悪いのはヒトラーであり、その過った戦争指導・作戦指導のせいでドイツは第2次世界大戦に敗れた。ユダヤ人虐殺など悪事を働いたのも武装親衛隊などナチの軍隊であり、ドイツ国防軍は潔癖だった。そんな神話が戦後初期の西ドイツで広く流布していた。その主な出どころは生き延びた将官たちの回想録だが、背景には自らの戦争責任を拒み、ドイツ軍の再建を進めようとした彼らの思惑があった。
それから半世紀以上が経過して、学問的にも社会的にも既に葬り去られたこの神話に日本の独ソ戦理解はいまだに囚(とら)われているのではないか。本書は、これまで定説とされてきた見解に批判を加え、確かな史実に基づく独ソ戦の全体像を描いた。
本書の特長は、用兵思想の変遷と軍事用語に精通する著者が、専門知識のない読者に歴史的理解と気づきを促しながら、リズム感をもって語る点にある。ドイツの「世界観戦争」とソ連の「大祖国戦争」が激突した場で、独ソの指導者は何を思い、何に迷い、どのような決断を下したのか。雌雄を決したのは結局、何であったのか。
両軍の膠着(こうちゃく)が破れ、やがてソ連軍の力で潮流が逆転するあたりの記述は圧巻だ。独ソ戦を通常戦争、収奪戦争、絶滅戦争の三重の円で語る手法も鮮やかだ。人気作家で、優れた歴史学者でもある著者の面目躍如である。
あえて言えば、独ソ戦を他から決定的に際立たせた絶滅戦争としての本質、つまり本来はジェノサイド(集団抹殺)とは異なる現象である戦争がジェノサイド的特性を帯びる過程とその条件を、もう少し踏み込んで論じてほしかった。
補給不足から自軍の糧秣(りょうまつ)を敵地に求め、捕虜の扱いなど戦時国際法を一顧だにしない軍隊は、東部戦線のドイツ軍に限らない。ソ連軍の人道を踏みにじる蛮行も桁外れだった。本書を読んで日中戦争を想起した者も少なくないだろう。そこでの地獄絵を著者ならどう描くだろうか。いつか読んでみたいと思う。
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岩波新書・946円=8刷7万部。7月刊行。「独ソ戦の定説を覆し、欧米の新しい知見を採り入れた」と永沼浩一編集長。=朝日新聞2019年10月19日掲載