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荒井良二さんの絵本「あさになったのでまどをあけますよ」 2011年の奥付に思いを込めて

文:岩本恵美、写真:有村蓮

――2011年、東日本大震災が起きた年の12月に絵本『あさになったのでまどをあけますよ』は刊行された。いろんな場所に住む子どもたちが朝になると窓を開け、そこから見える景色を慈しみながら新しい一日を迎える。カラフルな色づかいに自由奔放なタッチ、素朴な文章――。震災とは無縁の印象だが、絵本を開くと、あの時誰しもが心を揺さぶられた感情や記憶がよみがえってくる。

 もともとは、風景を扱った絵本を作るということで進行していた作品でした。風景を見たりスケッチしたりするのは日常的に行っていたことだったので、そこから何か絵本にできないかなと思っていたんです。

 その制作中に震災が起こって、どうしても2011年中に出したいという気持ちが強くなっていったんですよね。2011年の奥付が欲しかったんです。作り手側からすると奥付っていうのは大事な記録。それと、奥付に気が付いた人たちが「この絵本は2011年に作られたのか」と思うことで、あの時感じていたものや思い出されるものなどが絵本に関係なく引き出されれば、なおいいなと思って、そこはこだわりました。

東京・原宿にある絵本カフェ「CAFE SEE MORE GLASS」にて。お店の看板の絵は荒井さんが手掛けた

――震災後、何度も被災地へと足を運び、故郷である山形の東北芸術工科大学の教師と学生らと共にボランティアでワークショップを開催。「上を見上げる」ことをコンセプトに、老若男女の参加者らと共に旗を作った。絵本のアイデアも、そうしたワークショップの中から生まれた。

 ワークショップの度に反省会ってわけじゃないんですけど、振り返りのディスカッションがあるんです。そこで「荒井さん、どうだった?」って聞かれて、「俺たちがやることって、せいぜい朝になったらカーテンを開けたりする役目だよね」って答えたのを覚えていたんですよね。僕らは毛布を提供するわけでもないし、水や食料を持っていくわけでもない。目に見えないものを共有しようとしているから、即効性ははっきりいってない。でも、阪神淡路の時もそうだったけど、震災の心の問題とかは、数年経っても癒えないどころか、ますます増大していく。

 毎回、ワークショップでやっぱり落ち込むわけですよ。こっちは普通のワークショップをやりに行くんだって日常性を持って臨んでも、あっちには日常っていうものがないじゃないかって……。でも、だからこそ、続けるってことに意義があると思って。僕らの役目って、朝になったらカーテンを開けたり、ちょっと寒いなってなったらドアを閉めたり、日常の感覚を少しずつ呼び戻すことかなと思うんです。それで、それがそのままタイトルになるのがいいんじゃないかなと考えました。

――意外にも、絵本づくりはタイトルを決めるところから始まるという。

 どの絵本でもそうなんですけど、タイトルができた時は、絵本の半分はできたなっていう気がします。タイトルがないと進まないんですよ。灯台の明かりみたいな感じ。山の頂上とでもいうか。山のふもとでいくら迷ってもいいけど、お前が行くところはあそこだよって示してくれるのがタイトル。それが視界に入っているということが大事かなと思っています。

――タイトルの次は文章。そして構成を考える。文章は必ず声に出して読むのが習慣だ。

 自分が書いた文って、やっぱり声に出して反復することで「あ、この文はいらないな」とか「この文が足りないな」とか、「この文は次のページに回した方がいいな」とか分かりますよね。音の感覚で心地いいかを確かめたい。お風呂場でけっこうやりますね(笑)。メモは持ち込まずに、頭の中も素っ裸状態でお風呂に入って、思い出しながら声に出します。だから、お風呂から出てすぐ直したりすることもありますね。次の朝起きたら、「やっぱりこの文はいるな」とか、行ったり来たり。でも、だから面白いんです。

それまでモノクロの線画だったラフだが、無意識のうちに色鉛筆で色をつけていた

――文章と構成が決まったら、いよいよ絵に取り掛かる。『あさになったのでまどをあけますよ』で描いたのは、さまざまな街の風景に海や山々。「どこかで見たことがある」と思える景色が広がる。

 誰しもやっぱり映像の記憶をたくさん持っているんですよ。たとえば、「大都会」っていうと、ニューヨークの摩天楼みたいなイメージを思い浮かべる。特別に何か資料を見て描くのではなくて、ここでもありそうで、あそこでもあるなという感じで絵にしていきました。すごくおしゃれな大都会かと思えば、何となく田舎くさい。ダブルイメージ、トリプルイメージを重ねてコントロールしながら描きましたね。でも、絵本の絵は流れの中の一場面として見せなくちゃいけないから、少し情報量は抑えるようにしていました。やっぱり絵本の絵というのが終着点ですからね。

 被災地でワークショップをすると、水が怖い、暗いのが怖いっていう子どもたちがいたんですよね。だから、夜ではなく、朝の連なりみたいなものを描こうと思いました。海を描くことに後ろめたさみたいなものはありましたけど、海って人間が生まれる前からあるものだから、それはあえて風景の一つとして描きました。震災のことは人間としては揺れ動いているんだけれども、この絵本を作るにあたっては「震災」をビジュアルに出してしまってはよくないと、肝に銘じていましたね。やっぱり、長い間読み継がれるものにしたいし、長く愛されるものでなければ2011年という奥付の意味も効いてこないですから。

――5年後、『きょうはそらにまるいつき』では夜を描いた。『あさになったのでまどをあけますよ』とはまるで対になるかのような絵本だ。

 最初はそのつもりはなかったんですけど、作っているうちに『あさになったのでまどをあけますよ』とつながっているなということに気が付きました。

 夜は必ずくるもの。子どもたちは暗い夜が怖いと言っていたけど、朝がくる前の段階だと考えれば違って見えてくる。そのためには、夜も必要だってことに慣れないといけないと思ったんです。だから、夜を描いて、みんなが共通して見上げるお月さんの絵本を作りました。

 絵本って、必ずしも子どもだけのものではないですよね。人生のエッセンスが実は入っている。50年前に作られた絵本でもすごくいい絵本っていうのは、絵は少し古くても言っていることは少しも古めいていない。絵本のよさってそこにあるなと思っています。