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内田裕也は樹木希林を必要としていたのかな 横尾忠則さん×保坂和志さん×磯﨑憲一郎さん「アトリエ会議」①前編

横尾 (テラスの奥を見ながら)あ、みかんがなってる。
保坂 そこ公園でしょ。
横尾 下に落っこちてるみかんは食べられるの?
磯﨑 ああいうみかんは一見おいしそうでも、食べてみるとすっごく酸っぱいですから。
保坂 俺、酸っぱいの好きだから。
磯﨑 いかにいまスーパーで売られている果物が甘く作られているか。今のみかんはめちゃくちゃ甘いですから。(テーブルのお菓子を指して)このケーキは、内田裕也さんのお葬式の前のお返しなんですって。
横尾 本木雅弘さんと内田也哉子さんのお返し。
保坂 お葬式の前のお返しってどういうこと?
横尾 お葬式で弔辞を読んでくれと言われたの。僕は声が変だから弔辞は読めない、何か書きましょうと言って、裕也のポスターの裏に弔辞を書いたの。そのお礼。お葬式の会の翌日だった。
保坂 そのポスターの価値はすごいですね。横尾さんがデザインしたの?
横尾 そう
保坂 すごいじゃん。横尾さんがデザインした裕也さんのポスターの裏に、横尾さんが裕也さんへの弔辞を書いた。お宝だ。
横尾 ポスターの1枚は額に入れて、樹木希林さんのベッドルームに置いてあった。僕のところに残っていたポスターに弔辞を書いた。裕也は、僕のポスターをテレビの「何でも鑑定団」に出したことがあったの、ロックンロールだから66万円だと予想して。
保坂 そしたら600万円だった?
横尾 汚れていたから、値段が安かった。裕也がテレビでぶぜんとして怒っていた。なんでだよーってね(笑)。
保坂・磯﨑 ははは。
磯﨑 横尾さんはお葬式はやりたくないんですか?
横尾 僕が死んだとき、お別れの会はやっちゃだめよ。
保坂 どういうことですか?
横尾 想像しただけで、いやじゃない。
保坂 本人は関係ないですよ。
横尾 そんなことない。死んでも全部わかるよ。(上からのぞくように)こうやって見てるよ(笑)。
磯﨑 生きているうちにやったらいいじゃない。
横尾 僕がニューヨークに行っている間に寺山修司が僕の友人たちや妻まで呼んで僕の葬式をやったのよ。勝手に。
保坂 ホントは好きなんじゃないですか?
横尾 好きなのは周辺で、こちらは迷惑。生きている間だったらまだしも、死んでからイライラするなんていやだもんね。
保坂 じゃあ何もしないんですか。
横尾 何もしない。
保坂 お墓には入るんですよね。
横尾 お墓は郷里にある。墓のデザインもしたんですよ。
保坂 仏教?
横尾 うちは神道。お経じゃなくて、「高天原にかむずまります、かむろぎかむろみ……。
保坂 そして、葉っぱを。
横尾 榊ね。それでちょっと思い出した。昼間ここのソファで寝ていたら、祝詞が聞こえてきたんですよ。それでぱっと目が醒めて、ああ祝詞の聞こえる夢を見ていたなと思ったら、また、高天原にかむずまります、かむろぎかむろみ…と祝詞が続く。起きてもまだ聞こえている。地下から聞こえているのかなと思って、降りてみても聞こえない。宣伝カーが祝詞をあげながら走っているのかなと思って表に出たけれど、外はシーンとしている。部屋のなかではずっと祝詞が続いている。かむろぎかむろみ…と。これは何だ、といろいろ調べたんですよ。すると、神社のもとに、ひもろぎ、というのがあって、それは神社の場所、聖なる場所を表しているんだって。僕はいつもこのアトリエをサンクチュアリと自分で呼んでいるわけ。それと祝詞とはどう関係があるかわからないけれど、そういうことがありました。
磯﨑・保坂 ……。
磯﨑 ここはアトリエを建てる前は何があったんですか?
横尾 雑木林。神明の森というのが続いていて、うちのところで終わっている。このへんは弥生土器が出てくるんですよ。
磯﨑 この辺にはゲンジボタルがいるんですよね、都内でも珍しく。

保坂 朝日新聞的には、元号の話をしてほしいんだって。
磯﨑 お二人は元号、どうですか。
横尾 昭和から平成に変わったあとも、僕は「平成」は使っていなかったね。僕は、戦前の子だから、昭和なんですよ。昭和11年、二・二六事件の年に生まれて、16年に大東亜戦争が勃発、20年に終戦。そこまで昭和の元号で呼んでいたわけ。ところがそのあとは西暦になる。関西から東京から出てきたのが60年安保の年。その次が万博の70年。81年に僕の画家宣言、というふうに。終戦以降、すべて西暦になっちゃった。昭和は戦争のイメージとつながるから、無意識のうちに昭和を切り捨てて、西暦に変えたんだろうな。
磯﨑 保坂さんと僕だってそうですよね。昭和はまだ使っていたけれど。
保坂 昭和はこれだけ覚えている。自分の生まれた昭和31年と、昭和39年の東京オリンピック、昭和50年の大学入学。
磯﨑 僕も昭和40年生まれだから、それは昭和で覚えている。うちの娘がね、1996年生まれと1999年生まれなんです。住民票とか、役所の書類を書くときに、平成で書けと言われると、娘の生まれた年が平成何年かわからない(笑)。
横尾・保坂 ははは。
磯﨑 換算表を見ないと、96年が平成何年か、ぱっと出てこない。それぐらい平成は使っていないのでしょうね。
横尾 僕ね、今年が平成31年だというのを昨日の新元号発表で初めて知ったの。え、今年って平成31年だったんだってねえ。
一同 (笑)
横尾 かみさんに聞いたら、かみさんも平成何年か知らなかった。平成と縁のない生き方をしてきたのですよ。
磯﨑 昭和までは元号を使っていたのはなぜなのでしょう。長かったから?
保坂 みんながずっと昭和を使っていたから。おれはね、大学の途中ぐらいで意図的に生年月日を西暦で言えるようにした。あのころ元号法制化があったんだよ。だから、なおさら昭和をやめたんだ。
磯﨑 今回思ったけど、元号案の選定から有識者懇談会のメンバーまで、すべて政府が決めるんだなあと。「令和」は使いたくない。
保坂 「令和」と聞いたときに、センスいいな、と思った。平成ってさ、全然様になってなかったじゃん。平成の発表のときはひどいなと思った。令和は様になっているけれど、半日たったらもう飽きていた。様になりすぎていて、いやなんだよね。
横尾 令という漢字の形に上昇感がないのよね、下降感が強い。坂を下っているような。
磯﨑 東京の世田谷区だけかもしれないけれど、それまで晴れていたのに、きのうの11時半に「令和」が発表された直後、急にばーっと雨が降り始めて、すっごい不吉だなと思った。元号は、思いっきり難しい漢字が良かったんじゃない。「これです」と官房長官が掲げたときに、魑魅魍魎みたいに、誰も読めないような。記者が「これは何と読むのでしょうか」と聞くようなのを出してほしかったですよね(笑)。
保坂 憂鬱、みたいな(笑)。
横尾 新しい元号に慣れるには時間がかかりそうだし、僕は西暦で言うと思う。東京五輪が2020年、大阪万博が25年でしょう。そうじゃないと、今度の、えーと、何だっけ。
磯﨑 令和。言ってるそばから忘れちゃってる!
保坂 ははは。

横尾 ショーケン(萩原健一さん)は「いだてん」に出る予定なんだって(NHK大河ドラマ「いだてん」の題字を横尾さんが担当している)。
磯﨑 横尾さんは、ショーケンとはつきあいはあったんですか。
横尾 ショーケンとは縁があるんですよ。ショーケンが麻薬で捕まって、出てきたでしょ(1983年、大麻不法所持で逮捕、有罪判決を受けた)。そのあとだか先に、うちに来たんですよ。そのあと、瀬戸内(寂聴)さんのところにも行った。京都のお寺に入って、そこで悪いことばっかりした。雲水たちをけしかけて、夜中にこっそりお寺から抜け出してカラオケに行ったりさ。それでどうしようもなくなって、もっと厳しいお寺に入れられたわけ。
磯﨑 ショーケンが?
横尾 それから彼に軽井沢の禅堂を紹介したわけ。野良仕事や畑仕事をやるんだけど、広大なスペース全部に穴を掘ってしまってさ。お寺さんもついに困って。僕も新たに紹介するわけにいかないからそのまま。あとはどうなったかわからない。彼はまじめに一生懸命やっているんですよ。その結果、そうなってしまう。
磯﨑 悪いことをやっている意識はない?
横尾 ないでしょうね。悪いことかどうかわからないけれど、結果としては悪いことになるんだろうね。
保坂 穴ほりはね。カラオケは、悪いと思ってやっていたのかな。
横尾 カラオケ屋さんで歌うと点数が出るんだけど、すごく低い点数だったらしいよ。「すごい低いんだよ」とショーケンは僕に文句いうんだけどさ、僕の知ったこっちゃないからね、ああそう、と聞いているだけでさ(笑)。
保坂・磯﨑 (笑)

横尾 一時期は電話がかかってくるとショーケンだったの。良い医者を紹介してくれたり、親切なのすごく。
磯﨑 お話を聞いていると、ストレートで、打算のない人なんですね。ジュリー(沢田研二さん)のほうが自分を計算して演じていたところがあったのかなあ。
横尾 ショーケンは魅力的ですよ。
磯﨑 「傷だらけの天使」や「前略おふくろ様」の頃、横尾さんはよく知っていた?
横尾 あの頃は、知らない。
保坂 麻薬以降だから(笑)。
横尾 ショーケンと一緒に撮った写真がネットに出ている。この写真を見て。おもしろいよ。
磯﨑 撮影は10年前ぐらい?
横尾 どこでこの写真を撮ったのか、僕にはまったく記憶がないんですよ。
保坂 20年以上前じゃない?30年前?
横尾 まったく記憶がない。
磯﨑 ショーケンは何歳で亡くなったんでしたっけ。
保坂 68歳。
磯﨑 若いですね。
横尾 ショーケンは、裕也に出てもらう映画の企画書を書いて、あいさつにいくつもりだったの。そしたら裕也が死んじゃった。
保坂 え?そんな最近の話?
横尾 ごく最近の話。ショーケンの企画で映画を作ろうとしたんじゃないかな。
保坂 ふたりとも死んじゃった。

磯﨑 樹木希林さんもね。希林さんが亡くなって半年で、裕也さんが亡くなった。
保坂 樹木希林とは会ったことあるんですか?
横尾 樹木希林とのほうがいろんなところでよく会っていた。裕也とはあまり会っていない。だけど彼とのつきあいは50年なんですよ。いつかバーベキューを食いに行った。彼の靴下と、僕の靴下が、同じメーカーの赤い靴下だったの、たまたま。そしたら裕也が、「横尾さん、横尾さんの靴下とおれの靴下を交換してくれませんか」と脱ぎ出すから、しょうがない、僕も脱いで交換した。彼の靴下をはいたら、ちびていてガーゼみたいになってる。僕のは新品をおろしたばかりだから、彼は良い靴下をはいたわけ。彼はいつもそのメーカーの赤い靴下をはいているそうで、実は僕も同じだったの。このあいだ、彼が亡くなったとき、追悼するテレビを見ていたら、やっぱり赤い靴下をはいていた。

磯﨑 内田裕也さんは、横尾さんに対して敬語だったんですね。
横尾 ぜんぶ敬語でした。グラビア写真を撮る仕事が裕也のところに来たとき。裕也はね、編集者に「横尾さんが出るなら俺も出てもいい」と勝手に言う。編集者から僕のところに電話があって、「裕也さんは横尾さんが出たら出るといってくれているので、出てくれませんか」と。なんで僕が出なきゃいけないの、とすったもんだあったけど、出た。そしたらね、一緒に並んで出るんじゃないの、別のページなんですよ。別のページなのに、なんで僕と一緒に出ると言うのかね。同じ特集記事に出ることに意味があるんだろうね。
保坂・磯﨑 ははは。
横尾 (カメラマンに向かって)まだ撮るの?
磯﨑 最初の部分だけ、新聞に載るんですよ。
横尾 新聞に載らなくたっていいよ。新聞にさ、こんな裕也の話が出るとおかしいじゃない。それに僕はなんだかアウトローの人間とばかりつきあっているみたい。
磯﨑 希林さんはどういう人だったんですか?テレビで見る、あのまんま?
横尾 希林さんは、どういったらいいかな。裕也はコンセプチュアルで、ものごとにけじめをつける人。希林さんは何ともいえない優柔不断で、嫌いなものは嫌い、好きなものは好き、理由なんてない。不思議なくせでものごとを処理していく才能があったね。
磯﨑 やっぱり希林さんは裕也さんのことが好きだったんですか?
横尾 そんなの知らないよ、僕に聞かれたって。
磯﨑 だって、離婚届に判を押さなかったのは希林さんなんでしょう。
横尾 知らないよ。
磯﨑 でも、やっぱり、裕也さんが希林さんを必要としていたのかな。
保坂 それは確かに横尾さんは知らないよ。
横尾 磯﨑さんって、こういうのを徹底的につっこむよね。
磯﨑 そんなことないですよ。でもあの夫婦関係は、みんな不思議に思っていると思いますよ。
保坂 でもさ、友達の夫婦だってさ、どっちがどっち好きか知らないじゃん。誰も知らないよ。
磯﨑 友達の夫婦どころか、自分たちのことだってわからないですもんね。
横尾 裕也さんはおもしろいですよ。テレビの何かの番組で、裕也がステージにひざまずいて仁義切るみたいな格好をしていたのを見て、それがなかなか格好よかったから、メールを書いて出した。
保坂 メール?最近?
横尾 去年ぐらいかな。格好よかったと書いて出したら、僕のメールをさ、別のステージでお客さんに読んで聞かせたんだよね。ちょっとしたことで感動するんですよ。
保坂 横尾さんはおれたちが思っているより、えらい(笑)。きょう話を聞いて、思った。
磯﨑 僕らが慣れ慣れしくなりすぎちゃった(笑)。横尾さんは僕らが思っているより、えらい人だということが今日わかりました。やっぱり、盛大に葬式をやったほうがいいですよ(笑)。

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