ポストモダン思想でも難解とされる仏の哲学者ジル・ドゥルーズが映画を論じた『シネマ』が、「わかる」と話題の入門書。書き上げたのは、92年生まれの26歳、横浜国大の大学院生だ。
岡山県の地方都市で育った。手ごわい本とのつきあい方は、中学生の頃、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』で身につけた。「さっぱり読めなかった。やたら登場人物が多いし、アリョーシャがアレクセイのあだ名だってわからなくて」。そこで、一人ずつ登場箇所をメモに整理した。物語が入ってきた。
学部時代、ドゥルーズの主著『差異と反復』も「カラマーゾフのように読んだ」。「繰り返し出てくる概念がそれぞれの文脈でどう使われているか丁寧に比較すれば、読めるんです」。映画にものめり込み、ミニシアターに通う中で『シネマ』にたどり着く。「自分の思想を説明する例に映画を使うのでも、映画を思想で読み解くのでもない。映画を通じて哲学を作り替えようとしていた」
昨年、知人のキュレーターに『シネマ』がわからないと言われ、「5時間くれれば」とイベントでレクチャー。その動画が編集者の目にとまった。原著にあふれる監督や作品の固有名詞にはほぼ触れず、打ち出したのは「単に見ること」の擁護。ドゥルーズは、哲学者ベルクソンをひもときながら映画を論じていく。「読んで、見ると、当然こうなる、ということが書いてある」。翻訳では「文字どおり」「見たまま」などと訳し分けられている仏語の「littéral(リテラル)」を概念として新たに提示した。
映画批評も手がける。スマホで簡単に動画が加工できる今、多くの人が作り手になれる幻想に囚(とら)われている、とみる。4Dで映画に参加する錯覚に陥り、SNSで感想を言うことが目的化した観客たち。大半の人は消費者に過ぎない。「貧しくなっていく日本しか見ていない僕らの世代には、その幻想ですら一種の救いです」
だからこそ、ただ読む、ただ見ることから始めよう、と言う。「そこから、作り手すら気付いていなかった新しいものが生まれる」。哲学と批評の可能性が、その先にある。(文・写真 滝沢文那)=朝日新聞2018年9月8日掲載
編集部一押し!
- 新書速報 金融史の視点から社会構造も炙り出す「三井大坂両替店」 田中大喜の新書速報 田中大喜
-
- 朝宮運河のホラーワールド渉猟 彩坂美月さん「double~彼岸荘の殺人~」インタビュー 幽霊屋敷ホラーの新機軸に挑む 朝宮運河
-
- インタビュー 井上荒野さん「照子と瑠衣」インタビュー 世代を超えた痛快シスターフッドは、読む「生きる希望」 PR by 祥伝社
- インタビュー 「エドワード・サイード ある批評家の残響」中井亜佐子さんインタビュー 研究・批評通じパレスチナを発信した生涯 篠原諄也
- BLことはじめ BL担当書店員の気になる一冊【2024年1月〜3月の近刊&新刊より】 井上將利
- 杉江松恋「日出る処のニューヒット」 加速する冤罪ミステリー「兎は薄氷に駆ける」 親子二代にわたる悲劇、貴志祐介の読ませる技巧に驚く(第12回) 杉江松恋
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(後編) 辞書は民主主義のよりどころ PR by 三省堂
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(前編) 「AI時代」の辞書の役割とは PR by 三省堂
- インタビュー 村山由佳さん「二人キリ」インタビュー 性愛の極北に至ったはみ出し者の純粋さに向き合う PR by 集英社
- 朝日ブックアカデミー 専門外の本を読もう 鈴木哲也・京大学術出版会編集長が語る「学術書の読み方」 PR by 京都大学学術出版会
- 朝日ブックアカデミー 獣医師の仕事に胸が熱く 藤岡陽子さんが語る執筆の舞台裏 「リラの花咲くけものみち」刊行記念トークイベント PR by 光文社
- 朝日ブックアカデミー 内なる読者を大切に 月村了衛さんが語る「作家とはなにか」 「半暮刻」刊行記念トークイベント PR by 双葉社