記憶の鳩
だれかにいわれた言葉がずっと残ることがある。
『シックス ハーフ』は高校2年生の主人公、詩織が交通事故で記憶を失った場面から始まる。
記憶が戻らないまま兄の明夫、妹の真歩と暮らし始めるがなかなかなじめない。復帰した学校では過去の自分についてのひどい噂を聞きショックを受ける。
「(ほんとは)学校のコ達みたいに嫌ってんでしょ」
「いーよホントの事言って。別に今更キズつかないし」
強がりを言い続ける詩織の頬を明夫は両手でぐっと引き寄せ、まっすぐに見つめていう。
「俺はしーちゃんがだいすき。しーちゃんが大・大・だいすき」
そして、真帆が入れてくれた熱いお茶を両手で包みながら詩織のモノローグが入る。
なんだろ
このカンジ
さっきまで自分のこと
ドロドロボコボコした不快な生き物みたいに感じてたのに
いつの間にかフツーの人間になってる みたいな
急に軽くなったってゆーか
あら? ってカンジ……
その場面を詠んだのが下記の短歌だ。
手のなかの湯呑み茶碗がホロホロと
わたしを人間(ひと)の輪郭にする
このシーンを読み返すたび胸が熱くなる。
それは、池谷先生がもつ「このキャラクターがいったのは心からの言葉だ」と読者に信じさせる力だ。
先生は、「このシーンはこんな風に表現したい!このセリフはこんな表情でいわせたい!」と、納得できるまで何度も何度も書き直すという。
その情熱が、読者に伝わるのだ。 そのひたむきさを持ち続けていることが、30年間第一線でご活躍され続けている理由だろう。
わたしにも忘れられない言葉がある。
褒められたときの言葉や、逆に嫌味をいわれたときの言葉ならわかるが、いった本人は忘れているであろう言葉がいまも鮮明に蘇る。
わたしの通っていた小学校では、画家の原口先生という人が美術を教えてくれていた。当時で六十歳近かったのではないかと思う。白い肌にこけた頰、やわらかそうな薄茶色の髪。その風貌は小学生の目から見ても(常人ではないな)という感じがした。
小学三年生の夏に写生会で大阪城公園に行った。同級生のほとんどは大阪城を描いていた。それが一番まっとうでかっこいい。要は大阪城をどう描くかだ。今ならわかる。
しかし、当時のわたしは醜くひねくれていた。
みんなが描く大阪城だけは描きたくない…公園内をうろうろしていたら、隣をポッポッっと鳩が通った。
これだ!
なぜ、これだ!と思ったのだろう。
わたしはその鳩に狙いを定めた。
おおきな石の上に座り、お弁当の隅にくっついていたごはん粒をそっと置くと、
ポッポッポッ
おおっ
汗をぬぐいながら地面をついばむ姿を描いてゆく。
首のピンク色と緑色が楽しくて何度も重ね塗りしていると、原口先生がぬっと寄ってきて
「きみは絵を描くのが好きなんやなぁ」
といった。
先生は、うまいとか、きれいだと誉めたわけではない。しかし、その言葉をもらった小学三年生のわたしは頭がかぁっと熱くなった。すごく嬉しかった。大げさではなく、めちゃくちゃ嬉しかった。
そして、心からいった言葉はちゃんと人に刺さるのだ、と知った。
このときの原口先生の言葉をきみは30年後もはっきり覚えているんだぞ、と小学三年生のわたしにいったらどんな顔をするだろう。
私が忘れてしまった私の言葉の中で、誰かのなかに残っている言葉を一所に集めてほしい。
それはきっと、全部本気の言葉だ。