元号は、現在では日本にしか存在していない。中国で、紀元前2世紀に作られた建元が世界初の元号とされているが、その中国でも今や使われていない。
また、ひとりの天皇の在位期間と一つの元号を一致させる「一世一元」にいたっては、慶應から明治への改元に際して決められた、非常に新しいルールである。
昨年夏から続く天皇の退位を巡る議論では「2019年元日からの改元」が報じられている。その理由は、1979年に制定された元号法によって、「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」と定められ、退位と改元は同義だからだ。
こうした元号の歴史をはじめとして、細かいエピソードに至るまで網羅的に調べ尽くした事典が、折良く、少し手に取りやすい『日本年号史大事典〔普及版〕』として再版された。
同書をひもとくと、日本初の元号が645年の「大化」であること、そして、その後の空白期間を経て、現在の「平成」に至るまで247個もの元号が、1300年以上にわたって途切れずに続いている、といった、基本的な歴史を理解できる。
元号を擬人化することによって、わかりやすくこれまでの歴史を伝えようと試みたマンガが『アラサーの平成ちゃん、日本史を学ぶ』(もぐら、藤井青銅著、竹書房・1296円)だ。
権威象徴の歴史
重厚な事典と軽妙なマンガ。この2冊からは、長く、そして、ある一筋の元号の歴史が浮かびあがる。
それは、幕府が権力を握っていた江戸時代においてもなお、元号が天皇の権威や権力を示すシンボルとして機能してきた歴史である。
そうした歴史を経て、明治への改元と同時に「一世一元」が定められたために、明治以後の日本人にとって元号は、とりわけ重要な意味を持つようになる。
この意味について、森鷗外を中心として描いた作品が、今も文庫版で手軽に読める『天皇の影法師』だ。作家猪瀬直樹の書き下ろしデビュー作であり、「純文学も批評もミステリーもノンフィクションも学術論文も兼ね備えたもの」という欲張りさが存分に発揮されている。批評家東浩紀との巻末特別対談は、昨年夏から続く退位をめぐる議論を考える上でも示唆に富む。
猪瀬は、「昭和」への改元にあたって起きた、東京日日新聞(現在の毎日新聞)が「元号は光文」と誤報した事件を解き明かす。その後、「次の元号」をスクープしようとするメディアの欲望は、昭和からの改元に向けてさらに高まりを見せる。
昭和末期において、退位とは天皇の「崩御」と同義であったため、「次の元号」をめぐる取材は、不謹慎の誹(そし)りを受けながら水面下でヒートアップしていったのである。『昭和最後の日』は当時の状況を克明に描く。
平成からの改元に向けて、いま一度あの頃の報道を見直すためにも同書は役に立つ。
時代を表す役割
他方で、元号については、西暦の方が便利だとか合理的だといった理由で、これまでたびたび廃止論が唱えられてきた。
しかしながら、猪瀬が森鷗外を参照しながら述べるように、元号は、「合理主義で片付かない問題」として、これまでも日本で扱われてきた。
天皇は、日本国および日本国民統合の象徴であり、その在位期間と一致している現在の元号も、象徴として機能している。
さらに、元号は、とりわけ戦後において、各時代のまとまりをつかむインデックスとなったがゆえに、合理的ではないにもかかわらず、使われ続けてきた。
1300年の物語に思いを馳(は)せながら、天皇や「次の元号」についてオープンに議論することが、いま求められている。=朝日新聞2017年2月19日掲載