新聞記者時代の2013年〜15年の2年間、青森市に住んでいたことがある。事件・事故、政治、教育、文化、スポーツとあらゆるジャンルの青森県内のニュースを毎日追いかけていた。なかなかに忙しい日々だったが、取材の合間を見つけて、もしくは取材にかこつけて、2年間で県内の40市町村すべてを訪れたのは、いい思い出でもあり、ちょっとした自慢である。
陸奥湾で採れたホタテの甘み、こんなに種類があるのかと驚いたリンゴのみずみずしさ。酸ヶ湯温泉や蔦温泉といった有名どころ以外にも、あちこちにある温泉(ちなみに人口10万人あたりの公衆浴場数は青森県が日本一)。アートが好きならぜひ訪れてほしい青森県立美術館や十和田市現代美術館。太宰治も寺山修司も青森県出身で…。と、魅力を挙げるときりがない。
特に、毎年8月2日〜7日に行われる青森ねぶた祭。ご存知の方も多いと思うが、およそ20台の大型ねぶたが青森市内中心地を練り歩き、観光客も地元民も一緒になって乱舞する祭りである。東北の短い夏を彩る迫力満点の祭りで、個人的には日本で一番好きな祭りだ。
今年の夏、そのねぶた祭りの取材のため、そして新聞社を辞めてから初めて青森に行った。
東北新幹線で新青森駅に降り立つ。自分の生まれ故郷でもないのに、随分と懐かしい気持ちになった。かつて取材させてもらったねぶたを作る「ねぶた師」と話をしたり、よく訪れていた居酒屋で鮮度抜群の刺身を食べたり、黒石市にある温湯温泉まで足を伸ばしたり。旅のワクワク感を求めるというよりも、郷愁をかき集める旅。たった2泊3日の滞在だったが、自分の中に「青森」がまだしっかりと息づいているのを感じた。
街を歩けば、あちらこちらから、独特な発音とリズムを持つ津軽弁が、耳に入ってくる。例えばそれは、東京の友人たちにとってはまるで新しい音楽のように聞こえるかもしれないし、私にとっては、慣れ親しんだ童謡のように、優しくノスタルジーを刺激してくれる。(P78)
これは『めご太郎』(星羊社)という、青森の魅力を紹介する本のなかに出てくる一節。青森県出身のジャズピアニスト・作曲家、木村イオリさんが書いたエッセイの一部である。
そう、そうなのだ。青森に住んでいた2年間、雪深さにも苦労したが、それと同じぐらいに大変だったのが津軽弁の聞き取りだった。新聞記者というのは、人の話を聞いてこそ成り立つ職業。一生懸命話をしてくれる人が何を言っているのか全く分からなかった時は、さすがに戸惑った。しかし不思議なもので、2年間津軽弁を聞きつづけると、段々と意味が分かるようになってきて、ノスタルジーさえ感じるのである。
私たちみたいに家族や仕事の都合でほんの数年だけ、人生の1ページ的に青森市に住んでいた人ってきっとものすごくたくさんいると思うんですよ。そして、そんな流動的な私たちにも、この街への自分なりの愛着があるはずなんです。(P121)
これも『めご太郎』で見つけた一節。青森市在住の音楽ライター・コラムニスト、オラシオさんの文章である。
そして、青森県出身の太宰治が書いた紀行文学『津軽』(新潮文庫)にはこんなことが書かれている。
安易に津軽を見くびったら、私はやっぱり不愉快に思うだろう。なんと言っても、私は津軽を愛しているのだから。(26ページ)
これらの言葉を読んで、改めて思う。
どうやら、私にとって青森という場所は、一つの“旅先”ではなく、もはや“ふるさと”に近いものだということを。そして、それはとても幸せなことかもしれないということを。