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作家の読書道 第197回:小野寺史宜さん

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――一番古い読書の記憶といいますと。

 たぶん幼稚園の頃だと思うんですが、『ぐりとぐら』の絵本ですね。それはやはり、あの大きな「かすてら」の絵の印象が強いからだと思うんですけれど。借りたのではなく、家にあった気がするので、たぶん母親が買ったんでしょうね。

 小学校低学年になると、ポプラ社さんとか偕成社さんの伝記のシリーズを読みました。装丁でひと目で分かるので、出版社名も憶えていましたね。なんでそんなに伝記が好きだったのか分からないですけれど、まあ読みやすかったんでしょう。エジソンとかワシントンとかリンカーンとか、豊臣秀吉とかベーブ・ルースとか。ちょっと見てみたら昔よりは伝記シリーズの数が少なくなっているような気がしましたが、昔はいろんな人の伝記がありましたよね。今は漫画の伝記のほうが増えているのかもしれませんが。僕の頃は秀吉とか信長とか家康の伝記は当たり前のようにあったので、それで歴史関係のものが好きになった気がします。まだ小学生でしたけれど、神社とかお寺といった建物など、歴史を感じさせるものが好きだったことを思い出しました。

――千葉のご出身でしたよね。近所になにか有名なお寺があったりとか?

 いえいえ。僕、生まれは松戸市で、途中から市原市に引っ越して、最終的には千葉市にいました。近所には有名なお寺などはなかったけれど、木の祠とか、そういうものがある感じが好きでした。そこから、城を含めて、街みたいなものが好きになっていったんだと思います。

――歴史関連の本や図鑑を読んだりするようになったのですか。

 そうですね。子ども向けでもちょこちょこあるんですよ。豊臣秀吉絡みでも蜂須賀小六が主人公の話とか。ただ今考えれば、そういうのを読んでいたのも、歴史どうこうよりも、街の感じが好きだったからだと思います。

――文章を読むことが好きな子どもでしたか。

 はい、母親がわりと本を与えてくれていたんでしょうね。移動図書館にも行って、本を選んでいた記憶があります。誕生日プレゼントも「本を何冊」にしてもらっていましたね。だから僕、ゲームとかを買ってもらったことがないです。

 家の近所の小さい本屋にも行きました。そこにソノラマ文庫の、小中学生向けのSFのジュブナイルのようなものがわりと揃っていたので、小学校高学年になるとその中から適当に選んで読んでいました。「宇宙戦艦ヤマト」の小説版みたいなものもあったと思いますが、それよりも日常の中で少し不思議なことが起こる話を選んでいた気がします。だから、この頃から本を買っていたんですよね。そこから派生して読むようになったのが、新潮文庫ですね。

――出版社名やレーベル名をちゃんと認識してらしたんですねえ。

 新潮文庫は栞代わりの紐、スピンがついているじゃないですか。それに、ルパンとかホームズとかもあったじゃないですか。当時は値段も安かったし、買いやすかったですね。ホームズとかも刊行されているものは割と読んでいたと思います。で、これも結局何が好きだったのかというと、キャラクターとかよりも、ロンドンの街とかが出てくるあの感じが好きだったんだなと、高校生くらいの時に気づきました。だからなのか、ルパンよりホームズのほうが好きでしたし。それと、僕の世代だと星新一さんの文庫は手に取りやすくて読んでいましたね。そこでソノラマ文庫のSFとはまた違う、SFに触れていました。だから小学生のうちに歴史と推理とSFは一通り読んでいたことになりますね。

――ああ、エンタメの基本を。

 ほかには『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』とか、『十五少年漂流記』とか『ドリトル先生航海記』といった、世界の名作もいろいろと読みましたね。必ずしも本ばかり読んでいる奴ではなくて、草野球などもしつつ、本もよく読んでいたなっていう。

©新潮社写真部
©新潮社写真部

はじめて読んだ大人向け現代小説は

――文章を書くことはいかがでしたか。

 今回思い出したんですけれど、僕、小学校の4年か5年の頃に週1回の校内クラブで創作文クラブみたいなものに入っていたことがあって。半年に1回変わるんですけれど、人気のあるクラブに入れなくてそこを選んだんだと思うんです。担当は女性の先生で、他に生徒は4人くらい、僕以外みんな女子で。一応創作クラブなので、書くわけです。わりと本は読んでいるほうなので結構いけるだろう、と調子こいて探偵小説みたいなものを書いたんです。しかも、外国の小説を読んでいるから、私立探偵で金髪の秘書のルーシーだか何だかがいるという設定で(笑)。そうしたら女子にはポカーンとされ、先生にはちょっと嫌な顔をされた感じがあったのを憶えています。「これは褒められんじゃね」くらいに思っていたのに「ああ、そうですか」みたいな感じで。

――え、なんででしょう。殺人事件を起こしたんですか。

 殺人は自重したかもしれないですね。ですが、「なんだよ秘書って」というような反応でした。それとは別に、お楽しみ会では自分で話を作って紙芝居をやったりしていましたから、話を作るのは好きだったと思います。

――作家になりたい気持ちは小学生の頃からありましたか。

 ありましたね。なる自信があったという意味ではなくて、たぶん、作家くらいしかないだろうという気持ちでしたね、傲慢なんですけれど。「だって他にやりたいことないし」みたいなふうに、漠然と思っていました。漫画家と言っていた時期もありましたが、それはカモフラージュというか、美味しいものは後にとっておく、みたいな気分で(笑)。というわりに、実際に小説を書き始めるのは遅いんですけれど。

――漫画もよく読んでいたのですか。

 人並には読んでいたんですけれど、そんなにハマったものはなくて。唯一これは好きだったなというのは『マカロニほうれん荘』ですね。知ってます?

――知ってますよ! 高校生が主人公の、はちゃめちゃなギャグ漫画でしたよね。なんでしたっけ、きんどーちゃんとかいましたよね?

 金藤日陽です。女性言葉を使う40歳男性ですが落第を繰り返して今も高校生だという。すごい漫画ですよね、今考えると。他にもいろいろ流行した漫画もありましたけれどあまり興味がわかなくて、これがはじめて完全に好きになった漫画ですね。中学校ではどの教室の後ろにもあだち充さんの『タッチ』が並んでいましたけどね。『タッチ』を介して仲良くなる男女がいたりとか、そういうのがちょっと気持ち悪いって思っていました。何かそれをダシにしているような、作為的なものを感じて(笑)。

――(笑)。小野寺さん、硬派だったんですか。

 なんでしょうね、あの感じがダメでしたね(笑)。

――では、中学生になってからの読書生活は。

 そのまま時代ものと推理ものとSFを並行して読みつつ、ちょっとずつ読むもののレベルが上がっていったように思います。

 中学2年か3年の時には、椎名誠さんの『わしらは怪しい探検隊』に出会うんですけど、これを読んだ流れで椎名さんの他の小説も読むようになりました。だから、はじめてちゃんと読んだ大人向けの現代小説は椎名さんかもしれません。この時はじめて、小説の単行本を買ったんだと思います。結構高いなと思いつつも、まだ文庫になっていない頃だったので。「怪しい探検隊」にはそれこそ目黒考二さんというか北上次郎さんが登場しますよね。だから今になってみると、すごく不思議な感じですよね。あの頃読んでいた北上さんが、今僕の本を読んでくれて書評とかを書いてくださっているのって。

 これもたまたまなんですが、僕は昔結構プロレスが好きで、大学生くらいの時に全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦というのがあって、その最終戦の招待券をもらったので、日本武道館に見に行ったことがあったんです。招待券なので受付で指定席券に替えてもらうんですけれど、そうしたら隣が椎名誠さんだったんです。ちょうど前後して指定席券に引き換えたということだと思うんですよね。おお、これはすごいなと思って、ブルーザー・ブロディとかジミー・スヌーカとかスタン・ハンセンを見ながら、椎名さんのこともちょっと(笑)。さすがにプライベートで来られているんでしょうから、話しかけることはできなかったです。これも今考えるとすごい偶然だなと思っています。

海外作家の短篇集が好きだった

――すごいですね。

 話は戻って、高校生の頃は、やっぱり新潮文庫のいろいろな翻訳小説を読みました。スタインベック短篇集とか、「ハックルベリー・フィン」の影響もあるんでしょうけれど、マーク・トウェイン短篇集とか、そういう外国文学の短篇をいろいろ読むようになりました。その流れで、最近上岡伸雄さん訳で新訳が出たシャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ、オハイオ』とかも、昔の訳で読みました。新訳も読みたいなと思っているんですけれど。これは結構好きだったんです。さきほどのホームズの街の話とかに繋がるんですけれど、これはワインズバーグという架空の街の話ですから。そこで連作の仲で登場人物がいろいろと重なって、ひとつの街を描いていくというのがすごくいいなと思っていました。長篇ですけれど、短篇の集合体。

――短篇集が多かったんですか。

 そうですね。これも今回気づいたんですけれど、やっぱり好きなのは短篇の人が多くて。僕も、最初に賞をいただいたのは短篇の賞であるオール讀物新人賞でしたし。
まず、ミニマムなものが好きというのがありますね。それと、とっつきやすいというのもある。短いスパンのものというか、短時間の出来事を写真のようにスパッと切り取るというのが面白いな、というのもある。長篇でも本当は、一晩の出来事とか、そういう短いものが好きなんですし、自分でもやりたいんですけれどね。ただ、この頃はそんなに短篇って意識していなくて、自然とそうなっていました。

 高校の教科書に載っていた井伏鱒二さんの「山椒魚」を読んで、はじめて「教科書ってこんな面白いものを載せているんだ」と思い、これもまた新潮文庫の井伏さんの短篇集も読みましたし。高校の教科書で面白いと思った二つ目は梶井基次郎の「檸檬」でした。意味が分からないけれど面白いって思いましたね。「本屋の棚にレモンを置いてきた」というだけの話なのに、なんでしょうね、あの面白さは。

 そうそう、これも椎名さん絡みなんですけれど、高校1年生の夏休みに、読書感想文の宿題がありますよね。それで椎名さんの『悶絶のエビフライライス』という、食堂で相席になった若い男とおっさんがもめて、割り箸とか刺して戦う、みたいな話があるんです。それで感想文を書いて提出したら、しばらくした後の授業で、「ふざけたことを書いてきた人もいましたが」みたいなことを言うので、「ああ、やばい、これは俺のことかな」と。結局、直接は注意はされなかったですけれどね。少しは何か言われるかなと思いましたが、そこまでの拒否反応が出るとは思いませんでした。

――大学は英文科に進まれたんですね。

 今でも全然英語は読めないし、書けないし、英検も持ってないんですけれど、ちょっと英語の成績がよかったし翻訳小説が好きだから英文科に行った、というようなものです。そこでデイモン・ラニアンとリング・ラードナーが好きになりました。

 ラニアンはニューヨークのブロードウェイを舞台にした話を書く人で、それこそブロードウェイミュージカルの『野郎どもと女たち』っていう、“Guys and Dolls”というミュージカルの原作を書いた人です。原作といっても、大幅に書き換えられちゃっていますけれど。1930年代から40年代くらいのニューヨークのブロードウェイの街、日本でいうと銀座みたいな感じの街を舞台にした、小悪党とか競馬の予想屋とかコソ泥みたいな奴とか、どちらかと言ったら底辺にいる人たちを書いた、それこそ短篇専門のような作家。元新聞記者だったらしいです。昔、新潮文庫から『ブロードウェイの天使』という本が出ていて、それではじめて読みました。ラニアンはかなり好きなので、僕の『ひりつく夜の音』という小説にもちょっと名前を出していますね。

 ラードナーは、これも最近新潮文庫さんの村上柴田翻訳堂で復刊した『アリバイ・アイク』っていう短篇集がありますね。ラードナーとラニアンは歳も1歳くらいしか違わなくて、ラードナーも新聞記者だったんですよね。で、やっぱり短篇の名手。ラードナーはいくつか長篇も書いていて、野球選手の一人称の語りの小説なんかも書いている。

 なんでこの2人にハマったかというと、やっぱり一人称の口語体の語りがすごく面白かったからです。ラニアンは完全にほぼ全部一人称で、ラードナーは三人称のものもあるんですけれど。アメリカの一人称の短篇がとても性に合って、何回も読みました。

 ラニアンの作品は、銀座の一丁目から八丁目くらいまでの狭いブロードウェイの街で起きる物語なんです。やっぱり場所の話が好きなんですよ。それならジョイスの『ダブリン市民』だって同じような感じですけれど、結局、それだけでなく、口語体の一人称がぴったりとはまった作品が好きなんです。

 他にレイモンド・チャンドラーもちょっと読んでいたので、やっぱり自分は一人称が好きなんだなと思いますね。自分の小説もほぼ全部一人称ですから。三人称は基本、三人称で書くことに意味がある時以外は使わないようにしようと思っているので。

――ラニアンとラードナーは、どちらも翻訳者はどなただったのですか。

 加島祥造さんです。加島さんは『ハックルベリ・フィンの冒険』も訳されていたと思います。僕、先に言ってしまうと、大学の卒論もハックフィンで書いているんです。まあ、やっつけで書いた、しょうもない卒論でしたけれど。電車一本でも遅れていたら締め切り時間に間に合わなかった、というような適当な感じで、子どもの感想文みたいな内容でした。だから、その頃の大学の知人で僕が将来物書きになると思った人なんて、本当に一人もいないと思いますね(笑)。

あの雑誌のあの欄に投稿!

――大学生時代は、はやり英米文学が多かったようですね。

 そうですね。ちなみに学生の頃、雑誌の「ぴあ」がまだあって、映画を観に行くわけでもないのに毎週買って、それを読むことで東京の街を知るみたいなところがあって。

――都内の映画館の上映スケジュールはもちろん、イベントや美術展などいろんな情報が載ってましたものねえ。

 その「ぴあ」に、「はみだし」というのがあったのって分かりますか。

――分かりますよ。各ページの左右の欄外に、くすっと笑ってしまうような一文の投稿欄があったんですよね。「はみだしYouとPia」という名前でしたっけ。

 僕、ハミダシストなんですよ。

――えええっ!

 わりと後期ですけどね。大学を卒業してからなんですけれど、小説を投稿しても何にも引っかからない暗黒の時代が相当長くて、その頃に何か評価が欲しかったんでしょうね。「ぴあ」に葉書を出すようになって。相当、何回も載りましたよ。その頃は春風亭昇太さんが審査員的なことをやっていて。

――ああ、そういう時期がありましたね!

 昇太さんの賞に金昇とか銀昇とか銅昇とかあって、僕は全部あわせて20個近く獲っています。

――ちなみに、投稿する際のペンネームは……。

 「翻る蛭蛙」でした。

――あ、新刊の『夜の側に立つ』にも出てくる名前ですね。

 あんまり載るから、1年間ずっと続けて載るか試してみたことがあって。葉書にいくつもネタを書けるので、捨てネタも用意して「これは捨てて、こっちに食いつくだろう」というのを考えて(笑)、実際1年1号も空けずに続けて載った時期がありました。でも、最後はなんか面倒くさくなって、「今日で引退、蛭蛙」って書いて送りました。誰もそんなこと意識していなかったと思いますけれど。でも、そういうネタって、無駄を削って削って作っていくじゃないですか。わりと、なんらかの修行にはなっていたと思うんです。

――じゃあ、大学卒業後は、小説と「ぴあ」の投稿生活だったのですか。

 大学卒業後、一応就職したんですけれど、2年で辞めているんです。会社辞めた次の日に秋葉原に行ってワープロを買って、さすがにもう書き始めようと思いました。

 それまではもう、いずれ書くけれど今書いてもたぶんロクなものが書けないなっていう思いがあったんです。でもそろそろやらなきゃダメだろうと思いました。でも、そこから長い暗黒時代が始まるんです。

――本格的に書いたのはそれが初めてでしたか。

 大学4年の時に僕、ニューオーリンズに行ったんです。卒業旅行みたいなものでした。それこそラニアンとかを読んでいた時期だったので、帰りの飛行機の中で旅のことを一人称小説風にガーッと書きました。それがもしかしたら本当の意味での最初の創作だったかもしれません。まあ、厳密には金髪のルーシーが最初なんですけれど(笑)。

――創作では最初から、現代人が主人公のリアリスティックな話を書かれていたのですか。

 そうですね。最初の頃は話し言葉を書き言葉に置き換えることに意義があるような気がして、全部そのスタイルで書いていました。勘違いといえば勘違いなんですけれど。無駄なことを長くやってました。でもそれから別の小説をいろいろ読むうちに、「それではダメなんだ」とは分かってきたので。

――その頃、どんな本を読んでいたのですか。

 さきほど『ひりつく夜の音』にラニアンの名前を出したといいましたが、同じアルゼンチンの作家、フリオ・コルタサルもそうです。岩波書店から出ている短篇集が好きで何回も読みました。これもその小説にちょっと書いているんですけれど、コルタサルは日常の中に急に非日常をポンと落とし込んでくるところがあって。

――いわゆるマジック・リアリズムですよね。別にあえて不思議なことを書いているのではなく、本当にそういうことが起きるのが日常だというふうに書いている。

 はい、やっぱり本当の日常の中で描かれているところに惹かれましたよね。あとは、カフカでは『城』が好きでした。短篇集が好きだというなかで、あれは唯一、長篇といえば長篇ですよね。

――そうですね。城に雇われてやってきた測量士が、どうしても城にたどり着けないという。

 あれは未完の長篇ですけれど、あの先が続いたとしても、きっと城にたどり着けない。もし「はい、たどり着いて測量しました。終わり」ってなったら、そっちのほうが度肝抜かれますよね(笑)。

 他には、安部公房、中上健次とか。宮沢賢治からはわりと、表現的なことを学びました。学んだというほどではないけれど、「オツベルと象」の「のんのんのんのんやっていた」とか。わざわざ難しいこと書かなくてもいいなという意味で。安部公房は『砂の女』とか『燃えつきた地図』が好きで、『』とか『箱男』ほど日常から離れすぎないところがよかった。中上健次も読みましたね。一時期は、自分も中上っぽいものを書いていましたね。なんでだか分からないけれど。

 海外小説だと、ジャック・ケルアックや、その流れでチャールズ・ブコウスキーとかポール・オースターも読みました。ケルアックとオースターはちょっと違いますけれど。ラニアンとラードナーみたいな柔らかい感じのものと、コルタサルとカフカみたいな全然違ったものと、両極端なものを読んでいたことになりますね。

 カフカとかって、読んでいると常にさわさわする感じで、それがいいですよね。その読んでいる時の感じというのがすごく重要で、それこそラニアンでもコルタサルでもそうなんですけれど。音楽って、すでにどんな演奏がされるか知っているのに好きな曲なら何度でも聴きたくなるじゃないですか。そういう小説を書きたいんですよね。読んでいる瞬間が楽しい、文字を追っている瞬間が楽しい、みたいなものが書きたい。今回、自分が読んできたものを振り返ってみて、読むのもそういうものが好きだったんだなと気づいて、納得しました。

――短篇を繰り返し読む場合は、最初から最後まで読むわけですよね。この部分だけ、というのではなくて。

 はい。最終行まで読んですぐにまた最初に戻って読んだりします。でも読書記録などもつけていないし、読んだことを忘れる時もありますね。間違ってすでに読んだことのあるものを図書館で借りちゃった、というパターンはよくあります。

――分かります。案外、夢中になって読んだものでも、忘れちゃいますよね。

 登場人物の名前なんて、本2冊読んだら1冊前のことなんて忘れてしまうじゃないですか。だから、人が僕の作品の登場人物の名前を憶えているわけがないのも分かるので、インタビューなどで登場人物のことを説明したりするのが心苦しいんです。

――いやいやいや、そこは堂々としていてください(笑)。でもそうですか、でしたらこの賞に応募するんだったらどういう作品が受賞しているか過去作を研究する……といった読書はしなかったんですね。

 そういうことはまったくしなかったですね。対策というものはまったく考えなかった。むしろ「この賞にこういう小説送ってどうするんだ」っていう感じだったと思います。

――ご自身でジャンル的なこだわりや好みはなかったのですか。

 そこは変な欲というか色気はありました。どうしても書き始めの頃って、多少純文学に対する意識があるんですよね。でも、たしかリング・ラードナーの文庫解説に書かれていたんですけれど、ヴァージニア・ウルフが、野球の小説ばかり書いていたラードナーを評して「自分がシェイクスピアとどんな関係にあるのかをまったく意識していないところがいい」みたいなことを言っていて……うろ覚えなんですけれど。まあ、そういう趣旨のことを言っていたことに非常に助けられました。別にそんなもの意識しなくていいんだな、難しい書く必要もないし、って。そもそも純文とエンタメとか分ける必要もないじゃないですか、別に。だから、ヴァージニア・ウルフが良いこと言ってくれて、非常に気が楽になりました。

作風を変えてデビューが決まる

――投稿時代は、アルバイトをして小説を書いて……という日々ですか。1年にどれくらい応募していのでしょう。

 アルバイトもしていましたね。応募したのは、年に5~6本くらいは応募していたんじゃないですかね。まあ、全部落ちるわけです。落ちて1週間くらいブルーになって、また書き始めるという繰り返しでした。

 仕事を辞めてワープロを買いに行ったといっても、そんなにすぐ書けるわけではないので、今思えば最初は本当にひどいものを書いていました。さきほども言ったように、思いついたものをそのまますべて書いちゃっていましたから。シナリオも同時に書いていたんですけれど、途中で辞めました。だから、非常に遠回りしました。たまに初めて書いた小説で受賞、みたいな人がいるけれど、天才かよって思います、本当に。

 僕は最初は1次選考も通らなかったんですが、そうすると選評もないから何が悪かったのかも分からない。分からないままやっているからまた駄目で、という時期がありました。でも3年くらいたつと短篇が2次くらいに通って、そうなると「あ、これはちょっとやればいけるんじゃないか」と思って。結局、オール讀物で賞をいただいたのが37歳の時なので、13年くらい投稿生活をつづけました。

――今、シナリオも書いていたとおっしゃいましたね。

 はい。シナリオも応募していました。当時のトレンディドラマとか全然見ていなかったのに。そっちではちょっと小さい賞をいただいたりしていました。そっちのほうが向いているのかなと思いましたが、結局、シナリオは自分が書いてもそれで完成じゃないですからね。映像化できないと。で、やっぱり小説だなと思って。

 でも、シナリオの台詞にしても、削って削ってミニマムにしていく作業ですから、それは相当役立ったと思います。たぶん、会話文に生かされていると思います。

――さて、2006年に短篇「裏へ走り蹴り込め」でオール讀物新人賞を受賞され、その後2008年に『ROCKER』でポプラ社小説大賞の優秀賞を受賞されますよね。

 そうです。僕、オールの賞をいただく前、32歳から37歳まで勤めていたんです。それも「もういいかな」という感じになって「辞めます」といった直後にオールから「賞を獲りました」と連絡が来たので、これは相当助かったと思いました。でもまだまだそこからも暗黒時代は続きます。

 オールと同時期に野性時代青春文学大賞に長篇を応募したんですが、それは最終選考に残った3作をまるまる載せて読者に投票させるという賞で。僕も残ったんですけれど結局は落ちました。その後はオールに載せていただく短篇を書いていたんですけれど、なかなかうまくいかなくて。次に載るまでに2年くらいかかっています。その間に、プロアマ問わない小説賞なら応募してもいいと知って、じゃあポプラ社さんの賞に応募してみようかなって。オールで受賞したのはサッカーの話ですが、今度は女子高生の話を書いてみました。どちらも、それまで書いていたものとは全然違うんです。「このままじゃ駄目なんだな」っていうのがあって、それで書いてみたんです。

――そうしてデビューして、でも生活がガラッと変わったりは……。

 ないですね。本っ当に何も変わらないです。たいして友達がいるわけではないので、携帯にもメールにもそんなに連絡はなかったですし。でも、ちょっとはほっとしました。下手したら何の能力もないのに書いている無能野郎かもしれなかったわけですから。でも別に、これで暮らしていけるとは思わなかったです。

好きな現代作家、新作について

――読書生活は変わりましたか。

 図書館に行って、吟味せずに一度に10冊くらい借りてきて、いろんなものを読んでいました。今どんなものが読まれているのかとか、どんなものが好まれているのかくらいは知っておいたほうがいいと思いました。だからそこまで入れ込んで読むわけではないですけれど、やっぱり面白いものがあれば自分の中に残っていくじゃないですか。そういう感じで、距離を取りつつ読むようになりました。ラニアンとかコルタサルとかを何度も繰り返して読む以外のこともしようという感じで。

――その中で、「わ、これは好きだな」と思ったものはありましたか。

 堀江敏幸さんの『雪沼とその周辺』は、それこそ架空の街の話で、僕の趣味と合って面白かったですね。『未見坂』も。堀江さんとか、池澤夏樹さんとか、保坂和志さんとか、絲山秋子さんとかも読みましたね。

 でもこうして読書遍歴を振り返って分かったんですけれど、何か大作みたいなものよりも、小品のほうが好きなのかなという。自分が書くものも、小品を、大げさにやりたいんですよね。短篇だから小品ということではなくて、長篇でもいいんですけれど、元は小さいものを豊かに膨らませていくものがやりたい。一人称とか街とか。

――一日の過ごし方は。

 朝の4時に起きて、バターロール2個を食べてお茶を一杯だけ飲んで、それから5~6時間書いたりします。僕、基本的に1回全部下書きするんですよ。ノートに手書きで400枚分とか。最初はボールペンで書いていて、間違えたら二重線で消して、細かいところは気にせずどんどん書き進めていっていたら、2本に1本はインクが半分残っているのに途中で駄目になっちゃうんです。それで一回、京橋のパイロットのペンステーションミュージアムに行ったときに聞いてみたら、ぼくみたいなやり方をしていると紙粉を巻き込んじゃうらしいですね。だから最近はシャープペンシルにしました。

 手書きで書くことを5時間くらいやって、買い物もかねて1時間くらい歩いて、午後は昼寝をして。起きてその日書いた分を2時間くらいかけて推敲して、というペースです。だから書きだすところまでいけば、2か月かからないで400枚書きます。

 理想をいえば、大元のアイデアを出してから2年間くらい寝かせたいんですよね。その間にちょこちょこアイデアを足していって肉付けをしたい。逆にお題をもらったほうがやりやすい場合もありますけれど。

――では例えば、話題になった『ひと』はどういう経緯だったのですか。

 一応、祥伝社の担当さんから「人に何かを譲れる人で、人の鑑になるような人」というご提案があって。

――心優しい青年が肉親を失って孤独になり、実直に生きていくなかで商店街の人たちや友人との触れ合いがあって……という話ですね。

 提案をいただいた時に、ストックのなかに、一人になっちゃった人というアイデアはあったので、それでいけるかなと思って。東京・江東区の砂町銀座商店街が舞台ですが、ここはもとから興味があったんです。どの電車の駅からも遠いのに、にぎわっている。これは面白い場所だなと前から思っていたので、それがうまいこと自分の中で結びつきました。

――心温まるお話でした。かと思ったら、新作の『夜の側に立つ』は、まったく異なるテイストの話ですね。時系列でなく、異なる年代の主人公周辺のエピソードが交互に現れて、少しずつ全体像が見えてくるという構成も面白い。

 こうした構成のちょっとした細工というのは、むしろ投稿時代にやっていたものなんです。こういうことばかり考えていたからうまくいかなかったんでしょうね。「まずは普通に書くことが優先でしょ」と思って書き方を変えてずっとやってたんですが、ここにきてまた久々にやりたくなって。それで、一人の人間の一人称で、4つの時代を書くということにしました。彼はそれぞれの時代で3つの悲劇に見舞われますが、そうした悲劇の後でどのように生きていくのか、というのが元ネタとしてありました。

――彼がその後どう生きたのか、そして今どうなっているのか、あるいは今どうしてこうなっているのか、パズルのピースがひとつずつはまっていくように分かっていく作りが面白かったです。

 時間通りに進むのではなく、3つの出来事を先に読者に知らせたかったんですよね。2回目は時系列で読んでもらうとまた面白いかなと思うんですけれど、最初は、どーんといきたかったんです。今回は街はあまり絡んでいませんが、僕が好きな銀座の街とかは無理やりだしていますね(笑)。

――さきほどのハミダシスト名が「翻る蛭蛙」でしたが、その名前って、主人公たちのバンドがコピーするミュージシャンのアルバム名として出てきますね。

 そのアルバム『翻る蛭蛙』を作ったミュージシャンの蓮見計作っていうのは、『ROCKER』に出てくるんです。僕はそういう繋がりをいろんな作品でやっているんです。言ってしまうと、「みつばの郵便屋さん」シリーズの最初に、「〇〇さん、××さん、△△さん」って、配達に行く先の人たち、つまりひとつのブロックに住んでいる人たち十数人の名前が出てくるんですけれど、その人たち全員、別の短篇や長篇に出しています。もうすでに全員出し終えています。

――そうだったんですか!

 僕しか気づいてない。誰か探してくれないかなって思ってるんですけれど。でも最近、「今回のリンクはこれでしたね」と気づいてくれる読者もいて、ありがたいです。今回、『夜の側に立つ』にも、みつば高というのが出てきますね。

――ああ、出てきますね…! ところでタイトルの「夜」には、象徴的な意味がありますね。この題名は最初から決めていたのですか。

 篇書いたあとに変えました。もともと考えていたタイトルも、夜を表す言葉だったんです。もともと「夜」というものが好きなんですよね。新潮社からは『ひりつく夜の音』という本を出していますし、今回の本を合わせて、せっかくなら「夜の三部作」を書かせていただけないかなと思っているんですけれど。とにかく、もう1回がっつりと「夜」の話を書きたいとは思っています。

――では、今後のご予定といいますと。

 「みつばの郵便屋さん」シリーズの新刊が秋に出ます。それと、祥伝社さんで『ひと』の前に書いた『ホケツ!』というのが文庫になります。

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