出発している。永さんは尺貫法を復活させるために日本中の職人のために立ち上がる。
 自費で曲尺鯨尺を作り、それを持って全国行脚しながら売り歩く。話の特集営業部の名刺を作って、社員一人との二人旅。それが「六輔七転八倒九百円」の市民運動だった。ついに十年目にこの運動は勝利する。その間に集めた北海道から沖縄までの全国の職人たちとの対話を記録したものが『職人』になった。
 面白く楽しく語り継ぐということには、生い立ちのコント作家の血が流れている。言葉を無駄遣いしないという覚悟がみなぎっているのである。
 「話の特集」で二十六年連載した「無名人語録」シリーズは、「週刊金曜日」に引き継がれて十九年の計四十五年の連載記録を作った。その中から『大往生』(岩波新書・799円)をはじめとする多くの著書が誕生している。

深い反戦の意志

 永六輔作品集『上を向いて歩こう』というCDには五十曲が収録されているが、これを順番に聴いてみると、やはり流れが見えてくる。中村八大、いずみたくという作曲家の作品には坂本九、デューク・エイセスのナンバーが多い。やがて自分自身が歌手としても登場する。歌は自分が歌わなくては言葉が生きて伝わらないと考えたのだ。
 何を試みても安心しない。次から次に新しいものにチャレンジする精神は衰えることがなかった。どの現場でも何よりも言葉を大切にして生きてきた。
 もちろん言葉を裏付ける行動も伴っていた。徹底した反骨精神は反権力、反権威につながっている。叙勲制度には反対の立場を貫いた。理由として「天皇制に反対です」と、堂々と言った。天皇は嫌いではない。むしろ同世代という連帯感もある。しかし、軍国少年だった頃の屈辱感は消えることはなかった。
 「ここはどこだ」を是非聴いて欲しい。沖縄への想(おも)いと深い反戦の意志が聞こえてくる。=朝日新聞2016年9月11日掲載