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田辺剛さん「クトゥルフの呼び声 ラヴクラフト傑作集」インタビュー 〈クトゥルフ神話〉の原点、圧倒的画力で漫画化!

文:朝宮運河 写真:山田秀隆

ラヴクラフト作品の“孤独さ”に共感した

――田辺さんはH・P・ラヴクラフトの小説を数多く漫画化していますが、そもそもラヴクラフトとの出会いは?

 デビューした直後ですね。当時僕は妖怪ものを描きたいと思っていたんですが、ストーリーが作れなくて苦労していたんです。すると当時の担当さんが、世界の名作文学を読んでみたら、と勧めてくれた。ストーリーを勉強しろ、という意味だったんでしょうね。名作と言われるものは確かに面白くて、内外の文学作品を読むようになりました。もともと映画でもアクション系より文芸系が好きですし、人間の葛藤の描かれているものに惹かれるんです。チェーホフもゴーリキーも面白いんですが、どこにも妖怪が出てこなくて(笑)。上田秋成の『雨月物語』も読んでみましたが、妖怪ものではないんですね。

 それならば、と担当さんが教えてくれたのがラヴクラフトでした。読んでみたら全部面白いんです。クリーチャーが出てくるし、独特の暗さがあって、物語としても完成度が高い。これはいいなと思って、創元推理文庫の全集をまとめて読みました。

――最初にラヴクラフトを漫画化したのは、2004年の短編「アウトサイダー」でしたね。社会に受け入れられない異形の悲しみを描いた作品ですが、これを原作に選んだのはなぜですか。

 当時の気持ちにいちばんしっくりくる作品だったんです。自分は賑やかなパーティに混じってはいけない人間なんだ、という気持ちが当時は強くて(笑)。ラヴクラフトの主人公って、基本いつも孤独ですよね。物事を悲観的に受け止めて、ずるずると取り返しのつかないところへ落ちていく。「アウトサイダー」の主人公もそうです。それでいてどこか子供っぽい感覚もある。僕がラヴクラフトに惹かれるのは、登場するクリーチャーへの興味もありますが、主人公の孤独さに共感するからなんです。

文体の重苦しさ、細かく描き込んで表現

――14年刊の単行本『魔犬 ラヴクラフト傑作集』以降、「コミックビーム」誌を舞台に、継続的にラヴクラフト作品に挑んでいますね。ラヴクラフトを漫画化するうえでの苦労や、気をつけている点はありますか。

 作業としては、他の作家の原作を漫画にするときと変わりません。まず主人公の動機を見つけ出して、地の文や台詞をもとにキャラクターを肉付けしていく。文学作品のコミカライズを続けてきたことで、以前よりうまくできるようになった気がします。

 ただラヴクラフトって文体が重々しいんですよね。原文で読んだわけではないので、あくまで勝手な印象ですが、文章が装飾的で重苦しい雰囲気がある。この雰囲気がラヴクラフトらしさと思うので、コミカライズする際もそこは大切にしています。

――具体的にはどんな工夫をしているのですか。

 ラヴクラフトの文章と同じで、とにかく細かく描きこむ(笑)。最初に担当さんに見せる段階では、もっとあっさりした絵柄なんですよ。そこに段々描きこみを施して、最終的にはぎゅっと詰まった濃い絵になる。ラヴクラフトをやるからには、絵の密度は重要なポイントかなと思います。

――圧倒的画力の“田辺版ラヴクラフト”は海外でも評価が高いですね。『魔犬』はアメリカの著名な賞にノミネートされ、『狂気の山脈にて』はフランスで複数の賞を受賞しました。

 フランスで評価いただけるのは、何となく分かるんです。物語の時間の流れが緩やかだし、絵も細かいので、フランス読者の好みに近いのかなと。しかしアメリカでアイズナー賞にノミネートされたのには驚きました。何かの間違いじゃないかと(笑)。原作がアメリカの作家だから評価してもらえたのかもしれませんが、とても光栄です。

クトゥルフに大砲を撃ち込みたかった

――昨年12月発売された新刊『クトゥルフの呼び声 ラヴクラフト傑作集』は、人気ゲームの元ネタとしても知られる、ラヴクラフトの代表作に挑んだ一冊です。〈クトゥルフ神話〉(ラヴクラフトの小説を中心に生まれた、架空の神話大系)の原点としても名高いこの短編を、漫画化するにいたった経緯とは?

 これまで僕がコミカライズしてきた作品は、ラヴクラフトの中でもややマニアックで、変化球的なものも多かったんです。その結果、王道的な作品で、チャレンジできていないものも多くありました。最近はゲームなどから〈クトゥルフ神話〉やラヴクラフトに興味を持つ人も多いですし、有名な作品を漫画で読みたいという声もあるので、代表作である『クトゥルフの呼び声』に挑戦することで、より多くの人がラヴクラフト作品に触れる契機になれたら、と考えました。

――ラヴクラフトの原作は、1920年代が舞台の怪奇小説。急死した大伯父の遺品を受け継いだ主人公サーストンが、不気味な事件に巻き込まれてゆくという物語です。

 この小説はアイデアがすごいですよね。海底に眠る神の影響で、世界中の人たちが同時に悪夢を見たり、精神に異常をきたしたりする。よくこんなことを思いついたな、と感心します。

――原作は新聞記事や手記を織りまぜたドキュメンタリータッチの小説です。これをストーリー漫画に再構成するのは、大変だったのでは?

 確かにずっとサーストンが何かを読んだり、調べたりしている小説なんです。このままでは起伏に乏しいので、原作とは異なるポイントに山場を持ってきています。たとえば太平洋を航海するスクーナー船が、不気味な船に襲撃されるシーン。漫画では後半のクライマックスになっていますが、原作だと1ページくらいしかないんです。原作のストーリーは守りつつ、深く語られていない部分を膨らませて、一冊分の漫画に構成しています。

――原作のストーリーを大きく変えないというのは、田辺さんのこだわりですか?

 いえ、毎回原作をもっと面白くするための挑戦はしているんです。『クトゥルフの呼び声』で言うと、海から上がってきたクトゥルフ(海底に眠る太古の神)に、大砲を撃ちこみたかったんですよ。せっかく大砲を積んだ船に乗っているのに、船員が反撃しないのはおかしい気がして。

 実際、ネームの段階ではそういう場面も描いていたんですが、原作のもつ不気味さがなくなる気がして結局やめました。担当さんとの打ち合わせではいくつもアイデアが出るんですが、最終的には「もとのままがいいですね」という結論になる。下手にいじらない方がいいのかもしれませんね。

――1920年代当時のファッションや建物が緻密に描かれていますが、どんな資料を参照されているんですか。

 映画を参考にすることが多いですね。クリント・イーストウッドの『チェンジリング』など、1920年代を舞台にした作品はたくさんあるので。当時の生活を写した写真集も参照していますし、もちろんインターネットも使います。

――映画を思わせる構図やコマ割りも、田辺作品の大きな特徴ですね。

 そこは意識しているところですね。今回は原作がサーストンの一人称なので、なるべく体験的に描きたいという狙いがあったんです。第三者的に外から出来事を眺めるのではなく、室内にいる誰かの視点で構図を捉えていく。そのために3Dソフトで部屋や建物を作り、どこにカメラを置くか決めたうえで、作画しています。我ながらなんでこんなに手間のかかることをしているんだろう……、と思うこともありますが(笑)。

――人類誕生以前、異形の神が地球を支配していた、というのがラヴクラフト小説の世界観。この壮大なスケールも見事に表現されていますね。

 ラヴクラフトの小説には文章ならではの表現があって、羨ましいと思うこともありますね。たとえば『クトゥルフの呼び声』にも“幾何学が狂っている神殿”が出てきます。何となく納得させられてしまいますが、よく考えてみると幾何学が狂っているという状態が分からない(笑)。

 人知を超えた世界を絵に起こしていくのは毎回大変です。あえてパースを狂わせたり、写真をトレースした背景に想像で描いたものを混ぜ合わせたりして、なんとかラヴクラフトの世界に近づこうと工夫しています。

――漫画のクライマックスで登場するのが、海底に眠る邪神クトゥルフ。タコのような頭部をもつ〈クトゥルフ神話〉の象徴的存在を、迫力満点にビジュアル化されていて、大興奮しました。

 昔はクトゥルフの絵ってそこまで多くなかったんですが、今は検索するとものすごい数が出てきますよね。これを上回るものを描かないといけないのか、と思うと気が遠くなります。今回単行本の表紙で描いたクトゥルフは、編集さんに「もっと正面から、ディテールをはっきり描いてほしい」と言われて、何度も描き直しています。確かにこれまでのクトゥルフは、暗闇に立っている姿を斜めから描いたものが多かったので、新しさを出せたかなと思っています。水圧などの影響も考慮しながら、場面によってクトゥルフのデザインを微妙に変えているのも、こだわりと言えばこだわりですね。

夜中にダムや廃村へ、身近な恐怖楽しむ

――ところで、田辺さんは怪奇幻想系のジャンルが昔からお好きだったんでしょうか。

 好きでしたね。最初にはまったのは妖怪です。父親が買ってきた『ゲゲゲの鬼太郎』の単行本を読んで、妖怪が大好きになりました。子供の頃からどちらかというと暗いものが好きで、同級生が好むようなバトルもの、冒険ものにはあまり興味が持てなかったんですよ。中学生の頃は悪魔が好きで、本に載っている悪魔を描き写したり、オリジナルの悪魔を考えたりしていました。

――なるほど、ホラー好きの王道を歩まれていますね。

 高校の頃はまわりに合わせてヤンキー漫画を読んだりもしましたが、すぐに飽きてしまって(笑)。雑誌の「ホビージャパン」で造型作家の韮沢靖さんの存在を知り、そこからSFXを使ったホラー映画を観るようになりました。その後も色々と趣味は変わりましたが、基本的には怖いもの、暗いものが好きだったと思います。

――そんなご自分を怖がりだとは思いますか?

 怖がりですね。子供の頃は、父の実家がある新潟に遊びに行くのが怖かった。当時は街灯のない路地がまだ残っていて、日が暮れてから覗きこむと何かが出てきそうな気がしたんです。気になるからこそ、つい目を向けてしまう。怖がりのくせに、怖いという感情が嫌いじゃないんだと思います。

 数年前、群馬県に移住してからは、夜中にダムや廃村を訪れたり、転落しそうなほど細い山道をドライブしたりして、身近な恐怖を楽しんでいます(笑)。

――『クトゥルフの呼び声』はさっそく増刷がかかったそうですし、これまで以上に広い読者にアピールできそうですね。最後に今後の執筆予定を教えてください。

『クトゥルフの呼び声』は熱心な原作ファンが多いので、読者の反応が気になりましたが、今のところ好評のようでほっとしています。〈クトゥルフ神話〉らしさの詰まった作品なので、初めての方にも手に取ってほしいですね。

 次回作としてはラヴクラフトの『インスマスの影』を「コミックビーム」で連載する予定です。今まさに打ち合わせをしている最中ですが、これまでで一番ホラーシーンの多い作品になりそうです。『クトゥルフの呼び声』と並ぶラヴクラフトの代表作なので、連載開始を楽しみにしてください。