私とは何か――。アイデンティティーを考える作品を書き続けてきた。平野啓一郎さんの長編小説『ある男』(文芸春秋)は改めて個人を形作るものを問いかける。名前なのか、経歴なのか、思い出なのか。社会問題が色濃く投影された小説には「現代を考えることが文学を豊かにする」という思いがある。
「読者が現実の世界にうんざりしている。僕もそう」。2016年に出した前作『マチネの終わりに』はしっとりした大人の恋愛小説で、18万部を超えるベストセラーに。「優しさのあり方を小説で追究したい」という今作も、フィクションにすっと誘い込む仕掛けが施されている。
主人公は弁護士の城戸。作者を思わせる小説家の「私」はある夜、バーで城戸に出会う。そのとき彼が語った名前や経歴はすべてうそだった。バーで再び2人は会い、城戸はうその理由を話し始める。それは、彼が追っていた「ある男」にあった。
城戸は元依頼人の里枝から異様な相談を受けていた。再婚した夫、大祐(だいすけ)が伐採中の事故で命を落とした。仲たがいしていた大祐の兄は遺影を見て、別人だ、と言う。「ある男」は大祐の戸籍を手に入れ、大祐の経歴や思い出を里枝に語り、「大祐」として里枝を愛し、家族になった。
40代に入り、「自分の人生、知人の人生、つくづく考えるようになった」という。「出自や親は選べない。こうは生まれたくなかったという思いを抱く人生がある。それに、どんなに幸せだろうとまあまあだろうと、変身願望はあるんじゃないですか」
僕もね、と続ける。「取材旅行でひとり見知らぬ土地に出かけると解放感がある。別人として生きるっていいなあと思う。編集者だと名乗ったりして。結局その程度のうそしかつけないんですが」
東日本大震災で浮かびあがった無戸籍の問題や戸籍ロンダリングといったニュースのキーワードに、出自と差別の問題が絡まり合う。城戸は高校時代に日本国籍を取得した在日3世という設定。「まったく別人として生き直す」という想像に静かに興奮し、自分の住む町で関東大震災直後、朝鮮人虐殺があったと知り、苦痛にあえぐ。
共感し、しっかり書く 感じ取ってほしい
「白昼堂々とヘイトスピーチが語られる日本の現状に憤りと憂いがある。震災前から気になっていて、どこかで向き合うべきだと思っていた」。差別やヘイトが問題になるたび、敏感にニュースに反応し、SNSでメッセージを発してきた。「文学では、批判の言葉よりも、言われる側の人間に共感し、しっかり書き、感じ取ってもらうことが大事かなと思う」
在日文学は金石範、金時鐘、柳美里といった当事者の手から生まれてきた。「自分がアプローチできるのか、心もとないものがありましたが、友達の問題としてなら書けると思った。みんな主人公に作者自身を見ようとしますが、作者の大切な友達だということもある」
デビュー作「日蝕(にっしょく)」を文芸誌に発表して20年。『一月物語』『葬送』までの初期3部作は「デビュー時にはっきりとイメージがあった」という。それが、「『葬送』の執筆時に9・11が起きて世界が変わった。インターネットの広がりも僕にとって大きかった」。
初期の耽美(たんび)的な文体から、同じ作家の手によるものとは思えないほど文体も作風も大きく変わる。「昔は自分の理想的な読者のイメージを持っていたが、もう文学の前提が共有されていない。扱うテーマは普遍的なのに、純文学のマーケット、数千人にしか届かないというのは……」
「普段本を読まないけれど、救われました」と言われたことがある。「僕の文学を必要としている人は、必ずしも文学の読者だけじゃない。読者のリアルな声に接した時に、現代の読者を考えぬこうと思った。それは、現代を考えることでもあります」(中村真理子)=朝日新聞2018年10月3日掲載