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作家も俳優も「自分ではない誰か」になりきれる? 作家の道尾秀介さんと俳優の谷原章介さんが対談

構成:加賀直樹、写真:有村蓮

谷原:今回伺いたいのは、ヴェールに包まれた道尾さんご自身のこと。皆さん興味津々だと思いますよ。

道尾:ホントですか? じゃあ、皆さん。今日、僕が何か良いこと言ったらSNSに書いてください。「これはあんまり……」という発言は、そのまま忘れて(笑)。

谷原:道尾さん自身、SNSでかなり発信していますよね。1日にどれぐらい時間をさいていますか。

道尾:Twitterは1回下書きして保存して、30分くらい経ってやっと投稿。言葉遣いが間違っていると総ツッコミが来るし、読者をがっかりさせちゃう。だから相当気を遣うんですよね。

谷原:推敲に推敲を重ねて。

※2009年10月に開設した道尾秀介さんのTwitterアカウントは、4万フォロワー。TwitterからリンクしているWebサイトでは作品紹介やインタビュー、対談などの掲載のほか、「あなたへのオススメ作品検索」といった凝った企画も。リツイートも含めツイート数は2万を超えている。

道尾:あれは140文字までなので、短い文字数で伝える良い勉強になります。「こんなに文章を短くしても意味は一緒なんだ」って。小説の長さは400字詰め原稿用紙で換算し、長編だと、今回の新作『スケルトン・キー』が500枚ぐらい。でもTwitterは1枚の原稿用紙の半分もない。

谷原:文字数の少ないなかで、工夫することは?

道尾:漢字の「閉じ開き」です。たとえば「続ける」って、僕の小説では必ず平仮名の「つづける」にする。あの字面がもうそのまま、続いている感じ。「つ→づ→く」って。Twitterの場合はそれを漢字にして、字数を縮めることが多いです。

谷原:たしかに平仮名の「つ」だと、本当に続くかのように並ぶ。面白いこだわりですね。

道尾:小説内では「いま」も平仮名。「今」という漢字は使わない。「いま言ったでしょ」とか「いま彼が」とか、「いま」の後にはほぼ必ず漢字が来るので、漢字の「今」が入ると読みにくいんですよね。

谷原:かと言って、句読点を入れちゃうとまたちょっと……。

道尾:ワンテンポ遅れちゃう。デビュー時からそんなルール、武器を少しずつ増やしています。

谷原:作品のテーマはどうやって?

道尾:僕、編集者から放し飼いにされているんです(笑)。面白いもので、放し飼いだと、たまにみんなエサのようなものを投げてくれる。「このエサは何?」「いや、何かこういうの道尾さん、好きそうだと思って」とか。面白い体験談を聞かせたりもしてくれます。話が深くなり、いつの間にか「ちょっと今度それ書いてみようかな」となることが多いですね。

谷原:どこらへんで「あ、これ、本にできる!」と思うんですか?

道尾:人物かアイディア、どちらかが見えたときですね。『スケルトン・キー』の場合は人物で、サイコパスの主人公が最初に見えました。

※『スケルトン・キー』の主人公は、週刊誌記者のスクープ獲得の手伝いをしている19歳の「錠也」。スリルある環境に身を置き心拍数を上げることで、自分の狂気を抑え込んでいた。ある日、児童養護施設でともに育った仲間から連絡があり、日常が変わり始めていく。

谷原:この『スケルトン・キー』の場合は、どういう経緯で?

道尾:ずっと、サイコパスを主人公にした小説を書きたかったんです。いろんなサイコパスものを読んできたし、レクター博士シリーズの『羊たちの沈黙』なども大好き。ただ、僕が似たようなことをやっても意味がない。自分にしかできない何かはないか、そう思って辿り着いたのが、サイコパスの一人称だったんです。「僕は」「わたしは」で進むサイコパスものって、自分は読んだことがなかった。それをやろうというのが始まりでした。

谷原:思いついた瞬間、書けると思ったんですか。

道尾:書き始めてみると思いのほか難しくて。読者がどうしても主人公になり切れない、という本にしたかったんです。読んでいる人はサイコパスではないので。ということは、作家である僕も、すぐには入り込んで書けないんですよ。『スケルトン・キー』を書いている時は、ずっと、主人公をドローンになって追っている感じでした。初めての経験で難しかったですね。

谷原:乗らなかったですか、筆は。

道尾:その面白さがだんだん途中から分かってきたんです。ある大きなトリックが作品のなかに埋め込まれているんですが、ずっとドローンで主人公の錠也を追っていって、後半の、ある瞬間、彼がクルッとこちらを振り返る。そして「騙されていたでしょ」っていう目をするんです。そのスリルは、書いていてたまらなかったですね。

谷原:ご自身がなり切った(主人公の)目線で書いた作品じゃないからこそ味わえた。

道尾:そうです。彼が振り返った瞬間、他の作品では味わったことのない怖さを、自分自身でも感じました。

谷原:道尾さんの作品ファンの僕も、今回は今までとぜんぜん毛色が違って驚きました。サイコパス、たまたま今回は事件を起こす方向にいきますけど、物語冒頭にも記されているように、じつは大企業を興す人もいて、感性や損得勘定、感覚が違うために、冷静に、損得だけで割り切って行動できる人たちである、と。コンピューターのC言語のように判断している人なのかな、と思いました。

道尾:彼らは、黒か白か、右か左かで物事をどんどん見極め、勇敢に大胆な判断ができる。判断基準が「自分にとって得かどうか」なんですね。他人への共感能力が先天的に欠如している。今回はかなり科学的に理論武装して書きました。間違いが1か所でもあると小説として成り立たなくなる。たとえば矯正は不可能なのかという点では、いまの科学だと「不可能に近い」との結論なのですが、100%ではない。そこに可能性を見出したくて、ラストシーンを書きました。

谷原:起業、社会のイノベーション、大きな変革時に彼らが関わることも多いのですね。

道尾:そうです。大胆な判断ができるので。ただ、たとえば「風邪をひいている、ひいていない」「右腕を骨折している、していない」、これは〇か×かですけど、「サイコパスか否か」って、〇か×じゃないんです。実は曖昧で、誰でも要素を持っているし、すぐ隣にいるかも知れない。その怖さも小説のなかに入れ込んであります。

谷原:書きながら「あれ、俺、どこかに『彼ら的』なところがあるかも」って発見したり?

道尾:いえいえ、僕自身はないんですよ。彼らって、他人への共感能力が欠如している所が大きな特徴。でもそれが欠如していると小説って書けないんです。脇役を含め、永遠に会うこともない人たちの話を、自分がその人たちであるかのように書く。そこが創作の肝になるので。

谷原:作品のなかですごく共感したのは、「完全に健康な人間はいない」ということ。ひとのメンタルも同様だと僕は思うんです。二元論では掬い取れない、グラデーションが細かくある。それを思い出させてくれるシーンがとても嬉しかった。

道尾:ある意味、みんな一緒とも言えるし、みんな違うとも言えます。人間って、どうしても二元論で考えたくなるんですね。サイコパスであるか否か、性格が悪いか良いか、政治家の発言は右か左か、世の中の役に立つか立たないか。「マッハバンド」という言葉があるんですけど、グラデーションを見た時、人間って本能的に境目を見つけようとするんです。そのほうが脳が理解しやすいから。たとえば、暗いほうはより暗く見え、明るいほうはより明るく見えて、本当は存在しない境界線をそこに見出してしまう。

谷原:道尾さんの多くの作品って最後、温かく終わる。ちゃんと着地して、語られていなかった真実が表になった瞬間、何を考えているか分からなかった人が、こういうことを思い悩んでいたということが分かるというイメージがあったんですが……。

道尾:そうですね、そういう作品が多いです。

谷原:今回はそうではない。それがとても新しくて。

道尾:読者にぜんぶ説明すると面白くないことってあると思うんです。僕は、小説というメディア自体がもともとそういうものだと思っています。紙に文字が書いてあるだけなんですよね、小説って。何でも想像してもらえるメディア。その特性を存分に生かしたいという気持ちがありました。

みかんが木になっていたとして、最初は青いじゃないですか。それが、だんだん色が変わってきて、最後に黄色くなっていく。それを「黄色くなった」と書くのではなく、「色づいた」と書くと、読者の中の色に染まってくれるんです。そうした工夫を文章のなかに、ポンポンと上手く配置すると、作品が可能性でいっぱいになってくれる。自分に世界を託されたような気持ちになってもらえると嬉しいですね。

谷原:「彼ら」との共生について、僕自身、最後の1頁のあるメッセージを見た時に……、僕、子ども6人いますけど、こういう側面がある子がいたとしたら、僕はこの子をどうしようか。共にどう生きていこうか、将来どう生きていくことを教えてあげようか。自分の内のなかに入って考えてしまいました。

道尾:小説ってそれが一番良いところですよね。映画だと、主人公はだいたいハンサム。ぜったい「僕」ではないわけです。自分に置き換えて考えるには、1つ、壁があるんですよね。でも小説の場合、それがなくなる。想像の力を使って、異性にだってなれる。書くたびに感じるのは、何でもできる、いろんな人にいろんな影響を与えられる分野だなという嬉しさです。

――エンタメ界の旗手として活躍の場を広げる道尾さん。息抜きは、6台も所有するキックボードとのこと。同時に凝っているのが音楽活動。音楽と小説の関わりにも話は及んで……。

谷原:大道芸みたいなのもやっていましたよね? たしか、手の周りで何か回して。

道尾:あ、あれは楽器ですよ(笑)。「ボーンズ」ってアイルランドの民族楽器。指の間に挟んで、すごく速いカスタネットみたいな音がトゥルルって鳴る。

谷原:楽器でしたか(笑)。昔、教えてもらった時、大道芸のイメージで覚えていました。

道尾:たしかに、手と足がヘンな動きだから、イメージとしてそう残るかも。ライブでも使ってるんです。ボーンズ、昔は牛のあばら骨だったんですよ。いまは、だいたい木でつくってあって、音が良くなった。打楽器をやっていると、小説の構造とダイナミズムが似ているので勉強になるんです。Aメロ、Bメロ、サビ。インパクトの付け方。サビだからって思い切り叩くと、ただうるさいだけ。ここぞという「決め」の部分で強く叩くんです。小説でも、勢いの強弱とか、ダイナミズムを大事にしています。

谷原:道尾さんの本を読んで思うのは、リズム感が良いんですね。「字余り感」が少ない。ストン、ストン、ってちゃんと落ちてくれる。しかも句読点を入れるポイントも気持ちいい。意識しています?

道尾:しています。僕は、本を読み始めたのがすごく遅くて、高校生の頃まで小説なんて読んだこともなかった。そのせいで、いまだに本を読むのが遅いんです。だから、書く時には読みやすさを意識しています。特に句読点とか、漢字の「閉じ・開き」。あとは改行とか。カギカッコも、よく台詞で「じつはね」などの下に地の文を入れて、改行せずに続きの台詞を書くパターンがありますよね。僕は、カギカッコの上下には何もないことが多い。たとえば、こんなふうに、改行して……、

「じつはね」
 彼女は私を振り返った。
「ゆうべ怖いものを見たの」

……僕はこれが多いんですよ。面白いことに、改行するしないで、台詞が変わってくるときもあります。たとえばビジュアル的に、最初の台詞が短すぎて違和感があれば、少し付け加えてみる。すると主人公の喋ることが変わってくる。それがストーリーに影響を及ぼすこともあるんですね。文体がストーリーを変える。だから、文体をいじったりするのは、いつもワクワクします。

谷原:なぜにまた、台詞のカギカッコを独立させて、改行しようと思われたんですか。

道尾:読み手として、もともと続けて書かれるのが苦手だったんです。でも、そっちが読みやすいという人もいて、好き嫌いの問題。他には、「てにをは」もあります。たとえば、「が」と「は」、「に」と「へ」の違い。意味は同じですが、「僕はそう言った」「僕がそう言った」「僕のほうに球が飛んできた」「僕のほうへ球が飛んできた」など、平仮名一文字でニュアンスが変わる。これはすごく気を付けています。有名な例だと、「米洗う前、蛍の二つ三つ」。その「米洗う前」と「蛍の二つ三つ」の間を、何の平仮名一文字で繋ぐかで、風景が変わるんですね。

谷原:ほほう。

道尾:「米洗う前へ蛍の二つ三つ」「米洗う前を蛍の二つ三つ」「米洗う前に蛍の二つ三つ」。変わってしまうんです、風景が。

谷原:ああ、たしかに、パッと止まった蛍、歩いてきた蛍、跳んで通過した蛍、みたいに、イメージが変わってきますね。

道尾:平仮名の使い方、すごく大事だなと思います。

谷原:なるほど。あと僕、苦手なのが、カッコ付きで台詞が続くのに、ときどき、カッコも何もつけないで地の文で台詞になったりする時があるじゃないですか。

道尾:ああ、ありますね。

谷原:あれって、何か意味があるのかなって、僕、そこで止まってジーって考えちゃうんですよ。

道尾:京極夏彦さんがお得意ですね。「京極文体」の影響を受けた人はたくさんいると思います。

谷原:言葉として発しているのか、それとも胸のなかの言葉なのか。

道尾:リズムが良くなるときがあるんですよ。僕もここぞという時には使うようにしています。効果的なのは、主人公の意識がまだそっちに行っていない時とか。たとえば――

いま何時かな、と谷原さんが言った。
「6時になったらこのイベントも終わるんだけどなあ」

……文頭の、いま何時かな、と言った時には、主人公はまだ谷原さんの方向を向いていないようなイメージがつくれるんです。カギカッコの部分「6時になったら~」から、主人公が初めて谷原さんの顔を見始めたような印象を与えられる。そうすると、1行減らせるんです。主人公がどっちを見ているかを書かずに済む。

谷原:描写として、そのとき主人公が向いていなかったという文章を書く必要が……。

道尾:なくなるんですよ。

谷原:なるほど!

道尾:文章は、質量さえ同じなら、なるべく短いほうが良い。余計なものは無いほうが良い。

谷原:いつか道尾さん、「小説は書いていないことのほうが多いんです」っておっしゃって、「なるほど!」と思ったんです。

道尾:トリックもそうですし、描写もそうですよね。全部書いちゃうと、小説である意味がない。誰かと1日一緒にいても、家に帰った時に相手がどんな服を着ていたか思い出せないことが多い。けれども、ふとした時に嗅いだ匂いとか、その人の何か印象的な一言は、しっかり覚えていたりする。人形作家・与勇輝さんの人形で、僕が好きなものの一つに「あっ!ホタル」っていう作品があるんです。

谷原:また蛍が出ましたね。

道尾:思い出すたびに、綺麗な緑色の光がスーッと暗い所を飛んでいくイメージを喚起されるんです。ところが、その人形は、浴衣の少女が、ちょっと身を乗り出した格好で、ある方向を見て、ぼんやり口を開けているだけ。蛍、どこにもないんですね。

谷原:へえ!

道尾:あの作品を思い出すたび、少女の眼の先に綺麗な蛍が見えるという。凄いテクニックだし、自分の文章でもそういうことができたらなと、いつも思っているんです。

谷原:なるほど。敢えて書かないことで表出されることがある。漫画や映像は視覚的にイメージが強いじゃないですか。どうしても、細かく描写せざるを得ない宿命にある。でも、小説ってそれが自由ですよね。さっきの「みかんが色づいた」の言葉で相手のみかんのイメージに委ねることができる。それって小説の自由さですよね。

道尾:映像は短時間で大量の情報を伝えられますが、逆にこういうことをするのは難しいんです。……映像で活躍していらっしゃる役者さんを前にしてアレですけど(笑)。

子どもが主人公の時なんかも、頭を完全に想像モードに切り換えます。しゃがんで子どもの目線に合わせようとしたところで、それは子どもが立っているのではなく、大人がしゃがんでいるに過ぎない。だから、子どもの描写を書いているときは子どもになり切ります。役者さんって、どうなんですか。自分ではない誰かを演じるわけじゃないですか。それって、なり切るんですか。

谷原:いろんなアプローチがあると思うんです。役に近づけていこうとする人、役を自分に引き寄せる人。良い悪いではなく、その人のスタイル。ある役者さんはいつも同じで、どの役を演じても「あ、さすが、待ってました!」。でもそうじゃなく、役や作品が変われば、ぜんぜん人が違うってかたもいらっしゃる。時代物は制約も多いですが。……道尾さん、ご自身で時代小説、どうです?

道尾:大好きな作家・久世光彦さんが昔、『逃げ水半次無用帖』という艶と味のある江戸時代のお話を書いたことがあるんです。亡くなった久世さんの奥様とは懇意にさせて頂いていて、「あれを書く時に久世は本当に悩んでいた」と。何をですかと聞くと、「夜の暗さをどう書けばよいか」。田舎の暗さとは違う、江戸の暗さを書けないと悩んでいたそうです。あんな大作家がそうなんですから、まだ僕は手を出さないほうが……。現代劇でしばらくは行きたいです。

谷原:あと道尾さん、連続モノってないじゃないですか。そういうものは?

道尾:今年の秋、『カラスの親指』の続編が出るんです。もう書き終えていて、ものすごく面白いです(笑)。続編、普段やらないんですよ。ある人物が出てきた瞬間、その人は最後まで死なないだろうなって分かっちゃうこともあるし。何が起きるか分からない面白さが物語の醍醐味だと思ってきたので。ただ『カラス』は、あの主人公たちにもう1回会いたいという気持ちがすごくあった。10年経っているんです。今を逃したらもう会えない。だから10年後の彼らを書きました。

谷原:楽しみにします。あっという間に時間が経ってしまいました。最後に一言。

道尾:人類の歴史が始まってから、こんなに人が文字を読んでいる時代はないですよね。LINE、メール、インターネットの記事。文字がこんなに読まれているのに、なかなか小説を読んでもらえない。自分たちが面白いものを書けていないのだという思いがあります。

いま、本が本当に売れなくなっていて、僕らはもっともっと良い小説を書かなきゃいけない。一所懸命やっているつもりなので、もし興味を持っていただけたら、本屋さんでご購入をしていただけると嬉しいです。図書館でも良いですけど、できれば買っていただけると、僕らはそれでご飯を食べ、また書ける(笑)。あとは、谷原さんの出ているテレビにチャンネル合わせれば、視聴率が上がるので、谷原さんがご飯を食べられます。

谷原:草の根運動(笑)。本屋さんで購入した後、図書館に道尾さんの本の納入を要望していただけたら、より良いかも知れないですね。ありがとうございました。

道尾:ありがとうございました!