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故・加藤周一生誕100年記念国際シンポジウム開催 雑種文化論に託した希望 

「雑種文化論と韓国・中国・日本」をテーマに立命館大学で開かれたパネルディスカッション=京都市

「高みの見物」とは何だったのか

 雑種文化論は、加藤が日本文化を伝統と外来の双方から養われた「雑種」とみなした一連の論考を指す。1956年に単行本『雑種文化』にまとまった。

 その中の短い文章に、東京会場で何人かの報告者が続けて言及した。「高みの見物について」。文庫版では9ページ。『著作集』や『自選集』には入っていないが、歴史学者の成田龍一氏が近年、「決定的な一編」と評価している。

 フランス留学中に雑誌に発表したのが初出だ。

 留学は現地社会に加わらないから、必然的に「高みの見物」になる。現地の問題への見解は正確になるが役に立たない。加藤は「いくさ」に対する自分の態度も、高みの見物だったと振り返る。学生や医師として過ごした戦時中から日本は負けると見通しており、それは合理的な推論の結果と思っていた。だが、民主主義の勝利を希望する直感が先に存在したというのだ。

 報告者の一人、歴史社会学者の小熊英二氏は、この合理的推論と希望的直感は、後に『羊の歌』で戦時中の議論を回顧しながら述べた「事実判断」(不利な戦局)と「価値判断」(必勝の信念)に相当すると指摘した。そして加藤は冷静な観察と明快な論理で至れないものを論じようとした――「あえて西洋的に言えば、科学と信仰の間で格闘した」からこそ、今も読者の心を動かすとまとめた。

 高みの見物の積極的な意義を、日本の知識人の宿命と絡めて報告したのは思想史家の白井聡氏だった。対象を正確に認識するには距離を取らなければならない。それが「高み」だ。ところが西洋由来の学問を修める日本の知識人は対象に一辺倒になるか、日本に回帰するかの二者択一に陥ってしまう。高みの見物という主体を自己批判的に指摘して、知識人の宿命を遠ざける第三の道を提示したのが加藤だと白井氏は主張した。

 一方で仏文学者の海老坂武氏は、高みの見物は加藤があえて用いた修辞だと注意を促した。「普通なら『背を向けた』だろう。そこには一介の医学生の不安も見える」。考えてみれば「雑種」も修辞的で、世間への挑発を含んでいた。(編集委員・村山正司)

「純粋さ」に正統求める危うさ

 京都市の立命館大学であったシンポジウム「東アジアにおける加藤周一」では日本、韓国、中国の研究者らが雑種文化論をめぐって議論した。

 韓国の全北大学校の林慶澤(イムキョンテク)教授(文化人類学)は「純粋なものに正統性があるという考えが韓国社会には強く、雑種文化論は広まっていない」。一方で、「純粋なものが正統だという考え方は、異なるものを異端とみることにつながりやすい」と述べ、韓国社会の問題を考える手掛かりになるという考えを示した。

 「雑種文化という概念は中国人にはそれほど違和感がない」と語ったのは、中国の清華大学の王中忱(ワンツォンチェン)教授(比較文学)。王教授は「加藤さんが雑種文化論を書いたのは、日本がなぜ15年戦争をやめられなかったのかを考えたかったからではないか」と話した。

 東京大学の樋口陽一名誉教授(憲法学)は「雑種文化論で訴えたかったことは価値の多様性を認め、個人の尊厳と平等の上に成り立つ社会の大切さだった。その実現のために加藤さんは希望を持ち、語ることをやめなかった」と説いた。(大村治郎)=朝日新聞2019年10月30日掲載