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「元禄五芒星」書評 別の道があり得た、現代の起点

評者: いとうせいこう / 朝⽇新聞掲載:2019年04月27日
元禄五芒星 著者:野口武彦 出版社:講談社 ジャンル:小説

ISBN: 9784065149959
発売⽇: 2019/03/22
サイズ: 20cm/241p

元禄五芒星 [著]野口武彦

 野口武彦といえば文芸評論家であり、国文学者であり、そして何より私にとっては刺激的な作家である。
 今回出た『元禄五芒星』は昨年の短編集『元禄六花撰』の続編というか、二冊で十一の趣向を凝らした作品集と言ってよく、もちろんどちらかだけを読んでも面白い。しかしなんと旺盛な創作ぶりだろうか。
 徳川綱吉治世の元禄を縦横無尽に語る作者の筆は時に資料を渉猟する随筆であり、時に小説の名を借りた大胆な新説であり、特に新刊では忠臣蔵をめぐる貨幣経済の世界史的な動きや(考えてみれば、忠臣蔵は初めから「蔵」の話だ!)、討ち入りしなかった赤穂藩の不義士たちの行方、または男色趣味を背景にした物語が並ぶ。
 登場する人物は大石主税(ちから)、斧定九郎(おのさだくろう)のモデル大野群右衛門、歌学者の戸田茂睡(もすい)、荻生徂徠などなど。それら時代小説のきら星がいつもとは違う意外な一面を見せながら、元禄と言う「今」をひもといていく。
 実際、あとがきで著者はこう言っている。「元禄年間は日本の『現代』の起点であった」、と。したがって人物たちはどこかで私たちに近く、いずれ私たちになるのだろう近世の靄の中にいてそれぞれの道を探る。つまりそれは別の道も存在し得たということであり、我々読者は各短編から「現代」のオルタナティブを探るのだ。
 それにしても、こうした野口作品はどれをとってもジャンル横断的で、学問とも文学ともパロディとも決しがたい。というか、分野に閉じこめて読むことが出来ないこと自体が著者の重要な文学性なのである。
 私も近年、十八世紀ヨーロッパでルソーやデフォーらが構成した小説の形について考え、自分でもそれを模してみることがある。もともと小説は起源において、随筆とも創作とも引用ともつかないものだ。野口武彦は十八世紀本来の方法で、その少し前の日本を描いているのに違いない。
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 のぐち・たけひこ 1937年生まれ。文芸評論家。著書に『江戸の歴史家』『江戸の兵学思想』『幕末気分』など。