フルーツポンチの村上健志さんがさまざまな句会にゲスト参加して腕を磨く「フルポン村上の俳句修行~わかったつもりでごめんなさい~」。今回お世話になったのは、「東大俳句会」。関東で学生時代を過ごした若手俳人であれば一度は参加したことがあるという、東大のインカレ(他大学合同)サークルです。俳人で物理学者の有馬朗人さんが顧問を務める月に一度の「本郷句会」と、学生を主体に隔月で開かれる「サブ句会」があり、今回はサブ句会におじゃますることにしました。
主に東大の1、2年生が過ごす駒場キャンパスを訪れると、幹事を務める瀬名杏香さんと青本瑞季さん、そして次期幹事の岩田奎さんの3人が迎えてくれました。いずれも高校時代、俳句甲子園をきっかけに俳句を始めたメンバーです。中でも岩田さんは開成高校の俳句部時代に2017年の大会に出場し、チーム優勝のみならず、個人でも「旅いつも雲に抜かれて大花野」の句で最優秀賞に輝いています。
というといかにもハードルが高そうですが、東大俳句会はとても開かれた自由なサークルで、「この記事で興味を持っていただいた人も歓迎です!」と瀬名さんが言うほど、他大生はもちろん、初心者・経験者問わず社会人も参加OK。「メンバーは何人くらいいるんですか?」という質問に、青本さんも思わず「結構むずかしい・・・・・・」。句会の日時を知らせるメーリングリストには100人ほど登録されていて、だいたい毎回10人前後が集まるとのことでした。
大学が春休み中という2月12日の夕方、参加したのは計11人。村上さんと岩田さんはテレビ番組「プレバト!!」の企画で村上さんが俳句甲子園に出場した時に顔を合わせていたそうで、その時以来の再会となりました。ほかに、高校生や大学生のための「十代句会」を立ち上げたり、「俳人戦士タサクタシャー」というキャラクターを作ったりと俳句の普及に努めている風見奬真さん、立教俳句会代表の橋本孝輔さん、青本さんの双子の妹・柚紀さんら個性的な面々がそろいました。社会人は俳人の岸本尚毅さんと、岸本さんと句会がしたくてわざわざ東京に転勤してきたという黒岩徳将さんが駆けつけました。
岸本さんは中学の国語の授業で芥川龍之介の「木がらしや目刺にのこる海のいろ」という句を知って、「木枯らしと、目刺の表面の青いちょっとキラキラしたものとを組み合わせたぞくっとする感じ」にひかれて俳句を始めたといいます。東大俳句会のOBでもあり、かつての学び舎をなつかしく感じているようでした。
どこからか吹奏楽のかすかな音色が届く部屋の中で、句会スタート。今回は「春の句」5句が宿題でした。村上さんが事前に用意したのは以下の通りです。(原文ママ)
- 風船の過ぎる窓ある喫茶店
- 絵にされてまだ消えそうな梅の白
- 春浅し社殿軋ませつつ祈祷
- 鞦韆(ぶらんこ)や湖掬おうとする手
- 春菊や汝から剝がれたつけまつげ
東大俳句会ではこのほかに、当日お題を決めて提出する「席題」2句を提出します。この日は岩田さんの発案で「フルーツポンチだから果物で、『果』の字」を使った句と、青本瑞季さんが「ちょっとむずかしいかな?」と言いつつ歳時記で目に留まった「芹」を季語にした句をお題にしました。焦りながらも村上さんが約30分で作った2句は以下の通りです。(原文ママ)
- 合格を告げて果物ナイフ持つ
- 買うはずのなかった芹の根の歪み
宿題の5句と席題2句の合わせて7句を短冊に書いて提出し、無記名のまま清書した紙を順番に回します。特選を含む7句をそれぞれが選び、最も多い5人が選んだ句が「膝に砂春暮の貝を撮るたびに」でした。司会は幹事の瀬名杏香さんが務めます。
杏香:特選でお取りの孝輔さん、選評をお願いします。
孝輔:貝を撮るとどうしてもかがまないといけなくて、その膝に砂(がつく)っていうのがすぐ分かるっていうのと、夏じゃないところがいいなという風に思いました。まだ貝をどうこうするっていうのじゃなくて、ただ撮るくらいで終わらせておく、っていう貝との距離感、「春の暮」との距離感がいいなっていう風に思いました。
青本柚紀:「膝に砂」と「たびに」の呼応がいいなと思って。いちいち膝をついて撮ってるんだと思うんですけど、撮っては立つたびにぽろぽろと砂がこぼれていく感じ、春暮で光もやわらかくて、砂と一緒に光もこぼれるような感じがして。「たびに」ってちょっと流してる止め方が、ぽろぽろこぼれる感じを出してるなあと思いました。
杏香:村上さんもお取りですが、どんな風に読みましたか?
村上:僕、ちょっと膝にはいろいろあるんで。
全員:(爆笑)
村上:ごあいさつ(※あいさつ句=ゲストを歓迎する句)かなって思ったんですけど、にしては優しいなっていうか。貝の美しさを映像化するよりは貝を撮るっていう行為、それに砂がついてくるっていうことに「ああ、そうだったな」ってふつうに思えて楽しいなって思いましたね。
堀下翔:「膝に砂」が描写として際立っていて。「春暮の貝」っていうのは雰囲気で、春の貝もいろいろあるんで具体的な貝の名前を挙げた方がきっちりした俳句になるんじゃないの、っていうような意見も当然あると思うんですけれど、そのぶん「膝に砂」っていうのが描写としてきっちりしているので句になってるのかな、と思いました。
奬真:砂浜にいる貝をいろいろ撮ってるんだと思うんですけど、そのたびに毎回膝に砂がついてて、そういうのを繰り返した中でこういう句ってたぶん生まれると思うんです。実感だから浜で写真を撮るのを楽しんでいる様子も鮮明に浮かんでくるし、「膝に砂」っていうのを最初に置くことで「春暮の貝を撮るたびに」っていうフレーズがすっと入ってくるところがうまいなと思いました。
杏香:岸本さんはお取りではありませんが、いかがですか?
岸本:披講をうかがってていい句だと思ったんですけど、実はなぜ、いい句だと思ったかというと「とる」が採集の「採」だと思って聞いていました。撮影の「撮」なんですね。春の貝っていうと私、潮干狩りとか磯遊びのイメージが結構強かったので、写真に撮るという状況がややピンとこなかったんですが、みなさんのを聞いてたらやっぱりいい句ですね。
杏香:どなたの句でしょうか。
奎:奎です。あいさつ句です。
村上:ありがとうございます!
続いて3人の選に入ったのが7句。「芹の水濁り易くて誰かの忌 尚毅」「絵は海で春日の人をちりぢりに 柚紀」「星に水あれあざみ野にひびく鈴 柚紀」「機上春寒(しゅんかん)ぬつと雲ぬつと雲 尚毅」「瞼腫れふかぶかと湧く梅の空 瑞季」「雪がちの二月翼果の季にとほく 翔」、そしてまたも岩田奎さんの「バレンタインデー学校は鍵だらけ」でした。
杏香:村上さん、お取りですがいかがですか?
村上:学校は鍵だらけだなーと思ったんですよ、なんか(笑)。当たり前のことを当たり前に言うってところに詩があるっていうのと、そこにバレンタインデーのそわそわとドキドキとっていう感覚は近いなと思っていいなと思いました。
瑞季:村上さんがおっしゃった通り、まさに学校は鍵だらけっていうことと、鍵が閉まったままのところって人通りが少ない場所だったりすると思うんですよね。それがバレンタインデーの、堂々と渡す人もいるけどこっそり人通りの少ないところで渡す人もいるよね、っていう雰囲気とよく合ってるところがいいところだと思います。
青野友香:私、学校に鍵がいっぱいあることに思い至らなくて。自分が中高生の頃にチョコを持っていくのがダメとかそういうのがあったので、学校の規則だらけな感じ、うるさい感じと鍵を結びつけました。
村上さんの句は「合格を告げて果物ナイフ持つ」と「春浅し社殿軋ませつつ祈祷」がそれぞれ2人、「買うはずのなかった芹の根の歪み」が1人の選に入り、意外にも席題で作った句が好評でした。
岸本尚毅さんと村上さんが対談
村上:(席題は)むちゃくちゃ焦りますね。「合格を告げて果物ナイフ持つ」はお題が「果」だったから果物ナイフだけ思いついて、これでワンアイデアを形にしなきゃと思って焦って。でも2句とも取ってもらったので、意外と普段ならやらないようなことが思いっきりバンと行けたのかな、とは思いました。
岸本:そうですね、(席題は)自分の中の予定調和を崩すという意味ではいいですね。これは確かに、予定調和を崩した句ですもんね。合格を告げることと果物ナイフを持つことは無関係なんだけど、「お母さん合格したよ」「じゃあリンゴでもむいて食べましょうか」っていうふつうの風景でもありますからね。「持つ」がいいですよね。手のひらに持ってる人の姿まで一緒に想像できますので。「持つ」ってすごくなんでもない言葉ですけど、イメージがはっきりしてくるなと思いました。
「買うはずのなかった芹の根の歪み」の方は、「買うはずのなかった」という言葉の使い方がおもしろいです。「春浅し社殿軋ませつつ祈祷」の「軋ませる」とか、「鞦韆や湖掬おうとする手」の「掬おうとする」とか、村上さんの句はある気配をとらえようとする感じがありますよね。即物的でありながらちょっとずらし加減があっていいですね。
――岸本さんが考える「いい句」とはどんな句なのでしょうか。
岸本:ダメな句っていうのはいろいろ言えるんですよ。気取った句は嫌いとかね。いいのはなかなか、むずかしいですけどね・・・・・・。
村上:そうですよね、確かに。僕は「そのクエスチョンをこっちにくれたんだ」っていう句がすごい好きなんです。今日の岸本さんの「廻廊に入つて抜けて春寒し」の句とか。1日のうちにおいての気温が秒単位とかで変わることはないのに、確かに何かが終わった瞬間に「ああ寒いな」とか思う時ってあるな、っていうことを想像させてくれますし、僕だったらもうちょっと違う風に作りたいわ、って思わせてくれて。そういうところが俳句の好きなところなんです。
岸本:答えがあんまり出てない句が私は好きなんで、そういう意味では確かに村上さんの作り方はパッと分かる答えがない、ってところはすごくいいと思います。俳句って私、コミュニケーションだと思ってまして。「おなかが痛くてつらいんですよ」と言うと、相手の人は「はい」としか言いようがないんですけど、「おなかが痛いです」で止めると「それつらいでしょうね」「うん、つらいんですよ」って1回キャッチボールができるので、答えを言ってないってことはすごく私の好みですね。
――村上さんにアドバイスするとしたら。
岸本:ちょっと微妙に荒れ玉なんだけどよく考えてるな、っていう感じもするんで、あんまり今のスタイルを変える必要はないと思いますし、じっくり読める句だと思います。
村上:特に植物を詠む時にむずかしいなと思うんですが、先代の人たちは実際に見て詠んでたことの方が強いかなと思うんです。でも自分が見たことないものを詠もうとする時に、写真を見たらなんとなくイメージできるんですけど、どれくらいの感じで向き合っていけばいいんですか?
岸本:今おっしゃったように、とにかく現場で実物を見るというのが正岡子規以来の近代俳句の行き方なんですけど、それ以前だと、例えば龍を絵に描くって実は架空のものなんです。円山応挙は幽霊を写生しますよね。
村上:ファンタジーですよね。
岸本:だからイメージがあんまり突拍子もないとダメでしょうけど、ある程度古典のイメージを踏まえればファンタジーもありだと思いますよ。
【俳句修行は来月に続きます!】