吉本ばななさん「ヨシモトオノ」インタビュー 誰の身にも起こりうる、ささやかな不思議
――6月に刊行された『ヨシモトオノ』は吉本さんにとって初めての怪談小説集です。刊行の経緯を教えてください。
本の帯にはそうあるんですけど、考えてみたらこれまでも怖い話しか書いていないんです(笑)。見えない世界と言ってもいいですが、ずっとそういうものに興味があり、小説として表現してきた。今回はそれをあえて「怪談」という切り口で出してみた、という感じですね。わたしも還暦ですし苦手なことに挑戦するよりも、得意な分野をさらに伸ばして、好きなことをやり続けて残りの時間を過ごしたい。そういう開き直りのような気持ちが、執筆の背景にはあったようにも思います。
――装丁が印象的です。印象的な装画を手がけているのは、ダリオ・アルジェント(イタリアの映画監督。ホラーとサスペンスの巨匠)研究家の矢澤利弘氏なんですね。
そうなんです。矢澤さんの絵が一目で気に入って、使わせてもらうことにしました。いつもは「可愛い表紙と思って読んだら怖かった」と言われることが多いんですが、今回は「めちゃくちゃ怖い話に見えるけど、中身はいつもの吉本ばななだった」という感じです。本が出たら親しいご近所さんのポストに投函するんですが、この本に関してはちょっと気を遣います。夜中に入れないようにしないと(笑)。
――ことさら「怖い話を書こう」と意識されたわけでもないんですね。
意識はいつもと全然変わらないです。雑誌に載せた作品が4編、noteに掲載したのが1編。あとは未発表作品ですけど、前からちびちび書きためていたものもあり、テーマを決めて執筆した本というわけではありません。あえて言うなら執筆中、怖い本をいつも以上にたくさん読んだくらいですね。
――あとがきでも、「二年間ずっと怖い話を読み、怖いYouTubeを観て、もう何を観ても怖くてしかたなくなるまでがんばりました」とお書きになっています。
怖い本も日常的に読んでいるので、今回が特別ということもないんですけど(笑)。ただ夜は読まないようにしていたのを、寝る前まで根を詰めて読むようにした、くらいの違いです。
――執筆の参考になったのは、つるんづマリーさんのマンガ『つるんづ怪談』(大都社)だったとか。日常のちょっとした違和感や異変を100話収録した、実話系ホラー短編集です。
絵は可愛いんですけど、話はすごく怖いんですよ。路地を歩いていたらアロハシャツの人影が見えたとか、登山していたら妙なものに出会ったとか。同じ経験をしたことがなくても、「こういうことってあるだろうな」と直感的に伝わってくる。つるんづさんとは見えないものへの距離感が近いのかなという気もします。人怖系が少ないのも好みですしね。
――たしかに、人間の怖さを扱ったいわゆる人怖怪談は、『ヨシモトオノ』にも入っていません。
人間が怖いという話なら、日常生活で十分味わえますから。わざわざ読んだり書いたりする必要を感じない。最近、下北沢でタイムリープが起きるビルがあるという話を聞いたんです。人怖よりそういう話の方がわくわくしますよね。藤子・F・不二雄先生のいう「SF=すこしふしぎ」な話が好きなんだと思います。
――『ヨシモトオノ』の巻頭を飾る「だまされすくわれ」は、山で道に迷った主人公がきつねを名乗る男の子に出会い、宿まで案内してもらうという物語。まさに柳田國男の『遠野物語』を思わせるような、山の不思議さを感じさせる物語です。
『遠野物語』についてはそこまで意識していないんです。語呂がいいのでタイトルに使いましたけど。この本にはいくつか実話をもとにした作品が入っていて、「だまされすくわれ」も人から聞いた実話をアレンジしています。その人も山道で迷ってしまって、ぐるぐる同じところを歩き回っていたら、死んだ両親から電話がかかってきたというような話でした。やっぱり人から聞いた話はリアリティがありますよね。そういうことはあるだろうな、と思わせる感じがある。
――怪談はよく取材されているのですか。
そういうわけでもないです。生活していると自然に集まってくる。たとえばタクシーの運転手さんからも、怖い話を聞くことが多いですよ。こちらが水を向けたわけでもないのに、いきなり「地獄は地球上にあるんですよ」という話をしてくれたり(笑)。その方の友人が臨死体験をして、人は死んだら微生物になって、氷や石油や青酸の中に閉じ込められるという光景を見たらしいんです。おかげさまで怪談のネタには困らないですね。
――吉本さんご自身の体験談を書かれた作品もありますか。
「渦」という話が実体験です。かつて外国人とつき合っていた女性が、一人で地方のホテルに泊まったら携帯に英語のメッセージが届いていたという話。前半のディテールは完全にフィクションですが、某県のホテルに宿泊中、携帯に意味の分からないメッセージが届いたという部分はわたしの体験です。めっちゃ怖かったですよ!
――「だから追ってはいけない。掘ってはいけない。私を誘う懐かしい過去の渦。そこには答えもないし希望もない」という主人公の述懐に、この作品のテーマがあります。
そういう純文学的なテーマは、どの収録作にも一応入れるようにしています。それがあることで自分らしい怪談になりますし、従来の読者も満足してくれると思うので。
――「花」は祖父母の代の因縁を乗り越えて、友情を育む二人の大学生の姿が描かれます。主人公の夢に現れた親友・真知子の祖母が「今、孫とあんたは花みたいだよ」と告げるシーンが印象的です。
先祖同士は憎しみ合っていたとしても、それを若い世代が引き継ぐ必要はありません。人間は悪いこともするけれど、なるべくいい方に目を向けようよ、という思いで書きました。末代まで祟って不幸にしてやるとか、ああいうのは救いがないからやめてほしいですよね。
――巻末の「思い出の妙」はしみじみ胸に染み入る作品。家族旅行で泊まった宿の天井に、小さなおじさんの顔が現れて「海ゆかば」を歌っている。その恐怖体験が、かけがえのない家族の思い出になるという話です。
この話も一部は実話です。小説ではいい話として書きましたけど、夜中に「海ゆかば」が聞こえてきたら絶対怖いですよ。わたしは昔からあの歌が妙に怖くて。歌詞も重苦しいでしょう、「みづくかばね、くさむすかばね」って。それにしても幽霊って、なぜわけの分からない現れ方をするんでしょうね。夢に現れるとか、理解しやすい方法もあるはずなのに、わざと怖がらせるような出方をするでしょう。そこが不思議ですよね。
――そのほか、娘を亡くした母親が「生きている人と死んでいる人はつながっていて、消えたりしていない」ことに気づく「みだしなみ」、幽霊アパートに暮らす学生が縁の大切さを知る「最良の事故物件」など13編。いずれも不思議な事件を通じて、世界の見えない理のようなものを感じさせてくれます。
そうですね。不思議な現象そのものよりも、背後にある大きな理みたいなところに目が向いていると思います。幽霊をよく見る人って、そこに意識のチャンネルが合っている人ですよね。わたしも合わせようと思えば多分合わせられるけど、怖いから意識しすぎないようにしています。横尾忠則先生から、「僕は30歳を過ぎてからUFOが見えるようになったから、君もこれからだよ」と言われたことがあるんですけど、なるべく才能を開花させずに済ませたい(笑)。それよりはやっぱり死者とのつながりとか、縁の不思議さとか、そういうことが大事も思えます。
――「光」という作品は、若くして亡くなったAさんという女性の思い出と、吉本さんの周囲で起こった不思議な出来事を記した作品です。
プライバシーに配慮してディテールは変えていますが、ほぼすべて実話です。文体も他の作品が小説なのに対して、これだけがノンフィクション風で。彼女の死の前後に起こったことは、どこかに書き残しておきたいと思ったんですね。
――苦しみを抱えていたAさんは、自ら命を絶ってしまう。その夜、吉本さんと吉本さんのお姉さんはタレントの中川翔子さんの姿を通して、Aさんの思いを感じ取ったそうですね。
自分が救われたいだけかもしれないですけど、あの夜はそう感じました。中川翔子さんとはお父さんの中川勝彦さんと地元が同じで年齢も近く、繋がりがいくつかあるんですよ。そのしょこたんの姿を通して、Aさんはわたしたちを気遣ってくれたように思います。自分は大丈夫だからと。人はそうやって、遺された人々にメッセージを伝えようとするものじゃないでしょうか。
――苦しむAさんをどうすれば救えたのか。吉本さんが出した答えは、「できないことはできない、どんなことがあってもできないからできることをするしかないんだ、なぜなら自分はちっぽけで弱い一人の人間に過ぎないのだから」というものでした。
今でも自分が力になれた気がしないんです。それが悔しくもありますが、人間が命をどうこうできると考えるのは、思い上がりというものかもしれない。宇宙の大きな計らいを、人間の頭で理解するのは不可能ですよ。できるのは自分のちっぽけさを認め、世界には時にどうしようもない悲しみが存在するのだと、忘れずに生きることだと思います。
――大きな存在を通して、死者と生者は繋がっている。そう思わせてくれる作品でした。男の子の霊との交流を描いた「わらしどうし」など、怖さよりも切なさや懐かしさが漂う収録作もあり、やはり『遠野物語』の世界に近いように感じました。
『遠野物語』の時代は野蛮で、すぐに人を殺したり傷つけたりするので、そういうのはもういい、と思いますけどね。令和の人間はもっと平和にいきたいものです。でも日常のちょっとした裂け目を「あって当たり前だよね」という距離感で描いているのは、おっしゃるとり共通しているかもしれません。やっぱり寒い土地に住んでいると、そういう世界に敏感になるんじゃないでしょうか。東京で暮らしていても死意識する瞬間ってほぼないですけど、雪深い土地だと死がすぐ身近にありますから。そういう感覚は磨いておいた方がいいと思いますね。
――世界は目に見えるよりも豊かで優しく、奥深いものであることを、本書はあらためて教えてくれます。それは『白河夜船』などの初期作品から一貫している、吉本さんの文学的なテーマにも思えます。
そうでしょうね。やっぱり世の中の成り立ちみたいなものは、知っておいたほうがいいんじゃないでしょうか。そうでないと生きることや死ぬことに関する問題に直面した時に、大きなショックを受けることになりますし、普段から目を向けておくことは大切と思います。わたしが怪談を好きなのも、見えない世界とのつき合い方を教えてくれるからなんです。