さる二月二十四日に逝去したドナルド・キーン氏は、九十六年にわたるその長い生涯において、研究・翻訳・教育のそれぞれの領域において大きな仕事を為(な)し遂げた。わたし自身はキーン氏を何よりもまず、優れた感性によって文学を味読し、流麗な名文を綴(つづ)った「文人」として記憶したいという気持ちが強い。しかし、博覧強記の研究者として、後進世代の俊英を育成した大学教授として、さらにまた近松や芭蕉から安部公房まで、日本文学を世界に向かって開いた翻訳家として、それぞれ比類のない業績をあげた偉人であることは、人も知る通りだ。
若き日の奇蹟
『日本の文学』(中公文庫=品切れ、『ドナルド・キーン著作集第一巻』所収)の原著が一九五三年にロンドンで刊行されたとき、彼はまだ三十一歳。小冊子と言ってもいいわずかなページ数のうちに、詩・劇・小説に跨(またが)って長い歴史を持つ日本文学のエッセンスを凝縮して提示しようという、驚くべき野心によって書かれた本だ。若さの輝きによってのみ可能となった無謀な企てと言ってもよい。
日本文学史の全貌(ぜんぼう)を記述し尽くすことなど物理的にも不可能だし、むろんキーン氏もそんなことを意図してはいない。彼は自分の愛する日本文学の魅力を、研究とか批評とかの制度的枠組みにとらわれないきびきびした個性的文章で、生彩豊かに物語ってゆく。謡曲の掛詞(かけことば)の説明にシェイクスピアやジョイスが引用され、『伊勢物語』はダンテの『新生』になぞらえられ、谷崎の『細雪』はJ・ロマンの『善意の人々』との対比でその独創性が賞揚される。
近年、「世界文学」という言葉が流行しているが、世界文学としての日本文学という視点は、三分の二世紀前に書かれたキーン氏のこの小著のなかに、余すところなく展開されている。この著作を、吉田健一が『交遊録』(講談社文芸文庫)の中で「一種の奇蹟(きせき)」と評しているのは何の誇張でもない。
成熟期の情熱
成熟期に至ったキーン氏が、かつての小著のなかで一筆書きのようにスケッチされた主題を、精細な叙述によって展開し尽くした偉業が、浩瀚(こうかん)きわまる『日本文学史』(中公文庫・全18巻)だ。しかしここでは、それと双璧をなす大著『百代の過客 日記にみる日本人』をとりあげてみたい。
キーン氏は古今の無名の人々の日記まで手に入るかぎり読み尽くし、平安時代から現代まで、日本人の「私」が日々の思いや行動をどのように書き留めてきたか、その長大な歴史を逐一辿(たど)り直そうと試みた。日本人の心の世界を日記という文章形式のなかに探って、その興趣と意義を平明な文章で懇切に語ってみせた。吉田健一は先に触れた本のなかで、キーン氏の文章の「アマチュア」(原義はプロに対する「素人」ではなく「愛好家」「愛する人」)としての特質を顕彰しているが、この大著においてもまた、キーン氏はこちたき議論や分析からは身を遠ざけ、静かな愛と情熱の籠(こ)もった筆遣いで、日本人の精神の深層を描き出している。
『百代の過客〈続〉』で石川啄木の日記に充実した一章が割かれているが、キーン氏の遺著となった『石川啄木』は、この夭折(ようせつ)した歌人の評伝である。彼は広範な資料を駆使し、転居に次ぐ転居、転職に次ぐ転職を重ねたこの型破りな人物の屈曲に満ちた人生行路を、明晰(めいせき)で客観的な叙述の背後に温かな同情を隠しつつ、逐一辿り上げてみせた。
『日本の文学』から『石川啄木』まで、日本語と英語との間の美しい架け橋として存在しているこの傑出した「アマチュア」の大業の総体を前に、わたしは改めて感嘆の思いを抑えることができない。=朝日新聞2019年3月30日掲載