ホラーの鬼才が描く、怪奇幻想×戦争小説 飴村行さん「粘膜大戦」インタビュー
――『粘膜大戦』は熱烈なファンを持つ「粘膜」シリーズの最新刊。シリーズ前作『粘膜探偵』が出たのが2018年ですから、約7年ぶりの新作です。
「そろそろ次の粘膜を」と考え始めたのが数年前だったと思います。担当編集から電話がかかってきて、その日はただの世間話だったんですけど、「そろそろ還暦になりますよね。(書かないと)人生終わっちゃいますよ」と言われたんですよ。自分では気にしていなかったんですが、まあそれもそうだなと。
――飴村さんにはこの連載で2度インタビューしていますが、いつも「スランプで書けない」とおっしゃっています。今回調子はどうでしたか。
筆が進むようになるには時間がかかりました。何かしら書いてはいたんです。でも全然気に入らなくて、100枚書いては消す、みたいなことをくり返していました。イメージとしては失敗作を叩き割る陶芸家ですよね。今思うと使える原稿もあったような気がして、「もったいなかったな」とも思うんですが(笑)、当時は何を書いても面白いと思えなかった。編集者に見せずに、一人で原稿を抱え込んでいたのもよくなかったですね。そのうちに映画や小説を、身体がまったく受けつけなくなりました。
――映画を観たり、小説を読んだりできなくなったということですか?
どういう理屈か分からないんですが、人の作った創作物に触れるのがとにかく精神的に苦痛になって。家にあったDVDや本を全部処分したんです。DVDは600枚くらい、本も1000冊近く持っていたんですが全部売り払って、部屋がすっからかんになった。それまでは毎日映画を1本観て、吉村昭の小説を読み返して創作意欲を高めていたんですが、その習慣もきっぱりやめて、自分一人で言葉をひねり出すように努力しました。そしたら少しずつまた書けるようになった。2025年春に発表した「天使の蹂躙」という短編(『小説新潮』3月号)が結構いい感じに書けたので、そこで勢いがついて『粘膜大戦』も本格的に動き出したという感じです。
――戦時下の日本を舞台にした「粘膜」シリーズでは、東南アジアの架空の小国ナムールが重要な役を担います。独自の歴史と文化を持ち、奇怪な生き物が棲息するナムールは、このシリーズの要ですね。
私は何の専門知識もないまま、いきなり作家になったんです。といって今さら勉強しても間に合わない。ないならゼロから作ろうという発想で、ナムールという架空の小国をでっちあげました。押井守監督の映画が好きで、中でも架空の戦後史を扱った『立喰師列伝』がどストライクで好きなんですよ。あのテイストで、それらしい語感の地名や人名を考えたり、架空の神話や歴史を作ったりするのは楽しかったです。
――ナムールには爬虫人(ヘルビノ)と呼ばれるトカゲのような人間が暮らしています。哺乳類の脳が好物で、キョリキョリと笑い声を立てる爬虫人が登場することで、このシリーズは一層特異なものになりました。
あれは河童の代わりです。デビュー作の『粘膜人間』に河童を登場させたので、2作目の『粘膜蜥蜴』ではそれに代わる“粘膜”として爬虫人という存在をひねり出した。それが結果的にうまくはまったという感じです。このシリーズは大体そういう感じで、その場その場のひらめきで書いています。だからこそ先の読めない展開になっているのかなとも思いますが。
――『粘膜大戦』もまさに先が読めないですね。軸になるのは、戦争の行方を左右する日本軍のある謀略。そこにナムール王族のマテル姫や、日本人の孤児キノブが関って、物語は思いがけない方向に転がっていく。
ジャッキー・チェンの映画の作り方ってご存じですか。序盤と中盤とクライマックス、3つアクションの山場を考えて、その間をストーリーで繋げていくんです。私も『粘膜人間』では人体破壊描写を先に考えて、それを繋げていくというやり方を取りました。今回それを思い出して、笑いを取るシーンを中心に物語を組み立てています。起点になったのは第2章でキノブが書いたおみくじが出てくるところ。それまでの長い振りがあって、おみくじが出てきて笑いが起きる。今回はそういう作り方をしています。
――毎回キレのあるギャグが絶妙な隠し味になっていましたが、今回はギャグから話を作っているんですか。
さっき映画や本に触れられなくなったと言いましたが、その代わり今はひたすらYouTubeでお笑いを見ているんです。お笑いは昔から好きだったんですけど、今はそれしか娯楽がないので。M-1の日なんてテレビの前でずっと正座ですよ。2025年はたくろうが優勝してくれて嬉しかったですね。長年応援していたので。
――飴村ホラーの特徴といえば、過激なバイオレンスや人体破壊描写。今回もナムールでの戦闘シーンや、ゲリラによる拷問などが描かれます。
正直その手のシーンはもう書きたくないんです。一旦行き着くところまで行き着いて、もう満足してしまった。吉村昭に私淑している身としては、もうちょっとハードボイルドに寄せたいという気持ちがあります。兵士が吊されて拷問されているというくだりも、当初はもっと派手なアクションになるはずだったんですが、リアリティがないなと思い直して。あくまで吉村昭的なシリアスな世界観で、お笑いをやりたい。笑いを取りに行くシーンが自分にとっての「ご褒美」で、それがあるからシリアスな場面も書ける。
――『粘膜蜥蜴』の軍人・堀川美樹夫をはじめ、過去に登場したキャラクターが多数再登場するのも嬉しいところですね。
そこは編集者の提案で、過去のキャラクターをもったいないから利用しましょうと。結果的に「粘膜」シリーズオールスターのような作品になりました。私は西村寿行を尊敬しているんですが、寿行さんの作品には「来ると思っていたけど、やっぱり来た!」という展開が多いんです。あのワクワク感というのは、予想外のものにぶつかる驚きとはまた違った面白さがある。ある意味、吉本新喜劇的な面白さというか。今回も読者が期待している展開を、あえてなぞるようなシーンを織り交ぜています。
――日本ではキノブが病院である任務に就く一方、南国ナムールではムンベという幻覚剤をめぐって二等兵・野島が秘密の指令を受けます。ナムールの場面は極彩色の幻想風景に満ちていて印象的です。
野島の出てくる章は、以前「冷たい光」というタイトルで発表した短編(『小説新潮』2021年8月)を改稿したものです。自分でも気に入っていたので、主人公を『粘膜探偵』に出てきた野島に置き換えて、長編の一部として再利用しました。幻覚剤が出てくるのは村上龍の『五分後の世界』の影響ですね。作家にあるまじき行為ですけど、私は人生で3冊しかハードカバーの本を買ったことがない。そのうちの1冊が『五分後の世界』で、大学を中退した時期に読んでどハマりしました。ムンベは『五分後の世界』に出てくる「向現」という向精神薬へのオマージュです。
――ちなみに3冊買ったハードカバーの残り2冊とは?
1冊目はブレット・イーストン・エリスの『アメリカン・サイコ』、津田沼のパルコで買いました。もう1冊は『五分後の世界』の続編の『ヒュウガ・ウイルス』です。
――特異な世界観やストーリーと並ぶ「粘膜」シリーズの魅力は、きびきびした文体だと思います。
嬉しいですね。おそらく朝宮さんが思っている20倍は、私は文体にこだわっていますよ。吉村昭を読んで小説は筋より文体なのだと学びましたし、梶井基次郎にも多大な影響を受けています。梶井も文章のことしか考えていない。そこがたまらんのですよ。これは読み返していて発見したんですが、吉村さんは作中で擬音を一度も使っていない。代わりに巧みな比喩を使うんです。私もそのやり方をできるだけ継承したいと思っています。
――古風な言い回しや軍隊独特の用語も効果を上げていますね。
その手の辞書に載っていない言葉が、時代の雰囲気を表すのに絶大な効果を発揮するんです。たとえば兵士が声をかけるじゃなくて「誰何する」と書く、貫通能力のことを「侵徹効力」と言い換える。ガスマスクは「被甲」ですね。こういう用語は高校時代から知っていて、まったく使い道がなかったんですけど(笑)、作家になってからは大いに役立っています。
――日本とナムール、両国のエピソードがひとつになり、痛快かつ血みどろのクライマックスへ。物語の着地点は予め決めていたのでしょうか。
そこまで詳しくは決めていません。というかプロットを作っても、その通りにはならんのですよ。以前、『進撃の巨人』の諫山創さんのドキュメンタリー番組を見たのですが、彼はネームを描いていて詰まると1時間くらい仮眠するんです。詰まったらまた仮眠する。それをくり返すことで、筆が走り出すんです。これはなんぞやと思ったのですが、人間の脳の消費エネルギーの75パーセントは無意識だということを知って、これだったのかと納得した。以来、自分も詰まったらすぐ寝るようにしています。おかげで物語にもうまい突破口が見つかりました。今回書き上げることができたのは、諫山さんのおかげです。いわば『進撃の粘膜』ですよ。
――『進撃の粘膜』……。シリーズの今後について決まっていることはありますか。
この調子でいけば今年秋頃にもう1冊、「粘膜」シリーズを出せそうです。その次も構想があって、自分なりの『地獄の黙示録』のような作品になる予定。そこまで書いて3部作にしようと、眠りながら考えているところです。『粘膜人間』のキャラクターも、そこで再登場させられるんじゃないかと思っているのですが。その先もまだシリーズは続きます。
――『粘膜大戦』と同時に、抱腹絶倒の自伝的エッセイ集『粘膜黙示録』も刊行されましたね。マンガ家になるため大学を中退し、派遣労働者などを経て、ついに作家デビューするまでの日々を綴った一冊です。デビュー前の苦しい時期をふり返って、今はどんなお気持ちですか。
あの時代に比べれば、どんなに苦しくても今は天国です。書くのをやめようかなと思うこともありますが、書けないと悩んでいるシチュエーションがすでにかっこいいわけですよ。アマゾンでも売られている本が出せて、一部の根強いファンがいて、それで書くのが辛いってカリスマ作家みたいじゃないですか(笑)。マンガ家の丸尾末広さんは私にとって神なんですけど、それに近いポジションで語られているような気がして、たまらんのです。エッセイも書けましたし、苦しい経験をしたことは無駄ではなかったです。
――完全にスランプを脱出されたようで安心しました。ではこれから『粘膜大戦』を手にする読者にメッセージを。
小説や映画やマンガは、辛い現実から逃れるためのアイテム。自分も西村寿行さんや丸尾末広さんの作品に出会わなかったら、10代の頃どうなっていたか。自分も本もそういう読まれ方をされるといいなと思っています。
◇朝宮運河さんの新刊『日本ホラー小説史』(平凡社新書)の紹介記事はこちら