戦後に売却相次ぎ 「巨大な保存装置に」
終戦の翌年、GHQ占領下にある神保町の片隅で、一人の古書店主が、崩れた本の下敷きになって死亡する。昔なじみの同業者、琴岡庄治(ことおかしょうじ)は事後処理を引き受けるが、その死には不審な点が見つかる。事故か、事件か。謎を追ううち、大きな陰謀が姿をあらわす。
「学生の頃から京都の古書三大祭りにも行っていましたし、いまも毎日のように古書を追いかけているわけで」と門井さん。「古書が好きだから歴史小説を書いているのか、歴史小説を書くのに必要だから古書を集めているのか、自分でもよくわからない。なので一度、古書を正面から扱ってみたかった」と話す。
そこで目を付けたのが、戦後まもないころの神保町だった。「終戦直後に古書の、特に古典籍の価値が暴落したことは事実」。食べるものにも困るような状況で、「いわゆる古典にまったく価値がなくなって、しかもそれが具体的な金額として出てしまった。どうやら、僕はそういう話が好きみたいですね。デビュー作が(美術品を扱った)『天才たちの値段』ですから」と笑う。
困窮した名家が相次いで伝来の稀覯書(きこうしょ)を手放したのも、この時期だった。「神保町があるから、とにかくお金になるという期待をもって持っていく。結果的にみたら、日本の古典籍保存にいちばん貢献したのは神保町だったかもしれない。保存の仕方が売買という独特のやり方だっただけで、神保町そのものが巨大な保存装置であったと」
さらに、「意外にも、市場原理は文化財を残すのかもしれない」とも。「我々には市場原理で無駄なものは何もかも淘汰(とうた)されていくというイメージがありますけれど、ひょっとしたら。お金に目を付けたのは、僕もまんざら捨てたもんじゃないですね」と笑った。
直木賞を受賞した『銀河鉄道の父』(2017年、講談社)で書いた宮沢賢治もそうだが、美術や建築など文化に根ざして近代史を描くことが多い。「結局、現代人の生活とのつながりを重視しているからかもしれません。現代を無視して歴史に遊んでもしょうがない」
時代によって、価値観の変化も避けられない。
「内藤湖南(戦前の歴史家)の有名な言葉で、『日本の歴史は応仁の乱以後だけ知っておればよい』『それ以前は外国みたいなものだ』と。近代を超えて、変化のスピードがますます速くなった現代に生きざるを得ない我々は、もはや応仁の乱どころか、明治維新以前が外国じゃないかって気も、ちょっとしています」(山崎聡)=朝日新聞2019年10月30日掲載