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私が特別でないのなら 津村記久子

 自分はいつ、自分の人生と折り合いをつけられるようになったのだろうと考えることが多くなった。ある事件が起こり、その動機についてずっと考えているからだというのが大きいけれども、それ以前から長いこと疑問に思っていた。自分自身については、小説家という職業に就かせてもらえたことにはとても運が良かったと思うけれども、「小説家になりたい」と子供の頃に思い描いていた小説家になっているかというと、全然そんなことはない。三年ほど前にこの欄で「手持ちのすべての長い靴下に穴が空(あ)いていた」と書いてから現在、すべての短い靴下にも穴が空いたような人間だ。私が夢見ていたのは、靴下に穴が空いても買いに行く気力もない疲労した小説家ではない。もっと才能やお金があればそういった判断から解放されるのかもしれないが、そんなものはない。

 「仕事が忙しかったから、余計なことを考えなかった」と、自分と同じように苦しい最初の就職をした友人が語っていた。折り合いをつける必要のある妄想すら持つ時間がなかったのだと思う。友人は一所懸命仕事をして、三年前に家を買った。尊敬している。

 あなたは特別だと周囲や時代から思わされて子供は育つ。そう思わないと生き抜けない子供時代もあるかもしれない。わたしは何もかも劣った子供で、周りの子たちにいつもバカにされていたから、自分にそう言い聞かせるしかなかった。それでもある時、自分がまったく特別ではないと思い知る日が来る。それはとてもつらいことだ。けれどもそこから本当の挑戦が始まるんじゃないだろうか。そうやって手持ちの少ないところから知恵を絞り、やれることを獲得していくのではないか。

 七月十八日に京都アニメーションに起こった事件で亡くなられたすべての方々のご冥福を強く祈ります。被害に遭われた方が一刻も早く回復し、仕事に復帰されること、そうでなくとも可能な限り穏やかに過ごされることを切に願います。=朝日新聞2019年9月25日掲載