玉村豊男さんのご著書は、2020年8月の「谷原書店」で、『料理の四面体』(中公文庫)という本をご紹介しました。料理と向き合い、つくり方の真髄を論理的に、緻密に探っていく『四面体』は、1980年代に刊行され、いまも多くの読者に愛読されています。それに対し、この秋に発売された『玉村豊男のフランス式一汁三菜』の帯には、「楽しくなけりゃ食事じゃない!」という、何とも感覚的なメッセージが。そもそも「一汁三菜」という言葉に、玉村さんはどんな思いを込めたのでしょうか。
さっそく面白い文章を「はじめに」の章で見つけました。
土を喰う日々でもなく、一汁一菜でもなく、
馬鹿を言って笑いながら囲む、愉快な食卓。
「一汁」の「汁」はワインです。
東京で生まれ育った玉村さんは、45歳の時、長野県東部町(現・東御市)で農業を始めました。浅間山系の、石のゴロゴロ埋まった耕作放棄地をコツコツと開墾し、当時は手に入りにくかった西洋野菜やハーブを育てる農園をつくりました。2003年には、果実酒の製造免許を取得し、玉村さんの営む「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」のブドウ畑は現在、なんと約7ヘクタール(約2万坪)にも及ぶそうです。
そんな玉村さんは現在、78歳。「前菜、主菜、野菜そしてワイン」の生活を送り、本書のなかで「この分で行くとトマト畑で倒れるより台所で倒れる可能性のほうが高い」などとおっしゃっています。でも、お元気で、好奇心旺盛で、日々をじっくりと丁寧に生きていらっしゃるのが、行間から読み取れます。
ひるがえって、現在51歳の僕が読みながら考えたこと、それは「これから残りの人生の時間をどう使うのか」、はたしてこの先、僕はどのように生きていくのだろう――。ギチギチに詰まった朝の仕事をして、ほっとする間もなく、お昼以降の時間にもレギュラーの仕事が入っています。50歳を超えた頃からでしょうか、「この時間の使い方、ちょっと変えたいな」と思うようになりました。玉村さんの本は、それに対する一つの「解」とまでは言いませんが、一歩、僕自身、さらに踏み込んで考えるきっかけをつくってくれました。
『四面体』の文章ではかっちりした筆致でしたが、この本は、玉村さんがいろいろな料理雑誌のエッセイで書いてこられたような「料理の延長線」、つまりご自身がどう日々を生きているのかについて言及されています。僕の場合、一番下の子どもがまだ小学校2年生ですから、今すぐにどうこう、ということはないのですが、体がまだ元気で動けるうちに、何か新しい生活様式の準備を始めたい。「このまま毎日、仕事ばかりに時間を使って生きていくのは寂しい」って思います。そう考えるようになったのは、コロナ禍で仕事のキャンセルが続いた2カ月間を経てから。あの時は、ずっと家にいて、時間の使い方がわからなくなりました。その後、再び仕事で忙しく動き始めた時のストレスも、また同時に、とてつもなく大きいものでした。
玉村さんのように、絵を描いたり執筆をしたりする生活が僕にあるわけではありません。また違う何かを模索しなければと思うのですが、「農業のために移住」という選択肢は、僕の場合、あまり現実的ではないかも。それよりも2020年3月の「谷原書店」でご紹介した、つばた英子/つばたしゅういちさんの『きのう、きょう、あした。』のような、生活の中の一部に菜園を採り込む「キッチンガーデン」の考え方に近い。どちらにせよ、本を通じ、生き方について見つめ直す視座を得ることができるのは、とても幸せなことだと思います。
ところで、本書の名に「フランス式」とあるのは、玉村さんご自身の人生と深く関わっています。東大の仏文科在学中、パリ大学の言語学研究所に2年間留学。その後、日仏の通訳・翻訳業からエッセイストになられた玉村さんは、まさにフランス通です。曰く、「フランス人は、時間差で食べる意識がこびりついている」とのこと。
レストランのフルコースであれば、一皿一皿を楽しむ印象がありますが、かの国はそれだけではなく、各家庭でも、順番に、時間をかけて食べていくのだとか。テーブルに家族が揃ったら、まず冷蔵庫からハムなりチーズなりを取り出し、それを前菜にパンをいただく。その間にオーブンで肉を焼き、冷凍フレンチフライを揚げる。おしゃべりが弾む頃に主菜が完成。じっくり味わったら、食後には、ありあわせのお菓子かアイスクリームなどを楽しみ、ごちそうさま。日本のように、ごはん、お味噌汁、魚、漬物を一度に食卓に出すのとは異なるのだそうです。
フランスの人々って、「ケセラセラ(なるようになるさ)」と、ゆったり感情の赴くまま、その時々の感覚で生きる印象がありましたが、意外にも「食」については、「こうでなければいけない」という強いこだわりがあるのですね。驚きました。料理の順番や構成、食の味わい方の日仏の違いが記され、勉強になります。
この本ではエッセイのほか、玉村さん考案の料理レシピが、ご自身撮影の写真とともに紹介されています。このレシピがまた秀逸で、試してみたい料理ばかり。たとえば「ローストポテト」。大きなジャガイモを2~4等分に切り、牛脂かラードをたっぷり入れたバットの上に並べオーブンで加熱します。甘みが凝縮し、じつに美味しそう。それから「茹で肉」。牛のすね肉、あるいはランプ肉をコトコトと1~2時間加熱し、醤油とオリーブオイルを混ぜたソースでいただきます。玉村さんは、ソースにパプリカやハラペーニョのみじん切りを加えていて、見た目もカラフル。盛り付け方が素敵です。
やはり、絵を描く方だからなのでしょうか、卓越した、その美的感覚に唸(うな)ります。「料理は見た目が大事」とのご自身の言葉に頷くばかりです。それでいて、どれもシンプルなのも嬉しい。「やってみよう」と思ったらすぐに挑戦できそうです。最近は忙しく、パパッと準備できて栄養の摂れる「鍋もの」が続く我が家ですが、「玉村レシピ」、実践してみよう。
そして玉村さん言う「一汁」、つまりワインに対する考え方、接し方が、また洒脱です。白と赤、ブドウの品種、土地に合った食材など最低限の勉強はしつつも、ヴィンテージワインや、シャトー、製造年などにはあまりこだわり過ぎず、日々を楽しむために、グラスを傾けるのです。「この年は当たり年で……」「味わいは湿った土のにおいで……」そんな蘊蓄(うんちく)は、まず語らない。玉村さんは「ワインは論評しながら飲むものではない」と、はっきり書いていらっしゃいます。ワインリスト(メニュー)を見せてもらった時、ざっと把握できるぐらいの知識でいい。僕も強く共感します。実は最近は、安価な箱ワインばかり飲んでいます。場所をとる瓶を「もえないごみ」の日まで待って捨てる手間が省けますし、ちゃんと選べば、美味しいものがいっぱいありますよ。
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今回ご紹介した本は、玉村さんの『毎日が最後の晩餐』シリーズ3冊目に位置づけられているそうです。先行2冊と合わせ読んでみると、玉村さんの思いの変遷をたどれるかも。それから、つばた英子/つばたしゅういちさんの『きのう、きょう、あした。』も読み返したい。玉村さんのような、拠点を移す「農」の暮らしと比べて読んでみると、さらに趣が増すと思います。
(構成・加賀直樹)