異質な違和感や無機質だけど有機的な感じをどう出すか
――まずは映画「影踏み」にキャスティングされた時の率直な気持ちをお聞かせください。
北村:正直、ちょっと冷や汗かくくらいびっくりしましたね。ここで頑張らないと役者として終わると思ったので、すごい気合い入りました。僕自身、プレッシャーを抱えすぎると、途中で無の境地になるんですよ。初めて主演をやったときも、あまりにも重かった荷物が気付けばなくなってたんですよ(笑)。今回ももうやるしかないと思って、早めにそのフェーズになったんですけど(笑)。現場入ったらみなさんこんな若造(撮影当時20歳)をとても可愛がってくださって。それで(良い意味で)プレッシャーがなくなっていきました。
山崎:本当にこんな豪華なキャストと絡めることは、もうこの先ないだろうって感じましたね。ちょうど(竹原)ピストルに「山崎さんもう役者やらないんですか」って言われて、「予定ないわ」と言った直後に、この話が舞い込んできて(笑)。オファーを受けたのは、上から見るんじゃなくて下から眺める役やったらいけるんじゃないのかなというのが最大の理由です。冒頭のシーンで猫が出てくるところは、そうやって「地を這って生きている」ってメタファーも持たせてるらしいんですよね。それに篠さん(篠原哲雄監督)と横山さん(原作者の横山秀夫さん)と松岡(周作)プロデューサーからお話いただいたら、断る理由が見つからないというか。撮影場所の群馬のロケーションもすごくよかったです。
――横山秀夫さんの原作をどう読んで、どう役柄に落とし込みましたか?
山崎:僕、もともと横山さんのファンでして、このお話をもらう前から読ませていただいてました。演じる役は泥棒ですから、生き方は共感できませんよね(笑)。ただ、自分の本当に大事にしてるものを捨てきれないって気持ちは僕にもあると思う。それで先へ踏み出せてないってことも、誰しもあるんじゃないかな。人間ってどこかしら二面性があるじゃないですか。表と裏、闇と光、陰と陽。映画でもそういうものがうまく描けていたと思います。実際、ラストはどう終わるんかなと思ってたんですよね。でもすごい美しい形になってましたね。
北村:僕は脚本を読んだ後に原作を読ませていただいて。横山さんのファンになるくらい重厚感のある小説でした。というか横山さんのファンになりました。でも脚本も脚本で映画らしいよさが詰まっていたので、横山さんの原作も頭に置きつつ、脚本を信じてやりました。あえて小説の中からなにかヒントをってことは今回あまりしなかったですね。僕自身は啓二のように身ぶりで反発したい気持ちを前に押し出すことがなかなかできないタイプなので、彼の葛藤を理解するのにちょっと時間はかかりました。僕の役どころは繊細なキャラクターでしたので、芝居中にその細かなギミックに対して意識はしましたね。異質な違和感や無機質だけど有機的な感じをどう出せるか、監督と話しながら随所に盛り込みました。
――山崎さん演じる修兄ィと、北村さん演じる啓二の関係性が作品の大きな肝になっていますが、現場ではどのように呼吸を合わせていきましたか?
山崎:僕はもう匠海くんが作ってくれる空気に乗っからせていただきました(笑)。同じく音楽も映画もやっている彼なので、表現者として信頼してましたし。大体啓二のほうが先に話してくれるんで、そのきっかけに任せていった感じですね。ずいぶん助けられましたし、居心地いい現場でした。
北村:まさよしさんは僕の家族がファンで、アーティストとしても大先輩だし、かなり緊張してたんですけど、リハの段階からかなりフランクに話しかけてくださったので、僕も胸を借りてやりました。まさよしさんから自然と出てる空気に飛び込んでいって、広がっていく感じでしたね。
――監督からの演技指導はいかがでしたか?
山崎:自分が演出するよりかは、役者を波に乗せるというか役者に風を吹かせるというか、かなり流動的でしたね。そのときに吹いた風をキャッチしたいのかな、それを楽しんでるのかなって思ってましたね。それで流れに乗ったら行く人だから、ぶった切るわけでは絶対になかったし、芝居も雰囲気も大切にしてくれてました。
北村:僕らの芝居を見て、まるで生き物のように現場でどんどん台本が変わっていくスタイルでしたね。毎日のように朝に変更の紙が来て(笑)、「啓二ならどうすると思う?」ってめちゃめちゃ聞かれました。
自分の芝居を見ながら音をつけるのは地獄の苦しみだった(笑)
――改めて「影踏み」は、クライムサスペンス、ヒューマンドラマ、バディムービー、恋愛映画とさまざまな側面から楽しめるプリズムのような作品でした。
山崎:ありがとうございます。作品のなかに詰め込まれているものが非常に多岐に渡っていて、でもちゃんとエンターテインメントになっていますよね。これ以上はないってくらいてんこ盛りで、もうえらいことになってるなと。観た人が家族のことを考えていたら家族の物語になるだろうし、見方によっていろんな感じ方ができると思います。
北村:すごく泥臭くもあり、すごく透明感のある物語でもありますよね。ノビ師としての修兄ィの生きざまを見ても、ドロドロとした世の中を生きているんだけど、どこか純白で一途な思いが切り取られていて。まさよしさんが作った劇伴からもそれは感じました。クライムミステリーって謳い方ですけど、もちろんそれが核にあるうえで、家族や兄弟の話でもある。すごく純度の高い感情が渦巻いてておもしろいと思うので、観客それぞれの角度から観てもらえたら嬉しいです。
――劇伴の話が出たので、今回の映画音楽のことを。山崎さんは主演だけでなく劇伴も主題歌も手がけられましたが、どういう風に制作に取り組んでいったんですか?
山崎:どういう劇伴がいいか現場で構想を練ってたので、匠海くんの存在がすごく大きかったですね。兄弟の絆の話でもあるので、飲みの席で「男子ソプラノの声で作りたいと思うねん」って匠海くんに話したら、彼が小学生の頃に歌った曲をYouTubeで聞かせてくれて。それが「影踏み」の世界観にすごい合ってたので、そこから劇伴のイメージを膨らませていきました。ただ、自分の芝居を見ながら音をつけるのは地獄の苦しみでした。もうええがなって(笑)。
主題歌は全部のラッシュができあがってから、最後に書き上げました。幼少の時に、修兄ィと啓二がひょっとしたらあのブランコに乗ってたかもしれないと思い描きながら。幸せなエンドロールで、なにかやっとみんなが納得するっていう歌にしたかったんですよね。1996年に初主演した「月とキャベツ」の主題歌「One more time, One more chance」を超える曲を作らないとってプレッシャーはあったか聞かれるんですけど、求められるものは確かにそういうところなのかもしれない。でもやかましいわボケって、簡単にできると思うなよって(笑)。やっぱり劇中で描かれる関係性を一番大事にしたかったし、それに合う楽曲にしたかったので、ヒットさせなくちゃとかすごいバラードじゃないといけないとかって思いは封印させました。
北村:自分が小学生の時に歌った曲が少しでも参考になればって気持ちだったんですけど、いざ映画を観たときに、音楽がそのシーンに寄り添ってたんですよね。「ああ、これがまさよしさんがあのとき考えてたことだったんだ」って。劇伴のソプラノも主題歌も、まさよしさんが作る音楽は登場人物の過去の画がぽんぽん浮かんでくるもので。一番泣けるタイミングで流れてくるし、なんともいえない気持ちになりました。音楽もやってる身として、音楽の力はすごいな、山崎まさよしさんやっぱすげえなって(笑)。
まさよしさんとはアーティスト活動している中ではなかなかご一緒する機会がなくて、今回初めてご一緒できて撮影自体すごく楽しかったです。過去に寺尾聰さんに、「音楽やってるやつはリズムなんだよな」って言われたことがあって。そのときはリズムってなんだろうって思ってたんですけど、今回まさよしさんと共演して、あのときの寺尾さんの言葉がすっと腑に落ちたというか。僕も独特の間って言われるほうなので、「匠海やりやすいよ」って言ってくれる人と、「変な間取るよね」って言う人もいて、お芝居ってセッションに近いのかなって。
――劇中ではひとつの事件をきっかけに、親や兄弟に対する気持ちが変わっていってるなと感じました。ご自身のプライベートで、大人になって親や兄弟への気持ちが変わっていったり、新たな感情が芽生えたりというエピソードがあったら教えてください。
山崎:やっぱり結婚して子どもが生まれたら、ええ加減ね、親との軋轢っていうのはどんどん氷解していくんだろうなと。わだかまりがなくなっていくというか、年取ってそういう気持ちにはなりました。
北村:この映画で描かれている、家族や兄弟に対する執着にも近い感情というのは、個人的にもわかるというか。僕はいま22歳で、父母と弟がいるんですけど、10代の時とは違う感覚で家族と接したりしていくなかで、絶対的に唯一無二なこの人たちと血が繋がってるんだって思いは芽生えてきました。だからこそ特別だし大切だし、どこかで自分の理解者は彼らしかいないって感覚は、成人してからより強くなりましたね。
音楽と映画の違いは主観か俯瞰か
――山崎さんはシンガーソングライターとして、北村さんはダンスロックバンド「DISH//」のメンバーとして活動されています。音楽と映画で、演じることについての違いや共通点はありますか?
山崎:音楽は自分のなかの内なるものを外に吐き出す作業が多いんですけど、役者さんはそういうことしたらプロとしてはだめですよね。自分が身につけた技術を駆使して、雰囲気を作るのが役者さん本来の仕事ですけど、音楽はどちらかというと「ここになにものかはわからないけどあるもの」を吐き出したのちに、ちゃんと商品としてパッケージ化できる力が必要で。役者さんは商品を作り出すわけじゃなくて、切磋琢磨したその技術をちゃんと提示するっていう。その違いはあるんじゃないですかね。
北村:あくまで僕の感覚だと、主観か俯瞰かの違いというか。音楽は自分の内面から出てくる、ある種主観的な思い。作詞も作曲も自らができて、自ら生み出せることが音楽。でも映画は作品全体を俯瞰で見て、自分だけ目立ってもいけないし、こういう役でこういう立ち回りでこういうテンションで、作品のなかのひとつのピースになろうっていう。そういう意味で、音楽は自分がそのパズルの額縁ですよね。
――そもそも「影踏み」の原作者・横山秀夫さんの作品には、「ここだけはゆずれない」って人たちがすごく出てくると思うんですね。仕事をするうえで、大切にしていることや矜持はありますか?
山崎:人に迷惑をかけない! 足を引っ張らない! シンプルなルールです(笑)。
北村:僕のルールは好き嫌いをしないこと。なにに対しても。音楽でいえば「僕はこの音楽は聴かねえ!」みたいな気持ちは持たないように。もちろんバロメーターで言ったらこれは100好きだけどこれは30くらいかなとかはありますけど、とりあえず聞いてみよう、見てみよう、接してみよう、話してみようっていうスタンスは取ってますね。
――最後に、本のサイトということで、普段の読書傾向や最近おすすめの本を教えてください。
北村:雑誌に漫画、小説からアートブックまで、いろいろ読みますね。最近だと1998年の「SWITCH」とか。自分が生まれた翌年のビンテージ本で、見たらめちゃくちゃかっこよくて。表紙が中田英寿さんなんですけど、すごく良い感じの味のあるブレ感なんですよ。でも書かれてるものもいまよりすごくカルチャーを感じるし、こんなにもおもしろい時代があったんだって。デザインもレイアウトもフィルムの写真も、全部いいと思いました。
山崎:横山さんの作品をほぼ読んでるくらい、推理ものやサスペンスが好きですね。あとは短編や俳句やエッセイや、幅広く読みます。又吉(直樹)さんとせきしろさんの自由律俳句を集めた『カキフライが無いなら来なかった』とか、なんだそりゃみたいなもの。読まないのは時代ものくらいかな。本当によく読んでるのは谷川俊太郎さん。ずっと読んでるというか感じるというか。昔に対談させてもらって、素晴らしい感性だと思いましたね。瞳の奥がすごい真っ黒で深くて、どこまでいっちゃうのって感じでした(笑)。