暑い夏だった。今からちょうど3年前の2016年夏、私は瀬戸内海の島々を巡る一人旅に出ていた。新聞社で高校野球の担当記者として甲子園での取材を終えて、ようやくもらえた夏休み。高松に住む、子どもが生まれたばかりの親友に会うという目的もあったが、瀬戸内国際芸術祭をたっぷり楽しみたいという思いもあり、旅先として瀬戸内を選んだ。
2010年に初めて開催された瀬戸内国際芸術祭は、3年に一度開催される。直島や小豆島など瀬戸内の12つの島と2つの港を舞台に、アート作品を巡ったり、食を味わったり、パフォーマンスを鑑賞したり、さまざまな形で地域の魅力を再発見することができる芸術祭だ。
その旅でいくつかの島を巡ったが、一番覚えている島が、豊島である。豊かな島と書いて、てしま、と読む。高松港から高速船で40分足らずで着く。島の中央には檀山という山がそびえ、その周囲にはなだらかな棚田が広がり、集落には古い建物が残る。のんびりとした時間が流れていて、自然が本当に“豊かな島”だなと思ったのが第一印象だ。
豊島に行くなら、まずは豊島美術館(アート:内藤礼、建築:西沢立衛)に行ってみてほしい。水滴のような形をしたコンクリート建築で、天井の一部がぽっかりと空いている。その穴からは空も見えるし、風や光も入ってくる。一方、地面をよく見ると、小さな水滴が無数にある。泉のように湧き出る箇所もあれば、スーッと吸い込まれる箇所もある。どういう仕掛けになっているのかよく分からないのだけれど、透明な水滴が、まるで生きているように、動いたり、止まったりする。天井から差し込む光と、半永久的な動きを繰り返す水滴と、驚くほどの静けさと。あの夏の忘れられない景色の一つである。
島の北東部、唐櫃浜地区にある、クリスチャン・ボルタンスキーの『心臓音のアーカイブ』という作品も印象深い。2012年の大地の芸術祭(新潟県十日町市と津南町を舞台に2000年から3年に一度開催されている)で、『No Man’s Land』という16トンもの膨大な古着を使ったインスタレーションを見たり、15年にも『最後の教室』という廃校を使った作品を見たりしたことがきっかけで、ボルタンスキーの名前は知っていた。豊島にも作品があるのなら、ということで立ち寄った。
真っ暗な部屋に、ひとつの電球が吊るされている。ボルタンスキーがコレクションしている、世界中の人々の心臓音に合わせ、その電球が点滅する。怖い。ただただ怖い。だけれど、誰かの心臓の音を爆音で聞くにつれ、不思議と「私は生きている」という思いもこみ上げてくる。一つのアート作品でここまで「生と死」を体感させられるのか、と素直に感動した。
1540円の登録料を払えば、アーカイブに自分の心臓音を登録することができる。旅の記念として、私自身の心臓音も録音した。緊張のせいか、少し早めの鼓動で、不整脈なのか、時々リズムが乱れる私の心臓音。たとえ私が死んだとしても、私の鼓動は作品の一部として、この豊島で永遠に聞くことができるわけだ。当時は、誇らしいような、恥ずかしいような、なんとも言えない気持ちだったが、今となっては、生々しく生きたの証を刻むことができたわけだし、ちょっとした旅の自慢話にもなるので、録音しておいてよかったなと思う。
瀬戸内国際芸術祭に関する書籍はたくさんあるが、『小豆島にみる日本の未来のつくり方』(誠文堂新光社)もそのうちの一つ。プロジェクトに関わったアーティストらによる対談やコラムがまとまっていて、芸術祭をいろいろな視点で捉えることができる。「これまでの小豆島、これからの小豆島」という座談会で、コンテンポラリー・アーティストの椿昇さんがこんなことを言っている。
アートというのは美術館で一回見ても、単なる情報にしかならない。毎日見ることで変わっていくものなんです。そのときの自分の心理状態によって、あるときはみるのも嫌になってしまったり、忘れていたけれどまた見てみたり。それは機能主義ではなく、一度考えてみるという効果がある。(206ページ)
また、文筆家・編集者の三木学さんは「聖地としての小豆島 アートと巡礼」と題して、こんなことを書いている。
今や小豆島には、新旧の見えないネットワークがさまざまな次元で張り巡らされ、世界に開かれはじめている。「見えるモニュメント」はその結節点であり目印でもある。巡礼もアートも見えるものを手がかりに、見えないものを探す旅である。見えるもののなかには巨大な見えないものが存在しているのだ。(177ページ)
今年の夏もまた瀬戸内に行くことはできるだろうか。汗だくになりながら、がむしゃらにアート作品を巡った3年前と今とでは、感じることは変化しているのだろうか。じっくりと、ゆっくりと、アート作品を通じて、見えないものを探す旅、自分と向き合う旅をしたい。