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映画「HUMAN LOST 人間失格」で脚本 作家・冲方丁さんインタビュー

文:ハコオトコ 写真:斉藤順子

©2019 HUMAN LOST Project

ダークヒーローの誕生シーンをどうするか

――本作の主人公は原案同様、ダウナーで自暴自棄な男・大庭葉蔵です。2015年ごろから企画していたとのことですが、「SF×『人間失格』」という取り合わせは衝撃的ですね。脚本を手掛けた冲方さんは、本コンセプトを聞いた時にどう思われましたか?

 最初聞いた時は「何を考えているんだろう」と思いましたね(笑)。(企画内容は)『人間失格』の文学性と、ダークヒーローものを掛け合わせたSF作品が作れないかということでした。何となくのイメージやストーリーボード(アニメ制作の「絵コンテ」)は初期からありましたが、具体的に大庭葉蔵をどのような人物にして世界観もどうすればSFになるか、1年半くらい議論しました。

 映画のプロットを何パターンも作って、その間に『人間失格』を何度も読み込みました。もしこの作品が秘めているテーマが現代に本当にそぐわないのであれば、この企画は成り立たないと思っていました。しかし、議論すればするほど『人間失格』のテーマは現代的だ、と確信しましたので、「どこかに答えがあるはずだ」とやっていきました。

 その間、3つほどのブレイクスルーがありましたね。1つはタイトルの解釈です。『人間失格』は、「大庭葉蔵という人間が人間という1つの価値観から転落する」というテーマを描いているわけです。そこで、(本作では)「人間全体が失格した社会」を描けばいいんじゃないかと。人間個人の物語だけではSFは成り立ちません。個人の発見や生活が人類に影響を及ぼす、という話がSF的な物語になるのです。こうして(本作の)世界の背景が見えてきました。

 次に、『人間失格』という作品や太宰にまつわる「死の影」をどう描くか、でした。これがダークヒーローものとしての鍵になるはずでしたので。死をどう描くかを議論していたらこれが“反転”してしまい、(逆の)「死なない世界」になったのです。太宰が恥をすすぐために死を希求するようなニヒリズムやヒロイズム、ある種のユーモアでもありますが、それを「死を求めてもみんながそれを得られない世界」に置き換えたらSF的だろうと。こんな社会が成立したら、そこに住む人々はどんな考え方や生き方をするかという話もSFのテーマになると考えました。

 そして最終的な問題は、「ダークヒーローの誕生シーンをどうするか」でした。

ユートピアなのかディストピアなのか

――本作冒頭、主人公がいきなり高いところで「切腹」する場面ですね。

 どこか高いところで腹を切ったらいいんじゃないか、と(笑)。つまり(本作が)「死を希求する世界」なので、死をイメージする行為にしました。特に日本文化における死に対する最大のイメージは、世界的にも「腹切り」ですよね。己の死をもって恥や汚名などをすすぐ、不如意な人生に対する抗議をするといったものです。チベットの高僧が焼身自殺するように、「自分のすべてをかけて訴える」ため割腹するのです。その後に変身したら、「とんでもないものができた」と世界のファンから受けるのではないかと考えました。このシーンを始めに持ってこようと決めることで、おおむねのプロットが定まりました。

――本作の世界は、テクノロジーの発達で病気やケガが無くなった、ユートピアともディストピアとも言える日本社会です。このように「健康」や「身体性」にフォーカスしたSFは、『攻殻機動隊』や伊藤計劃さんの『ハーモニー』、さらに冲方さんの手掛ける小説『マルドゥック・スクランブル』、アニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」シリーズなど、近年の人気テーマと言えます。なぜ今回も主題に据えたのでしょうか?

 デジタルテクノロジーをSFの主要な題材に据えれば据えるほど、描く物が無くなっていくのですね。例えば自動車からも(自動運転化で)ハンドルが無くなるなど、映像として“空白”が増えていく。これにCGアニメを足すと、余計に無機質なモノになっていきます。

 そこで、違うテクノロジーをSFの題材として取り上げようと思ったのです。中でも最も生々しいのは「医療」だろうと。延命や不老長寿といったテーマですね。どんなに傷を負っても治ってしまうような……。

 さらに、SFの描き方という物は2つあると思います。1つは希望を描くこと。発明や科学的知見で人類が救われる話です。もう1つは、科学的知見によって人類が締め付けられ、ある種のディストピアになっていく物。(今回は)ディストピアの比重を大きくしつつ、救済の可能性もほのめかす“ブレンド”の仕方にしました。

 映画のプロットではいろんなこの“ブレンド”を作りましたが、「ある日突然全てが救済される」話には、もう今の視聴者は現実感が沸かないだろうと考えたのです。例えば、映画『アルマゲドン』みたいに主人公が最後に犠牲になって誰もが救われる話も作れましたが、それには感動できないだろうと。「いい悪い」でなくご時世のせいだと思いますが。そこで、「無限に続く苦しみの中、それでも一抹の希望が残る物語」を作ろうと心掛けました。

――ちなみに、本作は原案の『人間失格』に出てくる主要人物が登場します。昭和から未来のSF世界と世界観を劇的に変えつつも、人間関係の部分はかなり踏襲してますね。大庭葉蔵=太宰治というあんなダウナーな人物を、アクションも多めなSFの主人公にするには苦労もあったのでは?

 主人公像は大いに悩みました。ただ、一番重要だったのは、『人間失格』で描かれているキャラ配置が完璧だったという点です。「自己を何より大事にする」堀木正雄と、「他者を大事にする」柊美子という人物がいる。この2人が葉蔵のメンタルの“シーソー”になっていくわけです。

 葉蔵という人間だけ(原案から)取り出すと実は成り立たなくて、こうした巧みなキャラクター配置で葉蔵という人物が浮かび上がってくる。この配置をあまり壊れないよう作品に取り入れた結果、堀木や美子もエンタメ的なキャラとして育っていったのです。

 結果として(主人公は)「メッセージを受け取るとすぐそっちに行ってしまう」、すごく現代的な存在になったと思います。SNSやニュースなどで情報を毎日、雨あられのように浴びていてそれらをついうのみにし、動いてしまう現代人の危うさ。「希望がある」と言われれば抱くし、「絶望だ」と言われてもそう思ってしまう。これは、『人間失格』の大庭葉蔵そのものです。彼はまさに今の若者だな、と思いました。

 この(原案の)主人公と人間配置がそのまま、「現代的」だったのですね。(プロット作りは)本当に試行錯誤しましたが、元の人間関係をSFに移植するだけで成り立つ、ということが(結局)はっきりしました。

©2019 HUMAN LOST Project

超高齢化社会の閉塞感に負けないようなテンションを

――本作は「無病」や「不老」などの概念が強調されています。SFや昭和テイストの盛り込まれた世界観でありつつ、超高齢化が進む今の日本の社会問題が強烈に想起されました。

 (原案の『人間失格』は)当時も価値観が激変していく世界で、とにかく自分が正しいように生きようとしつつも、そうすることで逆に泥沼にはまっていく人間が描かれていました。本作でも、価値観が激変する中で、その流れに誰も逆らうことのできない世界観を作らなくてはいけないなと思いました。本当に昭和初期風のテイストにするよりも、平成、令和の日本から想起される社会問題を風刺するディストピアを描くことこそが、最も『人間失格』らしい作り方になるだろうと。これは途中から、関係者全員が確信していたことでした。

 大庭葉蔵はやはり「社会的な存在」で、社会のあらゆる存在から影響を受けている。その中で何とか個人という物を獲得しようとするのですが、どこにもつながっていないし足場もない。これは我々も一緒なのです。むしろ「今」の方が、酷さが増している部分もある。それをまっすぐ描こうと思いました。

 「日常生活でうんざりしてしまうような部分を、エンタメを見る際に想起させられるのはいかがなものか」という議論も多少ありましたが、むしろどうしようもない閉塞感を突破する気分を与える、そんな作品として見てほしいなと。(本作で)閉塞感を感じていただきつつ、「それは突破可能なんだ」と、大庭葉蔵と同じ一抹の希望を抱いていただける作品にしようと思ったのです。

 そのため、「年金」や「社会保障」など本来アニメではオミット(除外)されるキーワードをたくさん盛り込みました。現代の自分たちの生活も意識しつつ、(それを本作で)突破できるのではないかと。メンタルの部分では(閉塞感に)負けないようなテンションを、葉蔵と一緒に感じていただけるような作りにしました。

©2019 HUMAN LOST Project

「神話が生まれる前夜」という物語

――冲方さんは文学とエンタメ、小説とアニメ・漫画など、ジャンルを横断した活動で知られる作家です。本作も「SF×純文学」という組み合わせ自体、かなり異色ですね。

 本来、物語の原型というものはもっと古いところから持ってくるものです。例えばスターウォーズは古代の神話からですし、『攻殻機動隊』であれば、人形が生命を得て人間になる、というニュアンスのある(ギリシャ神話の)「ピグマリオン」です。

 一方で(本作の原案である)『人間失格』が非常に面白いのは、「現代的な神話」である点です。人間が流転して精神が滅んでいく様を、非常に怜悧で構造的な筆致で描いている。これは現代的なテーマです。古代の神話や大昔の寓話を引っ張り出しても、この現代の神話は作れない。

 だから(『人間失格』を原案にした本作は)異色なのですね。伝統から踏み出そうとしている。ディズニーやピクサーは、何百年も語り継がれた物語をベースにしています。でも、我々はその辺の「普遍的構造」を台無しにする覚悟で物語を紡いでいる。従来のオーソドックスな(物語)プロットのノウハウとはかけ離れた物になったのです。そのくせ、これはこれでしっくりくるという、絶妙なバランスで奇跡的に成り立ったと思います。どんなスタッフに聞いても「いつ崩壊するか分からない企画だった」と言いますね。でも、不思議と作品の生命力で完成させることができました。もちろん、関わった方々全員の信じがたい尽力があったからこそですが。

 本作は「神なき神話」と言いますか……。「自分たちがどのように生きるのが最善か」という信仰原理、指針が失われてしまい、新たな原理という物を見つけ出さなくてはいけないが、まだ見えない世界を描きました。この、「神話が生まれる前夜」という物語を作り出すことができたと思っています。

――本作はSFファンからも太宰ファンからも熱い注目を集めそうですが、どう受け入れられて欲しいですか?

 受け入れられるというより、「視聴者に何かを発見してもらえる」作品だと思っています。見た人に化学反応が起きて、「新たなエンタメの道」を望んでくれるかどうかですね。従来のやり方を完全に逸脱した物語作りをしましたから。

 現代では突飛な映像自体は山のようにあって、携帯電話で映像を見てすぐ次に移るように(軽々しく)受け入れられています。そうではなくて、本作においては「手を止めて」ほしいのです。自分はいったい何を見ているのか、考えてほしい。

 本作はダウナーな主人公を通して物語が進行しますが、作品自体は盛り上がりの多い、あり得ないくらい「高ぶる」作品です。今自分が置かれている状況の中で、社会の閉塞や頸木から逃れてある種自由になれる、高揚感を提供できる話になっています。ただ単に「面白かったね」と話題にしてくださっても大丈夫。その中で、この作品が描きたかった「突破する高揚感」を感じてほしいなと思いますね。本作が生々しい感情を視聴者に芽生えさせることで、閉塞した社会における精神的な突破口になってほしい、というのが我々の痛切な願いなのです。