「男社会」は終わりつつある
——田中先生が研究されている「男性学」とはどんな学問なのでしょうか。
一言で言えば、男性が男性ゆえに抱える生きづらさや葛藤をテーマにした学問です。これまで、職業領域の問題について、女性学では女性の職場での地位や給与が低いこと、結婚や出産などにより退職や短時間勤務せざるを得ないといった問題を扱ってきました。その一方で、男性には一家の大黒柱となるために、仕事をし続けたり長時間労働したりせざるを得ないといった問題があります。こうした観点から男性の生き方を見直し、性別にとらわれない多様な生き方が実現できる社会を目指すのが男性学です。
——本書『男子が10代のうちに考えておきたいこと』は高校生を対象にした一冊です。若い層に向けて書いたのはどうしてでしょうか。
もともと若い層に男性学を知ってほしいという思いは強くありました。この本は岩波ジュニア新書から発売されていますが、実はこのシリーズでジェンダーを正面から扱った本は少なかったんです。なので男性の生き方を問うと同時に、多様化するジェンダーの入門書として気軽に読めるように意識しました。
この本で扱ったテーマは大きく三つあります。一つは、今の日本社会で男性として生きるとはどういうことか。従来の男社会は競争原理が強く働いていて、偏差値の高い進学校から難関大学、そして一流企業に就職して一家を支える大黒柱になるという道を歩むために競争させられていると説明しています。
二つ目は、その男社会が終わりつつあるということ。従来の男社会は男性が稼ぎ手になることをモデルにしていましたが、経済が停滞する中で男性の給与は下がり、共働きの夫婦が増えています。さらに独身の人が増え、ダイバーシティが推進される中で、社会のあり方は変わってきています。
最後が、その中で君たちはどう生きるのか? ということ。今まさに10代で、良い大学、良い企業に向けて競争真っ最中の子たちにそのことを考えてほしいというのが三つ目のテーマです。本の中では男子高校生に語りかけるように書いている箇所がありますが、女子が読んでも、高校生以上の人が読んでも良いジェンダーの入門書となる一冊を目指しました。
別の生き方を想像しにくいマジョリティ男性
——僕自身の感覚としては、若い世代ほど多様性に柔軟で、旧来の男社会の価値観とは距離を置いている人が多いと思っていたんです。でも、進学校から難関大学、そして一流企業という出世コースは依然として強力で、そこから男社会ははじまっているんだなと気づかされました。
最近はそれとは違う生き方を発信している人やメディアも増えたと思います。特に女性やセクシュアルマイノリティの方のための情報は増えてきましたよね。ただ、マジョリティとされる男性はなかなか別の生き方があると気づくことができません。そこには、マイノリティの方とはまた違った過酷さがあるはずです。
最近だと、経済産業省官僚の男性が覚せい剤を使用して逮捕された事件がありました。彼が覚せい剤を使用していたのは、朝仕事に行く前です。月に300時間の残業をこなすために、薬物に手を出していたんですね。それは彼が地方から出てきて難関大学に入り、キャリア官僚となったことと無関係ではないでしょう。転職や地元に帰るという選択肢もあったはずですが、両親にがっかりされる、あるいは、自分自身もせっかくここまで来たのに仕事をやめたら負けた気がする、といった思いから引けなくなっていたのだと思います。
——いわゆる「勝ち組」としての道を長く歩めば歩むほど、それ以外の道を選びづらくなる。
2018年には東京医科大などが入試で女性や多浪生を不利に扱った問題がありました。ある時、進学校の生徒にこの事件について聞く機会があったのですが、一部の男子から「ラッキー」という意見が挙がりました。自分たちは競争にさらされているから、有利になることはなんでもうれしいという理屈です。
彼らには女性を排除して自分たちが特権を得るとはどういうことなのか考える視点が抜け落ちています。ただ、親も祖父も医者で、「お前は絶対に医者になるんだよ」とプレッシャーをかけられる環境で育てば、そう考えてしまうこともあるかもしれない。難しいのですが、男性個人の考え方だけを責めるのではなく、その背景を読み解き、社会の問題として扱わなければならないと考えています。
——日本では男性の自殺者数が女性の倍以上というデータもあります。これも男性の生きづらさを考える材料の一つになるでしょうか。
そうですね。背景には、男性が競争原理にさらされる中で後に引けなくなったり、「弱音を吐くのは男らしくない」という慣習に縛られていたり、見栄を張ったりすることがあると思います。
人間は見栄を張るために生きているわけではないし、勝ち負けを気にしていたら常に勝ち続けなくてはいけません。年収や学歴といったスペックを追い求めず、勉強したいことが学べる大学、自分らしく働ける職場、一緒にいて楽しい友達やパートナーなど、居心地の良い場所を見つけ、大切にしてほしいです。
ドラマ「まだ結婚できない男」は中年男性をどう描くか
——本書ではCMやドラマ作品における男性の描かれ方に着目した記述も多いですね。それも社会問題として考えるための一つの視点になるのでしょうか。
この本の中では栄養ドリンク「リゲイン」のCMの「24時間戦えますか」というフレーズや、主婦たちが「亭主元気で留守がいい」と話す防虫剤「タンスにゴン」のCMなどを取り上げています。これはともに1980年代後半のCMですが、バブル景気の中で男性はバリバリ働き、専業主婦の女性がいる家にはほとんど帰ってこないという状況が垣間見えます。
これは長時間労働が問題視され、共働きの家庭が増えた現代とは大きく違っていますよね。そこからは、時間をかけて社会は変わっていくという視点が得られます。過去がこうして変わるなら、未来も変わっていくはず。そのことに気づいてほしくて取り上げました。10代の読者やお子さんがいる方には、お互いと対話するきっかけにもなると思います。
——2006年に放送され、2019年10月から続編が放送されるドラマ「結婚できない男」についても触れていました。
「結婚できない男」が放送された2006年は、中年の男性が結婚しないことに違和感を持つ人が多くいました。主人公の桑野は偏屈な人として描かれてはいるものの、結婚できないからかわいそうとか、最終回で結婚して幸せになるといった描かれ方はしていません。独身という生き方をコミカルに、かつ肯定的に描くことで、「結婚しないのはおかしい」という凝り固まった考え方をほぐすとても良いドラマでした。
続編「まだ結婚できない男」で桑野は53歳になっていますが、タイトル通りまだ結婚していません。実際、日本の未婚率は上昇し続けていて、2015年の50歳での未婚率(生涯未婚率)は23.4%。およそ4人に1人が未婚で、決してマイナーな存在ではないのですが、そこに焦点を当てた作品はありませんでした。どんな風に描かれるのかとても楽しみです。
「逃げ恥」の良さは男女の対立構造にならないこと
——その他に注目している作品はありますか?
「逃げるは恥だが役に立つ」の新シリーズですね。最新刊となる第10巻のあとがきで、作者の海野つなみ先生はあとがきで、「新章では男の呪いについて描く」と書いているんです。
ドラマ化もされた前章では無償労働や結婚にまつわる女の呪いについて描かれていました。一方、新章はメインキャラクターの津崎平匡が育休を取ろうとするお話。育休取得を通じて、男性の労働環境や出世について描くようです。
女性問題と男性問題はコインの裏表です。女性は結婚して家に入り子育てをすべきという価値観の裏には、男性は働き続けて一家を養うべきという価値観があります。「逃げ恥」は新章で、その両面を描こうとしていますよね。
物語の良さは様々な登場人物の視点が出てくるので、安易な対立構造にならないことにあります。ジェンダーやセクシュアリティをめぐる議論はどうしても男女の対立構造としてとらえられがちですが、「男が悪い」「女が悪い」という単純な話ではありませんから。
そして、「逃げ恥」は何より物語として面白い。世間の人、とりわけ中高年の男性はジェンダーと聞くと日ごろの行いを怒られるんじゃないかと身構えてしまうことが多いのですが、物語として楽しめるとフラットに視点を獲得できますよね。
——田中先生の本も、読み物として楽しめることを意識されていると感じました。山梨県の高校で行われた男女が制服を交換してみる試みや、一年間女装して暮らしてみる実験をしたクリスチャン・ザイデルさんのエピソードなど、「自分だったらどう感じるだろう?」と当事者目線で入り込める事例がたくさん紹介されています。
まずはジェンダーを身近に感じてもらうことが第一歩ですからね。「じじいが偉そうに……」って思われたら、絶対に読んでもらえないじゃないですか(笑)。ユーモアを散りばめながら、「君はどう思う?」と語りかけるような本にしたいと思っていました。
仕事のペースを落としても、家庭重視で
——ところで、この本は3年ぶりの書き下ろしとなりました。2016年に一人目のお子さんが生まれてからは、田中先生自身が仕事と家庭のバランスに悩んだこともあったとか。
そうですね。家族が夫婦2人の時はこういった新書を年に2冊は執筆できていましたが、家庭を優先した生活を送っているので、すっかり仕事のペースは落ちました。
育児に時間をかければ仕事にかけられる時間は減って当たり前ですし、今はそれでいいと思っています。稀に育児もこなしながら仕事の成果も落とさない人がいますが、それは僕のような普通の人間にはキャパオーバー。見栄を張って仕事も育児も完璧にこなせる状態を目指しても破綻してしまうので、自分の価値観をはっきりさせたほうがいいですね。
家庭を重視すると割り切ってからは、年に何冊も本を出している人を見ても落ち込むことはなくなりました。仕事が遅れて迷惑をかけることもあるので、申し訳なさはありますが。
——夏には2人目のお子さんが生まれたとうかがいました。家族が増えたことで、何か生活は変わりましたか?
実は2人目の息子は早産だったんですよ。なので生まれてからしばらくは入院する必要があり、妻も病院に併設されていた施設に泊まることになりました。
その間は僕と3歳の息子の2人で暮らしたのですが、これが本当に大変で……。とりわけ、妻が切迫早産で救急車で運ばれて入院し、いつ出産になるかわからない状態だった数日間は、毎日、すごく不安で精神的に追い込まれました。4週間ほどの間に、疲れてしまって息子に対して感情的に怒るということを3回経験しました。これまでの自分にはなかったことです。外で子どもを大声で叱っているお母さんを見て「そんなに怒らなくても」と思う人は多いと思うのですが、常に目が離せなくて神経が高ぶっているから、そうなってしまうんですよね。
怒ってしまった翌朝、起きるなり子どもが「パパがやさしくなるようにって手紙書いたんだ」と僕に言いました。まだ3歳で字は書けないので、そういう夢でも見たんでしょうね……きつかったですね。その期間があまりに大変だったので、妻と2人目の息子が退院してからはとても穏やかに感じます(笑)。でも、短い間ですがひとり親の状態を経験できたのはすごく勉強になりました。「ひとり親世帯は大変だ」という話をこれまでも仕事でしてきましたが、これは今以上に強く言わないと世間には伝わらないと気づくことができました。
子どもが増えて、今後はますます家庭重視で生活していくつもりです。もともと仕事で何かを成し遂げたいと強く思っているほうでもありませんし、もちろん大学での教育と研究のようなやるべきことはしっかりこなしながら、基本的には家族との時間を優先したいなと。子どもが大きくなるまでたくさん遊んで、「もうお父さんと遊びたくない」という日が来たらまた仕事の分量を増やす。そんな生き方がいいなと考えています。