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「逃亡小説集」書評 弱い人間の焦燥感をすくい取る

評者: 諸田玲子 / 朝⽇新聞掲載:2019年11月09日
逃亡小説集 著者:吉田修一 出版社:KADOKAWA ジャンル:小説

ISBN: 9784041073872
発売⽇: 2019/10/04
サイズ: 19cm/213p

逃亡小説集 [著]吉田修一

 当節、幅広い層から人気を集める著者の、『犯罪小説集』につづく短編集の第2弾である。
 冒頭から言っておくと、あの傑作『悪人』でもわかるように、著者が読者を唸らせる最大の切り札は私たちが疑いもなく信じこんでいる既成概念に疑問を投げかけ、ときに躊躇なくぶっこわしてみせるパワーだと私は思う。そう。悪人とされるものが本当に悪人なのか。だれが善人と悪人を選り分けたのか、そんないらだちとやりきれなさ。
 本書でもそのパワーは炸裂している。ここに収録された4編には逃げる男女が登場する。では、なにから逃げるのか。もちろん職場であったり恋であったり世間の目であったり各々きっかけはあるのだけれど、彼らが本当に逃げようとしているのはそういう短絡的なものではない。
 郵便配達員の春也は煽り運転をされたことから衝動的に郵便物を積んだ車で網走の先のウトロまで逃亡してしまう。喧嘩をふっかけられてはじめて彼は、自分が理不尽な世の中から逃げたかったのだと気づく。女性教師と未成年の元教え子は純粋に愛し合っていながら世間に背を向けて逃亡するハメに陥るし、九州男児の秀明は自分でもなにがなんだかわからないままパトカーに追われて高速道路をぶっ飛ばす。騒動が大きくなり、罪科も加算されてゆくのがわかっていながら、いつのまにか逃亡そのものが目的になっている。
 春也はこう言う。「俺、思ったんだよね。『ああ、俺、もしかしたらずっと逃げたかったのかも』って」
 だれも皆、なにかから逃げたいと思ったことがあるはずだ。「逃げたところでどうにもならない」と知っているのに、「逃げていく場所などどこにも」ないとわかっているのに、私たちは逃げたいという衝動にかられる。それが弱い人間の哀しい性(さが)であり、著者はその焦燥感を、一片のやさしさをまぶして鮮やかに掬い取って見せてくれるのだ。
    ◇
 よしだ・しゅういち 1968年生まれ。「パーク・ライフ」で芥川賞、『悪人』で大佛次郎賞など。近著に『国宝』。