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【谷原店長のおススメ】鮮やかな「生」への執着と「虚実」の探求「開高健ベスト・エッセイ」

 作家・開高健(かいこう・たけし)をご存知ですか。1930年に大阪で生まれ、洋酒会社の宣伝部で数々の名コピーを世に放った後、小説「裸の王様」(57年)で芥川賞受賞。89年に亡くなるまで、小説をはじめ、ベトナムの戦場や、中国・東欧などのルポ、食や釣りのエッセイなどを精力的に書き遺した作家です。

  先輩に薦められ、僕はかなり前から開高さんに興味を抱いていました。でも、一体どこから読み始めようか、と。釣り、食べ物、お酒、シガー(煙草)。エッセイだけでも、大人のたしなみの世界を描いた膨大な作品の数々に、途方に暮れていたのです。そんな折、今年5月に刊行した「開高健ベスト・エッセイ」(ちくま書房)が僕の長年の思いを叶えてくれました。最初に読むのに最良の1冊。編集にあたったのは、彼の元職場の後輩、小玉武さんです。

  生まれ育った大阪・天王寺の、戦後の焼け野原の追憶から始まります。そして、小説家としての矜持、戦争、平和への思い。自ら現場を見に行きたいという渇望。そして釣り。じつは僕らの年代だと、開高さんって、川の傍で快活に笑って釣竿を持つ印象が強いんですね。この本を読んで痛感したのは、彼の原点はあくまで小説で、そこから多彩な執筆の世界へと根を拡げたのだということ。そして何よりも驚くのは活力的にみえて、実際には「躁」「鬱」の両面を彼が持っておられたということです。

 だからでしょうか、徹頭徹尾、「生きる」ということに執着、こだわりを感じます。主題として散りばめられた事象の、その根底に脈々と流れる「生」への貪欲な探究心が、読み進めるうちにひしひし伝わってくるのです。

 この1冊の中には50近くのエッセイが盛り込まれ、印象的な文章がたくさんあります。これは釣りのエッセイの一節で、「脱獄囚は自身で自身の手に手錠をかける」。本当は家に帰りたくないと思いながら帰る釣り人の比喩として記されていますが、お酒を飲む人だって同じ。家に帰りがたく何となく街を彷徨って、飲み、そして諦めて自らの足で帰る。僕も何だかちょっと分かる。

 そしてこんな一文も。「おそらく私が荒地(あれち)を追って歩く衝動のかなたには、少年時代の焼跡(やけあと)の記憶がある」。死海のネゲブ砂漠、アウシュビッツ強制収容所跡の白骨の湿地、一方で東京やニューヨーク、パリといった「ネオンの荒野」。こうしたものを彼が追い求める根底には、緑豊かな故郷が戦争によって奪われてしまった喪失感と同時に、焼け野原を見たときの衝撃が存在しているのではないかと。もしかしたら、のちにベトナムなど過酷な戦地へ果敢に出向いたのも、同じ思いがあって、その喪失感から生に対する貪欲な思い、命に対する尊敬の念を抱くようなったのかも知れません。

 そうして彼は戦地に出向き、ルポを始めるようになるのですが、今度は「自分が見たものは表層でしかない」と悩むようになります。最初は現地で見たことを雄弁に語ることができた。けれども、実情を見れば見るほど、どう表現すれば的確なのか言葉を失ってしまう。それは自分が育ち愛した大阪が戦争で失われてしまった時の実感と、断片的にしか見ることができなかったべトナム戦争をさも知っているように語ることへの違和感だったのかもしれません。

 さらに開高さんは、「虚実」について深く考えるようになっていきます。虚構と実体とは何なのか。例えば、こちらから見れば光でも、逆に回れば、色濃い影があるのではないか、などと……。

 僕はお芝居をしていて、台詞を言う瞬間は真実でありたいと思うんですよね。台詞は嘘偽りなく出た言葉でありたい。虚構の中で動き、呼吸し、話をしていても、役者まで虚構になってしまっては、誰も見てくれないと思う。「あ、こういう人いる」「この一言、すごくいい」「何て酷い奴だ」。虚構でも観た人が信じた瞬間、真実になる。僕はそうでありたいと思います。また、ドキュメント番組のナレーション出演をやらせて頂く機会も多いのですが、「ドキュメンタリーが本当に真実を表しているか」といえば、僕はかならずしもそうではないと思う。カメラが介在し、第三者の視点が入る時点で、「完全」なノンフィクションとはいえない。虚構の中の真実、現実の中の嘘。探求を重ねる姿勢として、開高さんの視点に共感を覚えました

 文体からは飾らない人柄が滲み出ています。一つの事象を表すのに、様々な比喩を重ねていく。そこに、なんとか的確に言葉で表したいとの執念を感じます。

 この1冊をまとめ上げた編集者の力量にも驚かされます。最後におさめられたエッセイにはギョッとします。すぐ傍で彼を定点観測してきた編集者だからこその、眼差し。圧倒されます。

 開高さんを知らない若い世代にもぜひいま、読んでほしいですね。収載されている「ナイター映画」というエッセイ。昭和三十年代後半の川崎の深夜映画館の光景を描いています。港湾や工場労働者の暮らす街で、孤独を埋めようと、深夜上映の映画館で他者の呼吸やぬくもりをかすかに感じる。翻って、現代の子どもたちは、SNSで繋がるべく携帯と睨めっこ。エッセイの中の人たちは孤独がゆえに映画館に集まる。そういえば僕らの世代はクラブに集まっていた。今の子たちはSNS。どの孤独がより深いのか、答えは出ませんが、夜に携帯で繋がり続けようとするのも、また深い孤独だと思うんです。「ここだとにぎやかだからな」「みんないるものね」。エッセイに記された深夜映画館での言葉が、深い印象を残します。

 僕は今度は小説を読んでみよう。最初は「輝ける闇」。ベトナム戦争取材に出向いた主人公の物語、フィクションとノンフィクションの狭間を。豪放磊落と繊細さのコントラスト鮮やかな開高さんの世界、もっと知りたいです。

(構成・加賀直樹)