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統計 数値に置き換えられた「現実」 重田園江・明治大学教授

1920(大正9)年、日本で初めて行われた国勢調査。質問に答える水上生活者の一家

 統計のルーツに当たるのは、古代以来の中国の人口統計と、古代ローマの戸口調査であるケンスス(センサス)だろう。だが近代に目を向けるなら、大きく二つの出自がある。まず「統計学statistics/Statistik」は、現在とはかなり違ったものだった。18世紀半ば、ドイツではじめてこの語が用いられたようだが、それは、国力の指標として各地域の役人からの報告をもとに国の状態を文章で記した「国情学Staatskunde」と同義だった。日本でも幕末の導入期から国力増強のための「国勢学」の側面が強く意識されたことは、宮川公男『統計学の日本史』に詳しい。
 一方、現代の統計学につながる数値を扱う学は、17世紀イギリスで盛んになる。ヨーロッパでは以前から、キリスト教区の洗礼記録が作られ、また疫病や飢饉(ききん)の際に死亡統計が取られていた。これらのデータを集め人口を推計する試みは「政治算術」と呼ばれ、統計学の源流の一つとなった。なかでもグラント(ペティとの合作説もあり)の『死亡表』(1662年)は、限られたデータからのイングランド人口推計として知られる。

生権力とともに

 「アマチュアは公表し、官僚は隠匿する」。イアン・ハッキング『偶然を飼いならす』(木鐸社、4860円)のこの言い回しは、王の寵臣(ちょうしん)たちが集まる秘密の場所=官房における国家機密と、データをかき集めて推計するアマチュアの知の双方が、近代統計学の源泉となったことを鮮やかに描いている。
 なぜ統計はこんなにも普及したのか。背景には、日常生活と「国民国家」規模の状況の乖離(かいり)がある。たとえば、日本の景気が前よりいいのか悪いのか、職を得られない人が増えたのか減ったのか、簡単にはわからない。そこで統計データの出番となる。ポーター『数値と客観性』が指摘するとおり、統計は、体感される現実を数値に置き換え「客観化」していく。人びとは数値が実感に合わないと違和感を抱く一方で、数値という根拠にすがって生きている。
 そして、「国民国家」といった巨大すぎて漠然とした存在にリアリティを持たせる統計のような技術は、人びとの「生」のすべてを政治と国家の関心事としていく「生権力」の発展とともにある。このことは、ミシェル・フーコーが『安全・領土・人口』(筑摩書房、品切れ)などで示したとおりである。
 ただ、現在よく知られた統計指標の中には、案外新しいものも多い。竹内啓『歴史と統計学』によるなら、経済政策と統計が結びついたのは、「大衆の時代」である20世紀になってからである。とりわけ、大恐慌による大量失業に取り組むため、数値による政策の裏づけが求められた(ただし、アメリカで月ごとの雇用統計が取られようになるのは1940年である)。これ以降、失業率やGDPといった指標が生まれ、政策とその成果をアピールするのに用いられるようになる。他方で、何をGDPに含めるかに定説はなく、統計的指標は社会文化的に移ろいゆくものともいえる。

中立性への信頼

 今回の統計不正問題は、統計をめぐる「法制度の仕組みそれ自体の存立基盤を覆す」(経済統計学会声明、2019年2月21日)事態として受け止められた。こうした反応は、逆に日本の官庁統計の中立性への暗黙の信頼がきわめて高かったことを示している。統計というジャンルは、担い手も方法も専門性が高いのに、はじき出される数字が「客観性」を帯びるからこそ、大衆への政治的訴えかけに広く用いられてきた。統計不正問題は、こうした特徴をもつ統計の扱いについて、公共的な議論が必要であることを再認識させたといえよう。=朝日新聞2019年5月11日掲載