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観ても読んでも、怖くて面白い 映画「来る」/原作「ぼぎわんが、来る」レビュー

映画「来る」©2018「来る」製作委員会
映画「来る」©2018「来る」製作委員会

 仕事としてホラーに携わる者として、12月7日に全国公開された『来る』ほど、楽しみな映画は久しぶりだった。原作は澤村伊智の第22回日本ホラー小説大賞受賞作『ぼぎわんが、来る』(角川ホラー文庫)。2015年に刊行されるや新人のデビュー作としては異例のヒットを記録した、国産ホラーの傑作である。
 どれほど怖い映画になっているのか。期待に胸が高鳴る反面、不安がなかったといえば嘘になる。監督の中島哲也といえば『嫌われ松子の一生』『告白』など、ミステリー小説の映画化作品で高い評価を得ている映像作家だが、ホラーを専門にしているわけではない。ひょっとしてホラー以外の作品になっているのでは……?
 結論から言っておくと、そうした不安は映画開始後5分で払拭された。映画『来る』は原作に勝るとも劣らない、刺激的なホラー・エンターテインメントである。エキセントリックな演出が話題となった『告白』がその実、湊かなえ原作のツボを押さえていたように、今回の『来る』でも原作の恐怖感はしっかり再現されている。

 原作の『ぼぎわんが、来る』は、3つのパートからなる長編小説だ。
 「訪問者」と題された最初のパートでは、愛する妻・香奈との幸せな新婚生活を送る田原秀樹が視点人物を務める。ある日、秀樹が勤める会社に「チサさんのことで」用があるという客が訪ねてきた。チサとはこれから生まれてくる娘につけようと考えていた名前だ。まだ誰にも告げていないはずだが、と不審に思っていた矢先、客を取り次いだ部下の高梨が悲鳴をあげ、腕からぼたぼたと血を流し始める。姿の見えない何者かに、高梨は腕を噛まれたのだ。
 やがて娘の知紗が無事に誕生。イクメンとしての充実した私生活をネットで発信する秀樹だったが、そんな毎日に不穏な影が忍び入る。ずたずたに引き裂かれていたお守り。家族の名を呼ぶ不気味な電話。
 説明のつかない現象の多発に、秀樹は祖父の田舎に伝わる化け物、“ぼぎわん”を思い出す。子どもを山に攫ってゆくというその化け物に、秀樹も小学生の頃一度だけ遭遇したことがあったのだ。あれが25年の時を経て、秀樹一家を狙っているのだろうか。混乱し、恐怖に駆られた秀樹は、フリーライターの野崎を介して、霊能力のある女性・真琴に接触する。

 幽霊とも妖怪ともモンスターともつかない、得体のしれない化け物がひたすら襲ってくる(まさに“来る”)。『ぼぎわんが、来る』のすごさは、そんなシンプルで混じりっけのない恐怖を、新人離れした筆力で描ききったところにある。作品冒頭、祖父の家で留守番をしていた秀樹少年のもとに、正体不明の女性客が訪ねてくるシーンがある。原作の白眉ともいえるこのシーンを読んだ時のことは、今もはっきりと覚えている。「何かただならぬことが起こっている!」という強烈な思いに打たれ、ページをめくる指に力がこもったものだ。そしてその緊張感は、物語のラストまで途切れることなく持続するのだ。
 よく言われることだが、怖い話を書くのはプロの作家でも難しい。したがってホラーの書き手は往々にして、キャラクター性や謎解き、ユーモアや幻想性などに活路を見出しがちである。それはそれで価値ある試みだが、「怖さ」という主軸がなくなればジャンルはいつか衰えてしまう。『ぼぎわんが、来る』は潔いほど真正面から「怖い小説」に挑み、素晴らしい戦果を収めたのだ。澤村のデビュー以降、国産ホラー小説はまた新たなブームを迎えつつある。

映画「来る」から©2018「来る」製作委員会
映画「来る」から©2018「来る」製作委員会

 今回の映画版でもっとも危惧していたのは、“化け物が襲ってくる”というストレートで、ゆえに映像化が難しい部分を回避してしまうのではないか、ということだった。蓋を開けてみたらとんでもない! ぼぎわんは原作同様、いやそれ以上の凶悪さで、容赦なく田原家に襲いかかる。説得力のあるシーンを積み重ね、姿の見えない怪物の存在をいつしか観客に信じこませてしまう中島監督の手腕には、あらためて感嘆するしかない。
 一方で、これは「人間の怖さ」を感じさせる映画でもある。原作は秀樹、香奈、野崎と視点人物が交代するにつれ、事件の様相が変化してゆくミステリー的構造をそなえた作品だ。映画もそうした流れを踏襲し、キャラクター間のずれを浮き彫りにすることで、人間の秘められた部分をじわじわと暴き立てる。
 自分に酔うばかりで、家族の心を顧みない自称イクメンの秀樹。育児に疲れ果ててゆく香奈。他人を愛することができない野崎。人間のもつ無神経さやずるさ、冷たさやエゴイズムを各キャラクターに託しながら、「で、あなたは違うんですか?」と観客にまで突きつけてくる意地の悪さ。目を背けたくなるような怖さが、ここにはある。
 クライマックスでは原作からやや離れ、2時間14分の大作を締めくくるにふさわしい展開が待ち受けている。いやはや、その怪しいこと、怖ろしいこと。一世を風靡した『リング』『呪怨』などのJホラー映画を「静」だとするなら、この映画のクライマックスは「動」だろう。凄腕霊能者を演じた松たか子、柴田理恵の怪演ぶり、隅々まで見所の詰まった画面づくり、あえてずらしたセンスのBGM。中島監督らしいそうした諸要素が相まって、ゴージャス、かつ全方位的に怖ろしいホラー・エンターテインメント空間を作りあげている。
 映画化に際して、原作者・澤村伊智が製作サイドに出した要望はただひとつ。「怖くて面白い映画にしてほしい」だったそうだが、その願いは十分に叶えられただろう。『来る』は怖くて、面白い。ぜひ映画館で体感してほしい一本である。

 なお、映画で松たか子と小松菜奈が演じた霊能者姉妹は、澤村作品のシリーズキャラクターとして複数の作品に登場する。彼女たちのことが気になった方、映画では深く語られなかった“あれ”の来歴について知りたい人は、原作『ぼぎわんが、来る』も手にしていただきたい。ホラー小説の新しい波を実感できるだろう。