元号(年号)を“漢字文化圏”という広がりの中でとらえると何が見えてくるのだろう。令和の始動に合わせるように、29人の研究者による国際的な学術書『年号と東アジア』(八木書店)が刊行された。編者の水上雅晴・中央大学教授(中国哲学)に聞いた。
同書の副題は「改元の思想と文化」。年号の制度は中国で漢代に始まり、周辺諸国に広まった。日本では645年から使われている。同書は中国、朝鮮半島、ベトナムなどの漢字文化圏で年号がどう使われてきたかを調べ、多角的な年号理解を目指している。
刊行のきっかけは、日本の元号案をまとめた歴史的資料集「元秘別録」の存在を水上さんが12年前に知ったことだ。この分析を足がかりに、年号を東アジアの視点から検討する国際シンポジウムを2017年に開き、本の土台になった。
ベトナム史の研究者であるファム・レ・フイさん(ベトナム国家大学)は今回、ベトナムでの年号の使われ方を紹介した。「ベトナム初の年号」は544年までさかのぼれると記す。
中国王朝の支配下にあった地域では当初、中国の年号を使っていたケースも見られたという。他方、独立した年号を決める際に中国の古典を典拠としていた事例も明らかにした。
「日本と同じように中国古典から引用されていたことは重要な知見だ」と水上さんは評価する。「巨大な中国との関係で独自年号をこっそり使う時期があったり、逆にあえてそれを中国に明示する時期があったりした点も、日本と通じる」
中国の定めた年号を使った時期のあるベトナムと当初から独自年号だった日本との間に違いがある理由について、フイさんは「(ベトナムが)中国と陸続きのため」と書いた。
「同じ漢字文化圏であっても、海によって中国の直接的な干渉から隔てられているかどうかという地政学的な事情で、年号の使い方に違いが表れている」と水上さんは解説する。
同じように中国と陸続きである朝鮮半島。独自年号が少ない傾向がここには見られると、朝鮮近代史が専門の月脚(つきあし)達彦さん(東京大学)は同書で論じた。
1896年の「建陽」が朝鮮王朝の制定した初の独自年号とされる。だが1910年には帝国日本に「併合」され、公式使用される年号は日本の元号に。「朝鮮王朝/大韓帝国の独自年号の歴史は(略)十三年半余りで終わることとなった」と月脚さんは書く。
また、水上さんが「今回の本には盛り込めなかった」と今後の課題に挙げるのは、琉球(沖縄)の視点だ。現地の骨つぼを調べると、中国年号を使っていた住民が日本の「明治」を使うようになる転換が明治20年代ごろに見られるという。琉球処分で明治政府が琉球を日本に併合したあと、日清戦争で日・中の力関係が変化したことなどが理由と水上さんは見る。
東アジアでの年号使用の歴史には、中国だけでなく日本という帝国の足跡も刻印されているのだ。
改元を行うタイミングでも地域ごとに特徴が見られた。ベトナムでは、皇帝が代替わりした翌年に改元する「踰年(ゆねん)改元」が一般的だったと、フイさんは同書で指摘した。
「中国でもベトナムでも踰年改元が広く行われていたことになります。中国ではとりわけ翌年元日の改元が多かったが、日本ではそれはなぜか一度しか例がない。理由はまだ分かりません」と水上さんは話す。
「社会的混乱を少なくできる踰年改元は、日本でも今後の選択肢として検討していい。伝統を存続させるためには、根幹以外の部分を柔軟に見直していくことが必要なのですから」(編集委員・塩倉裕)=朝日新聞2019年5月22日掲載