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人の心は無限、小説はその産物 「チンギス紀」の北方謙三さんと俳優の谷原章介さんが対談

構成:加賀直樹、写真:有村蓮

北方:北方謙三です……。……よろしく。(場内から笑いと拍手)

谷原:さすがハードボイルド。自分の名を名乗っただけで笑いが起きる(笑)。

北方:そういうテクニックを長い間で身に付けちゃった。しばらく経って3秒間、ためて、「……こんにちは」。

谷原:僕なんか気が小っちゃいもんで、3秒待てないんですよ。

北方:まあね、やればできます。言葉をすぐに出さないように、舌を噛んでいるんです。

谷原:見えないところで努力されているみたいですけど(笑)。発売になりましたね、『チンギス紀』。

北方:はいはい。第4巻です。皆さん買っておられるよね。私は、いいですか。病原菌なんですよ。分かります? 「北方菌」。それはここに来た人全員感染します。潜伏期間は3日から1週間。発病する場所は決まっています。本屋さん(笑)。

谷原:ぜひ第1巻から読まないと。

※『チンギス紀』の舞台は12世紀のモンゴル高原。さまざまな部族が覇権を競い合うなか、モンゴル族の有力氏族・キャト氏の長の嫡男として生まれたテムジン(のちのチンギス・カン)が主人公だ。父親がタタル族に討たれ、後継となるはずが、とある理由から異母弟を討つことに。テムジンはモンゴル族統一のため、旗を掲げ、仲間と共に原野を駈けていく。

北方:物語って、広くて長いもの。でも所詮、どれだけ広げても地球以上に広げられない。大したことないんですよ。人の心と比べて大したことない。人の心のなかって無限ですから。

谷原:4巻の冒頭にそんなくだりが出てきますよね。チンギス・カンといいますと、大帝国の皇帝。侵略して国を広げていったイメージはあるんですけど、今回は、少年期から書き始めていらっしゃる。

北方:チンギス・カンの少年期から40歳までは、何も資料がないんです。「元朝秘史」はありますけど、説話ですからね。後で語り継がれたものを集めた本があるだけで、じっさいの史実は無いんです。40歳近くになって史実に絡んで出てくる。これは小説家の醍醐味で、私のものなんですね。史実がなければ。

谷原:これまで僕が読んだ『チンギス紀』の第1~4巻。すべて北方先生の想像の世界ですよね。

北方:小説家としては非常に魅力がある状態。いかようにも解釈できる。小説家の仕事はそこで、まずスピードに乗っちゃうんです。最初にローギアから発進して、あっという間にガーッと走って、ちょっと史実が絡んでくると、2段ぐらい速度を落として。

谷原:着実に筆を進める。今回、テムジンというキャラクターがすごく魅力的。寡黙なところがあって、でも、胸の中に秘めた熱量、凄いものがありますよね。

北方:この地を統一しようとした人ですから、半端じゃないんですよ。怪物であり、お化けなんですね。始皇帝がいくら統一しようとしたとしても、それは中華の世界だけ。テムジンは、中華の外から来ているわけなんです。いろんな場所を全部征服して、ひとつの王朝にしていこうと考えた男は、歴史上初めてです。あれだけ広い版図を持った人間というのも、歴史上いません。……まあ、人間の心と比べたら狭いもんだけれど。

谷原:自分という人間の大きさ、力が有限であることを日々、痛切に感じるんですけど、「心は無限なんだ」という言葉には、ちょっと気持ちが楽になれますね。

北方:じつを言うと、自分の心がどこまで広がるのかなんて、分からない。だけど無限でありたいって思うんです。小説ってそういう産物。ハードボイルド小説を書いている時には、「ずいぶん喧嘩しているんですね、強いんですねぇ」って言われたんですけど、ただ強い人格になりたかっただけなんです。小説のなかだから実現できるんです。

谷原:実際の北方さんは?

北方:実際は「これで絶対必勝だ」というパターンがあるんです。1発、ポコッと殴ってパッと逃げるのが手だった。ところがある時、かわされて、ポコンポコンと殴り返された。「ありゃりゃ」って。……昔の話ですよ。今、それやったら死んじゃう。

谷原:事件になっちゃいますよね(笑)。まあでも、『チンギス紀』、テムジンはまだまだ若年ですけど、チンギス・カンといえば、存命中ではないですが、のちに蒙古襲来、元寇で日本に来ていますよね。そこまで書こうと思ったら書けますよね。

北方:いちおう『チンギス紀』ですから。チンギス・カンが死ぬところまで。元寇のことまで調べてみて、書こうと思ったけど、もうダメ。年齢的に。今年、年男ですからね。

谷原:まだまだお若い、お元気ですし、前例があるじゃないですか、「水滸伝」シリーズ。僕、ずっと読んでいて、「ああこれで完結したな」と思ったら、『楊令伝』『岳飛伝』と続いていった。まだまだ続けられる。

北方:通常、長くなるとどんどん売れなくなるもの。ところが『水滸伝』は巻を重ねるたびに売れてきたんです。

谷原:キャラクターが魅力的。「李逵(りき)」はとってもヤンチャで可愛くて、愛すべき男。料理が上手で、スパイスを肉にかけて焼くのが上手。戦のさなかでも、ちょいちょい、様々なハーブを見つけては、自分の荷物のなかにしのばせ、夜、野営地でみんなに振る舞う。

北方:私も、肉を自分で焼くんですよ。美味しい焼き方ってあるじゃないですか。たとえば300グラムのステーキがあったらどうやるか。それぞれ流儀があると思うんです。私の場合、弱火のバターで。

谷原:強火の遠火じゃなく?

北方:強火の遠火は魚を焼く時です。肉はね、表面を1分、裏1分。で、休み。

谷原:休ませるんですね。

北方:それを3回繰り返すんです。休ませたら、もう1回同じ過程を繰り返す。全部バター。バターをフライパンに入れ、バターの泡がちょっと大きくなってきた頃が肉の入れ頃なんです。3回繰り返すと、焦げ目がついてくるんですよ。プロの料理人に話したら「正しいやり方だけど面倒くさいから、やらない」って(笑)。

谷原:商売だと手間がかかりすぎるのかもしれませんね。

北方:肉はね、焼かれていることを気づかせないように焼け。

谷原:どちらのシェフの言葉ですか。

北方:三國清三さんだったかな。そっとそっと。すると、肉の組織が壊れないできちっと熱が通る。血の滴るような肉は駄目なんですよ。ちゃんとエイジングすると、余分な水分が飛ぶんです。サラシで包んで、ビニール袋に入れて冷蔵庫に入れておく。それを何回か繰り返すと、熱が通りやすくなって、すっと真ん中を切っても血が出ないんです。

谷原:じゃあ、肉を買ってきて、食べるまでどれぐらい時間かかるんですか。

北方:2週間ぐらいですかね。

谷原:それはなかなかにハードなボイルドですね(笑)。

北方:私はね、だいたい現実では失敗しているんですよ。「こうやるとうまくなるに違いない」じつは私、自宅で料理を禁じられているんです。台所を占領するじゃないですか。海のそばにちっちゃな小屋がありまして、そこの台所で料理するんです。

谷原:ご自身で料理されるから、「水滸伝」シリーズにしても『チンギス紀』にしても、お料理の描写がとっても美味しそう。

北方:私はね、だいたい現実では失敗しているんですよ。「こうやるとうまくなるに違いない」と思って、口に入れたら、口が痺れちゃう(笑)。にんにくを強く入れ過ぎているんです。全部うまくいって、香料も何もすべて効いて、パッと口に入れたら陶然とするものってつくったことないんです。小説ならいくらでもつくっている。小説の中でしかできないんですね。

谷原:美味しそうなんですよ、数々の描写が。

北方:現実につくると、そんなものできないじゃないか、と。「水滸伝」シリーズでは魚肉の饅頭をつくる、あの中では美味いんですよ。だけど自分でやると生臭い。唯一、マナガツオでやれば臭みがなくなる。

谷原:処理に工夫の余地があるのでしょうね。

北方:私はね、タクラマカン砂漠を、ひと月にわたって車で、道じゃないところを走ったことがあります。砂漠の真ん中を走っていると、電気も何も来ていない、緑だけがバーッとあって、そこ、オアシスなんですね。そこまで行く間に、砂の上に何かが生えているんですよ。良いものはポケットに入れて。

谷原:まさに李逵(笑)。

北方:村に行った時に焼かせてもらって。「何だ何だ? 塩だけじゃないのか?」「これが良いんだよ」って。塩でしか食ったことのない人が「臭い!」って(笑)。料理は試みです。

谷原:少数民族の方々の食べ物はどうでした?

北方:食べ物はおしなべて美味い。中央アジア、ウズベキスタン、キルギスタン、美味いですよ。肉があって野菜が多少ある。シチューみたいにしたり、焼いたり。砂漠のなかは駄目だったですよ。モンゴルと似ています。モンゴル、香料使わないですから。肉を鍋に入れ、岩塩を入れる。すると塩が水を出すんです。クツクツクツクツクツ。

谷原:素材の水分だけで煮るんですね。タジン鍋みたいな感じ?

北方:よくご存知ですね。でもタジンみたいに蒸しはしない。でっかい鍋に、触ることができないような熱い石をドボンと入れる。何で入れるのか聞いたんですけど、言葉が分からなかった(笑)。……羊を捌くこと、やったことないでしょ。

谷原:ないですね。鶏すらないです。どんな感じなのですか。

北方:私、捌いたことあります。「食べ物が無くなっちゃった。どうしよう」。一緒に連れて可愛がっていた羊のモフモフちゃん。それを食べなきゃいけない。

谷原:旅に一緒についてきたモフモフちゃんを……。

北方:食べるために連れてきたはずなのに、すっかり友達になってしまった。どうしよう、でも、食べないわけにいかない。一緒に来ている道案内の子、まだ15歳ぐらいの子ども(だからやらせられない)。「じゃあ、私がやる」。意を決してね、地に伏し、いちおう天に祈って、「この命を一ついただきます」と祈りを捧げ、それから羊を仰向けにして。

谷原:でもモフモフちゃん、暴れますよね、「厭だ厭だ」って。

北方:後ろの足は私が乗っかって、前の足を2人が押さえる。スッとね、ナイフでまず、へその下を切るんです。

谷原:お腹から行くんですか。首から血抜きとかしないで。

北方:血は一滴も残しちゃいけないんです。大地に。

谷原:大地に。たしかに本の中にそういう記述がありましたね。

北方:脾臓の下にすっとナイフを入れると、そこだけなぜか血が出ないんです。傷口にズボッとこぶしを入れる。すると道があって、ギュッとと肘まで入るんです。ちょうどそのあたりに「ピク、ピク」と心臓がある。上の管を1本、ブチュっと切ると、パタッと死ぬんです。

谷原:心臓を……。

北方:プツッと。そうすると絶命しちゃう。皮にスッとナイフを入れ、指でおろすんです。最終的にどうなるかっていうと、モフモフちゃん自身の毛皮の上に、包まれるように肉の塊がある。最後に肺を外した時に血がいっぱい出るんだけど、それは全部貯めておいて、内臓を煮る時に使うんです。

谷原:はあ……。でも、初めて捌いたわりには、メチャクチャ上手ですね。

北方:何回も練習したんです、出発時に。これ、遊牧民の捌き方なんです。沖縄などでヤギを捌く時って、木からぶら下げます。沖縄もね、血をこぼさないように、下に洗面器かなんかで受け取るんですね。

谷原:でも、羊、内臓とかの匂い、大丈夫ですか。

北方:匂い、しないんですね。私、身体の中に手を入れているわけです。出したら濡れている。温かいし。でも、不潔感は全然なかった。不思議となかった。

谷原:何でなんでしょうね。

北方:空気が乾いていて、ジトっとこないというのはあると思うんです。

谷原:北方さん、臭いには強いほうですか?

北方:「くさや」なんか平気で食います。ドリアンなんか好きでしょうがない。甘くてうまい。ホテルの中で食って、怒られて罰金取られたことある(笑)。みんなに注意されたけど、構わずにバッと切ってバッと食っている間に、匂いを嗅ぎつけられドカドカ踏み込まれて、「駄目だって言ったじゃない!」って怒られて連行された。食いながら連行されたんです。

谷原:臭い匂いって、それを乗り越えた瞬間に、自分だけにしか分からない、得も言われぬ美味さがあるじゃないですか。

北方:あるんですよね。沖縄に行くでしょう。そうすると、ヤギ汁を食うわけですよ。匂うわけです。匂いを消すためにヨモギがドッと入っていてね、その匂いもプンとする。ヤギ汁自体の匂いもプンとする。色は、フナが1万匹浮いた隅田川みたいな色(笑)。臭くて飲めない。でも我慢して1杯。2杯。3杯目になると、「ちょっと、ヤギ汁ないと駄目だなあ」。

谷原:癖になっている(笑)。

北方:中国の四川って辛いものばかり食っているじゃないですか。揚子江を船に乗って降りてくるとだんだん、辛さが無くなっていく。河口部の上海では、言葉悪いですけど、「なんだ、この屁みたいな料理は」って。人間って、刺激に上限ないですね。下に降りていくと物足りなくなっちゃう。人生の刺激と同じ。気を付けてくださいね皆さんね(笑)。

谷原:脱線しました(笑)。『チンギス紀』の今後の展望、とても気になるんですけど、これから青年期、壮年期がやってきますよね。領土を拡大していくところが楽しみ。

北方:テムジンは、モンゴル族のうちの有力氏族キャト氏の嫡男。タイチウトにテントを張る。そのキャト氏を統一してからですよ。

谷原:モンゴル族ですけど、氏族がいくつかに分かれているんですよね。それをまず集合させる。

北方:テムジンは今、キャト氏の一部を持っている。統括し、相当な力を得て、それから結構な進撃をしていく。……こんなこと言わせないでくださいよ、後ろのほうで編集担当者が睨んでいますから(笑)。

谷原:これ、『水滸伝』みたいに51巻で終わるのかなって。

北方:51巻も書かないですよ! テムジンは中央アジアの西のほうまで行って、それで1回戻ってきて、他の遠征の途中で死んでしまうんです。

谷原:そこに至るまで何巻までも読めるのを楽しみにしています。僕にとって北方謙三さんの原点は、何と言いましても、中1ぐらいから読み始めた、思春期の僕らのバイブル「試みの地平線」。「何言ってんだ、このオッサン」なんて思いながらも(笑)、毎回僕らの悩みに答えてくれる、切り味鋭い解答に心を掴まれていました。

※「試みの地平線」は、男性向け雑誌「ホットドッグプレス」(講談社)で約16年間続いた名物連載。悩める男子たちが毎回、北方さんに相談を持ち掛けては、北方さんが一刀両断で解決していく。恋に悩む男子に対して放たれた伝説のキラーフレーズ「ソープへ行け!」は、今なお語り継がれる。

北方:僕は16年間やっていたんです。気分としては、小僧を目の前にして、胡坐をかいて、「今から話するぞ」って一晩エッチな話から何からずーっとしている感じ。友達と語っているという感じなんです。だから、相当すごい強烈なことも言っちゃうんですよ。

谷原:いっぱいありました。答えにくい質問ってありましたか。

北方:ありましたよ。それにとんでもない答えをしたら、「あいつを下ろせ」って講談社に、ものすごい投書が来た。でも、雑誌がなくなるまで続いたんです。なくなって思ったことは、あの時、若い連中に対してちゃんとアンテナが伸びていた。私は小説家だから、いつ17歳が主人公の小説を書かなきゃいけないか分からないんです。若いヤツの感性ってどんなだろうっていうのは、そこでだいたい分かったんです。

谷原:「試みの地平線」の頃は10代にとって必要な「身近なおじさん」って感じだった。今、社会に出て、40歳を超えて、親は年を取った、子どもはまだまだ手もかかる、会社でも期待されている、40ぐらいのちょうど僕はその年代なんですけど、すごく悩んでいる奴らにこそ必要だなと思うんですよね。

北方:あれはね、読者層はだいたい16~19歳だったんです。20歳になったら卒業していく。だから16年間、高校の先生をやっていたようなものですよ。悩みにはいろんなバリエーションがあったし、いろんな変化をしてきた。だけども、根本的な悩みは変わらない。それは「自分で決められない」。だから私があれで言っていたのは、「何だって最後は自分で決めろ。他人に聞かずに自分で決めろ」。

谷原:改めて読み直すと、いま、いろいろなことで迷って元気を無くしている僕らが、もう1回カツをもらえる。エネルギーをもらえるんですよね。

北方:僕はカツを入れるつもりは何もなくて、自分が若い世代に向かって真剣に言葉を吐けば、自分の若さがどんどん戻ってくるような気分だったんです。真剣に、そいつのことを考えて、議論して、反論も想定してやっていると、自分の感性がみずみずしくなってくるような感じがあった。あのコーナー、好きだったですよ。

谷原:だからこそ北方さん、そして僕ら読者がずっと繋がり続けたわけですね。

北方:ある程度の年齢のかたは、私のことを「神」のように思っているんです(笑)。人生、つらいですよ、神と思われたら(笑)。

谷原:お時間が来てしまいました。最後に一言。

北方:『チンギス紀』は、人が出てくる、人の物語なんです。小説はいつも私は「人の物語」だと思っているんです。前は文学をやっていました。それは自分のために書いていました。今は、物語を書いています。これはね、人のために書いているんです。あなたのために、1対1で。1対1の関係が1万通り、2万通りあっても、私はいつもあなたのために、誰かのために、たった1人に話しかけています。私もこの年齢になったら生活を安定させたいので(笑)、皆さん、最初に申し上げた通り、「北方病」に罹っています。早い人は入り口の書籍売り場で発病しますから(笑)。谷原さん、すいません、ベラベラ喋っちゃって。皆さん、ありがとうございました。

谷原:ありがとうございました!