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「情の時代と民主主義」を読み解く 本当の欲望が変革の力になる(山本圭・立命館大学准教授)

 情とはまことに厄介なものである。現代が「情の時代」であるとして、「情を飼いならす」のはそう容易なことではない。しかも世はSNS花盛り。ネット上には攻撃的な言葉が溢(あふ)れ、分断と憎悪を加速する。その強度と不条理さにくたびれるものの、それでもひとは、情に笑い、情に狂い、情に救われる。
 ところで近年の政治学もまた、感情がもつ役割に注目してきた。政治的なアクターを分析するさい、その合理性だけでなく情念をも勘定に入れる必要があるという。たとえば、シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(山本圭、塩田潤訳、明石書店・2592円)が代表的なものだろう。一部のエリートによる〈少数者支配〉、および排外主義の台頭に立ち向かうために、政治の言葉は人々の日常感覚に届くものでなければならない。ある感情に対抗しようとすれば、単に合理的な説得に拠(よ)るだけでなく、抑制しようとするものよりも強力な、別の感情を喚起することが不可欠になるというわけだ。

他者に向く怨念

 とはいえ、情も様々である。私たちの現在地を「ひもとく」にあたり、ここではニーチェ『道徳の系譜学』を参照してみたい。「ニーチェだって? 民主主義を卑下し、嘲笑し、こき下ろした貴族主義者じゃないか!」そう思われるかもしれない。しかし、辛辣(しんらつ)であればこそ、その診断は重く、時代を鋭く照らすことがある。
 「ルサンチマン」という言葉を聞いたことがあるだろう。ニーチェによると、ルサンチマンの人は「行動によって反応することができないために、想像だけの復讐(ふくしゅう)によって、その埋め合わせをするような人」のことらしい。しかも、その怨念はしばしば他者に向けられる。ルサンチマンの人は悪(あ)しき敵をつくりだし、みずからを「善人」として映し出す。彼は隣人を否定することによってしか、自身を肯定できない。ニーチェは民主主義を本質的にそうした卑しい心性の産物であると考えた。
 これに関連して、リチャード・H・スミス『シャーデンフロイデ』を見てみよう。これは、「害」を意味する「シャーデン」と「喜び」を意味する「フロイデ」が組み合わさったドイツ語であり、いっときのネット用語で言えば「メシウマ」(「他人の不幸で今日も飯がうまい」の意)、分かりやすい言い方では「他人の不幸は蜜の味」といったところだろう。この感情は「嫉妬心」の裏返しでもあり、ひとは隣人を妬(ねた)むあまり、他人の失敗を悦(よろこ)んでしまう。しかし、こうした恥ずべき情念もまた、民主主義と切っても切れない関係にあり、ニーチェはこの感情について「平等性の勝利と回復についての最も卑俗な表現」であるとする。

権利求めて闘え

 しかし、こうした否定的な情念だけが、民主主義の宿命ではない。まやかしの敵に気を取られ、その影の足を引っ張っているうち、私たちは本当の欲望を見失うことがある。ルサンチマンに折り曲げられない、シャーデンフロイデに去勢されない、そうした情こそが民主主義に水をやるのだろう。
 今野晴貴・藤田孝典編『闘わなければ社会は壊れる』が、ここでは手がかりになる。著者らは、現代社会には対立を避けようとする傾向があると指摘し、権利を求めて闘うことの意義を説く。隣人を引き下げるのではなく、社会運動や労働運動に連なって、不満や怒りをともに表明することが重要なのだ。確かに、感情的な行き違いが連帯やつながりを壊すこともあるだろう。けれども「声を上げていいのだ、私たちは社会を変えられる力がある」、そう奮い立たせてくれるのもまた情なのである。=朝日新聞2019年9月28日掲載