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いつかの感情 柴崎友香

 六月に刊行した『待ち遠しい』は、世代の違う女性三人を中心にした話で、いちばん若い二十代の女性をなにかと突っかかってきたり自分とは異なる考え方を受け入れられなかったりする登場人物として設定している。読んだ人から、若いころって妙に頑(かたく)ななところありますよね、と言われて、確かにそうやなあ、と頷(うなず)くと同時に思い出すことがあった。

 十年ほど前、三十人ほどの読者の方と話をする場でのこと。そのときに取り上げたわたしの小説も女性同士の友人関係を描いた話で、楽しく会話する場面に共感が寄せられた。その中で、一人の若い女性が、自分はこんなのは嘘(うそ)だと思う、とはっきりと言った。いいことだけを言って表面的、絶対に内心ではもっと悪い感情を抱いているはず、と。わたしは、もちろん人はいろんな感情を抱えて生きているけど、悪いことだけを思っているわけでもない、わたしはこの小説では楽しい気持ちのほうを書きたかった、と答えた。彼女はまったく納得せず、では自分みたいな人間はこの小説の登場人物たちとは相容(あいい)れない、自分はもっと黒い感情を持って生きています、そんな人のことが理解できないんでしょう、と強い調子で言った。

 確か彼女は十九歳だと言っていた。話しているあいだ、わたしは実は、彼女の若さがうらやましいような気持ちを感じていた。

 歳を取ることで生じる頑固さはたいてい、それまでの経験にこだわってしまうとか人からあれこれいわれたくないとかいったことから来るが、若いときはもっと別の、不安定な自分をなんとか守ろうとし、信じる物を否定されたくない気持ちが強いように思う。彼女の頑なさにそこでわたしが共感を伝えたら、きっともっと反発しただろう。

 わたしは歳を重ねるごとに、そういうのもありか、それもええんちゃう、と思うことが増えて、ずいぶんと楽になった。若いころの頑なさの感覚は、覚えているようで、たぶんもう正確には思い出せない。=朝日新聞2019年10月16日掲載