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「パートタイム・デスライフ」書評 自分の時間取り戻す夢の連なり

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2019年05月18日
パートタイム・デスライフ 著者:中原昌也 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784309027890
発売⽇: 2019/03/26
サイズ: 20cm/161,8p

パートタイム・デスライフ [著]中原昌也

 現代の我々は自由なのか。違う、と中原昌也は答える。断片的な夢の連なりのような本書の主人公は、工場で繰り返し作業を強いられる。激しい轟音のなか、他の人々と言葉も交わせない。常に暴力が見え隠れする軍隊式の管理に、新たな情報技術が加わる。
 生体認証で個人が徹底的に縛られる。監視カメラはトイレまで入り込み、支配に協力的な従業員は「モットーモルズ」と呼ばれる。もちろん、排泄まで管理された「モルモットが『もっと漏る』」という駄洒落だ。
 こうした不自由の根底には、時計で計られる時間への服従がある。機械は時計の時間に従う。そのなかで働く人間たちも客観的な時間に従うしかない。けれどもそれでは、自分の身体まで他人のもののようになってしまう。
 主人公は言う。「人々に流れている時間は、個々に違う速度であるのに、何故わざわざ相手が定めた期限に沿わねばならないのか」。そうだ。自由になるためには、人は時計の時間ではなく、自分の内的な時間に気づかねばならない。
 たとえばハシビロコウはどうだろう。獲物を狙ってじっと一日動かずにいる鳥は、まるで死んでいるようにも見える。だがそれは我々が生の領域を狭くしか捉えていないからだ。
 本書には他にも様々な動物が登場する。跳ね回る子馬、凶器に描かれた可愛らしい犬と猫のイラスト。中原はそうした記述を通して、動物に学ぶこと、いや、動物に成ることを促しているように思える。
 だから居酒屋の店長は電話で巧みな声帯模写の技術を使って、バイトのユキちゃんに変わり、そしてオウムに変わる。そして主人公は店のオウム相手に予約を入れてしまう。そのとき彼は騙されているのではない。店長は店長のまま、まさにオウムだったのだ。
 のびやかな時間の中でこそ人は響きのある声を取り戻せるのだ。まるでカレン・カーペンターのように。
    ◇
 なかはら・まさや 1970年生まれ。小説家、ミュージシャン。『あらゆる場所に花束が……』で三島由紀夫賞。