>内田裕也は樹木希林を必要としていたのかな 「アトリエ会議」①前編はこちら
横尾 裕也があるとき、ニューヨークから電話をしてきた。僕は四国に行っていた。そしたら裕也がすごく怒った。なんでいないんだと。でも僕は彼に雇われているわけでないからさ。四国にいた僕をやっと彼がつかまえた。僕の泊まっていたホテルの電話交換の人が、「ちょっと気持ちの悪い電話がかかってきているんですけど、おつなぎしていいでしょうか」と部屋に電話してきたから、「相手は誰ですか」と聞くと、「ちょっとお待ち下さい」といって「ウチダユウヤさんという方です」。「あ、じゃあつないで」といって、やっとつないでくれた。裕也は「やっとつかまった、横尾さんを捕まえるのはなんでこんなに大変なの」と言っていて。「いま俺はニューヨークにいる」というから急用だと思ったら、「きょう昼間にMOMA(ニューヨーク近代美術館)に行って、横尾さんの作品が展示されているのを見て、それですごくうれしくなった」と。ただそれだけの電話だったの。感激屋さんというか、感動屋さん。
磯﨑 それで電話をくれたのなら、うれしいじゃないですか。
横尾 僕は初めて友情を感じたね。磯﨑さんは、仮にニューヨークで僕の作品を観ても電話してこないでしょう。
磯﨑 電話しても、「そんなのニューヨークにあるに決まっているじゃないか」と言われそうな気がしますからね。
横尾 靴下を交換したときも友情を感じたけど、変な友情で。電話のときは裕也に友情を感じたね。彼とは50年間に4、5回しか会っていないけれど。
磯﨑 僕が中学3年生のときにジョン・レノンが亡くなって、日比谷野外音楽堂で、ジョン・レノン追悼集会があった。ジョンが死んだから行こう、と友達と一緒に行った。弔辞で内田裕也がステージに出てきて、「俺がジョンに捧げる言葉はこれだけだ。ROCK’N ROLL」。それで終わった。
保坂・横尾 ははは。
磯﨑 あのときが1980年、あの頃からロックンロールだった。
保坂 その前からロックンロールだよ。
磯﨑 オノ・ヨーコさんの話、してくださいよ。(保坂さんが座っているソファを指して)そこに座っていた写真がある。
横尾 2週間ほど前かな。ニューヨークから連絡があって、会いたいね、と。「僕は耳が悪くて飛行機に乗れないんだよ」と言うと、「じゃあ、私が行くわよ」と言って、ほんとに来ちゃったの。コンビニに行くような格好で来ちゃうの。
磯﨑 元気そうですね。
横尾 顔を見ても86歳とは思えない。
磯﨑 日本に来るだけだって、その年齢なら普通は大変ですよ。
横尾 次の日には京都の金閣寺に行くといって、そのあとてっきり東京に戻ってくると思っていたら、急に気が変わって、ロサンゼルスにいっちゃった。
磯﨑 その移動だけだって普通の86歳にはできないですよ。
横尾 彼女のフットワークはすごい軽い。世界のいろんなカオスを見てきているわけですよ、ジョンと一緒に。だから平気なの。いかに多くのカオスを見るかということ。体験しないとだめなのだと僕は彼女を通して感じるわけ。それが、磯﨑さんがよく言う肉体ということなんだと思う。
磯﨑 そうでしょうね。
横尾 でも、だんだん、だんだん、さみしくなってくるね。周辺のひとが、ひとりずついなくなっていく。今年になってからね、ドナルド・キーンさんも梅原猛さんもいなくなったでしょう。瀬戸内さん、はまだ、、、いる。
磯﨑 瀬戸内さん、今朝の新聞で「令和」について感想を述べてましたよ(笑)。
横尾 このあいだ、僕、ある取材で「イチローの引退をどう思いますか」と聞かれて、「イチロー死んじゃったんだよね」と答えたら、取材の人の手が止まって、「なんていうことを言うんですか」という顔をしている。まずいのかな、と思っていて、その日の夜、テレビをつけたら、イチローの特集番組をしていた。番組のなかで、イチローは「引退は自分にとっては死も当然だ」と言っていた。僕が言っていたことと同じことをイチローが言っていた。イチローが言う分にはいいんだけど、第三者が言っちゃよくないみたいね。
磯﨑 NHKの番組ですよね。イチローが飼っている柴犬が17歳で、1日1日を乗り切ってなんとか生きているその犬を見ていることが自分の支えになった、とイチローが言っていた。引退は死と同然、というのと、犬のことを言っていましたね。うちで飼っている犬が、この2、3週間、やたら水を飲むようになっちゃった。猫にクッシング症候群という病気ってあります?
保坂 名前は聞いたことある。
磯﨑 水を飲むようになると、その病気の可能性があるそうで。ホルモンの異常なんです。獣医に連れていったら、その病気かもしれないと言われて、この間の日曜に血液検査をしたんです。血を採って、それから家の中みんなが、もしその病気だったらどうしようとずっと不安な状態だった。きょうここに来る直前に、獣医から電話がかかってきて、血液検査の結果、その可能性は低いとわかった。すごく安堵した、晴れ晴れとした気持ちでここに来たんです。いまや3人目の子どもですね、犬は。
横尾 そんなの過保護だよ。
磯﨑 過保護だなんて。ふたりの猫に対する過保護と同じじゃないですか(笑)。
横尾 犬とお嬢さんを同格に論じたらおかしいよ。
磯﨑 保坂さんが小説で書いていた、猫の薬のL―アスパラキナーゼとか、僕だって覚えちゃった。クッシング症候群という専門用語なんてぜんぜん知らなかったのに、飼っている犬が病気かもしれないと思うといろいろな資料を調べてしまう。動物を家族として飼うというのは、そういうことなのだなと思いました。もしクッシング症候群だったら、薬を一生飲み続けないといけない。その薬代が高い場合は1日1800円。1カ月4~5万円。それを死ぬまで飲ませないといけない。うまくいけばそのまま寿命をまっとうすることもあって、10年間薬を飲ませ続ける。金持ちじゃないとできないと思った。
横尾 僕は過保護だと思うな。
横尾 我々がこうやってしゃべっているのはね、「文藝」という雑誌だったから。あれは内輪の雑誌じゃないですか。それが今度はネットに出ると、ほかの人たちが読む可能性があるのでしょう。本に興味がある人が読むの?
――横尾さんの書評を掲載しているサイトです。
横尾 このあいだ僕が書いた書評は、京マチ子さんについての本(『美と破壊の女優 京マチ子』)。京さんは、原宿の坂のところのマンションに住んでいた。
磯﨑 「コープオリンピア」ですよね。日本初の億ション。東京オリンピックのときに出来たんですよ。当時の1億円で売り出した。
横尾 京さんが住んでいてもおかしくないよね。
磯﨑 あの本を書いた著者の北村匡平くんは僕の大学の同僚なんですよ。東工大の。
横尾 本のこと書いてないもん僕。
保坂 じゃあ、同じうさぎ年だ。
横尾 え、誰が?
保坂 横尾さん(1936年生まれ)と京さん(1924年生まれ)。
横尾 僕、ねずみ。
保坂 あ、じゃあ京さんもねずみ年。ひとまわり違い。
横尾 来年は僕の干支。そこからもう一周りか。90いくつは自信ないね。「好書好日」というのは、何ですか?
>横尾さんによる北村匡平著「美と破壊の女優 京マチ子」書評はこちら
――朝日新聞のサイトの名前です、雑誌名みたいな感じです。
横尾 なるほど。じゃあ高尚な話をしないといけないね。ぜんぜんテイショ(低尚)な話ばかり。
磯﨑 そのことは事前にさんざん聞いたんですよ。朝日新聞でこんな鼎談載せて、本当にいいんですかって。何度も聞いたのですが、いいというから。中身がある話もしているのに、「文藝」では中身のあるところを載せてくれなかったね(笑)。中身がないところで終わっちゃっている。
横尾 いかに中身のない生き方をしようかと思っているのだから、中身のあるような話はしないほうがいいよね。
保坂 いままでの話も、横尾さんの中身はないんですよね(笑)。
横尾 意味のない話の方がいい。僕は絵描きさんだからさ、絵を描くときにそういうのは全部じゃまになるの。磯﨑さんたちが必要としているものは全部じゃまなの(笑)。でもね、磯﨑さんも保坂さんも、どっちかというと、アーティストに近いよね。僕が言うと失礼かもしれないけれど、アーティストが上みたいな言い方をしているけどさ。
磯﨑 いや、アーティストの方が上なんですよ。
横尾 三島(由紀夫)さんはそれを認めていたみたいね。
保坂 そうですか。
横尾 文学をやる三島由紀夫としてアートにはかなわないみたいなことを言ってました。文学が超えられない世界があるじゃないですか。言葉が足かせになって超えられない。
磯﨑 保坂さんがきのうのツイッターにこう書いていた。自分は言葉を信じない小説家だ、と。
横尾 立派だね。
磯﨑 それは小説家のなかでは珍しいんですよ。
横尾 だから保坂さんはああいう小説を書けるわけね。
磯﨑 小説家というと言葉のプロだみたいに思われるじゃないですか。文章がうまい、とか。世の中一般には。
横尾 保坂さんが今から40年前、50年前にあんな小説を書いていたらぜんぜん評価されていなかったかもしれない。
磯﨑 昔からそういう人はいたでしょう。
横尾 小島信夫さんがいるか。
保坂 小島さんと深沢七郎ですよ。三島由紀夫は2人を評価すると同時に嫌がった。気味悪がった。
横尾 そうでしょう。三島さんの目指していない世界だけれど、ああいうのを書かれると。小島さんにしても深沢さんにしても、目の前を箒ではきながら歩いているようなタイプ。井上光晴さんから小説を頼まれたときに、「僕は小説なんて書けない」と言ったら、井上さんが小説の冒頭らしい部分をぺらぺらとしゃべった。「家の前に大きい欅(けやき)の根の切株があって」と。あとでわかったんだけど、井上さんは『楢山節考』の冒頭を暗記していて、それを読み上げていた。そして「こんな小説だったら書けるでしょう」と言う。こんな小説でいいじゃないですか、というのは、深沢さんに対してすごく失礼だよね。井上さんもちょっとおかしな人だったけれど。
磯﨑 その「こんな小説」が難しいんですよ。みんな、なかなか書けないんですよ。
横尾 保坂さんの小説は、活字で読むよりも、保坂さんが朗読するなり、読む人が声を出したりして読んだほうがおもしろいね。
保坂 そう。なんで知ってるんですか?
横尾 保坂さんの小説を読んでいると、これは目だけで読む小説ではないなと思った。それで口のなかでもぞもぞ声を出して読んでみると、すごくよくわかるわけ。そういう小説ですよね。声出して読んだらもっとおもしろくなるわ。
保坂 だから僕、人前でしゃべるんですよ。人前に出ていかないと、こういう人だとわからない。ほかの小説家と同じように、物静かに座っているのだとみんな思うわけですよ。だからそうじゃないのを見せないといけない。
横尾 もともと言葉は、文字のない時代には音声で伝達していたわけでしょ。そういう意味では、小説は音声的な性格を持ったものが、おもしろいと思う。
磯﨑 確かに、保坂さん本人を知る前と後だと、知った後のほうがはるかに保坂さんの小説がわかる。それは間違いない。あの人が書いているんだと思うことによって、すっと入ってくる。そういう小説家はいることはいるけれど、保坂さんはとくにそうかもしれないですね。
横尾 この間、僕が書評を書いた京マチ子の本、なんだっけ。
磯﨑 北村くんは書評が載って喜んでいるかもしれないけれど、本は読まれていないね(笑)。
横尾 はじめは標準語で書評を書いたけれど、ぜんぜんおもしろくない。僕の京さんに対する気持ちが伝わらない。それでぜんぶ大阪弁で書いたの。そうしたら長さが2倍になっちゃった。半分に削らないといけなくなっちゃった。それでもしょうがないから大阪弁にしたの。
磯﨑 京マチ子は、原節子より年上?
――原節子さんは1920年生まれ。京さんは1924年生まれ。
保坂 じゃあ、原節子は俺と同じ申年だ。
磯﨑 よくわかりますね。どうしてすっと干支が出てくるの。
保坂 干支はぱっと出るよ。俺と一緒だから。自分が申だから、木登りが得意だと思っていたの。本当に得意だから。
横尾 木登りは関係ないじゃない。元さると申年は違うでしょう。
保坂 昔は親戚の人が干支で性格を決めていたでしょう。おまえはねずみだからちょろちょろするなとか。ぼくはみんなに、さるさると言われていた。
横尾 干支は動物の性格が表れていますよね。
保坂 昔は血液型なんかないですからね。
横尾 さるとかうさぎには色欲家みたいなところがあるんじゃないの。子どもをなんぼでも生むんじゃない。
保坂 それはねずみが一番でしょう(笑)。
磯﨑 僕はへび。
保坂 へびは、執念深い。
横尾 へびは、執念深い。僕はねずみ。